ラエルラの殺人鬼-7-


 満月の夜になった。ピスタチオが場所を絞り込んできたが、完全には絞れなかった。今日は残った場所をしらみつぶしに探していくことになりそうだ。
 空を見上げる。満月は奇妙に赤く、落ちてきそうなほどに大きい。星は出ていないのに、ぽっかりと空に月だけが浮かんでいる。薄気味悪い空だ。
 ともすれば闇に引きずり込まれそうなほど暗澹とした裏路地を進む。かすかな人の気配を感じる。息を潜めている彼らはクルレイ達と争うつもりはないのだろう。
「殺人鬼って貴族の格好、してると思う?」
「……していないだろうな。見つかったときにすぐに顔がばれる。しっかりと顔は隠しているはずだ。殺人鬼はこの儀式を終えるまで死ねないからな」
「そっか」
 一つ一つ、候補の路地を削っていく。
「まさか、もう今日の獲物は見つけて、心臓だけ取って逃げちゃったってことはないかな……」
「ないだろ」
「何でそんなにきっぱりいえるのかいい加減教えてほしいんだけど」
「……次の角を右に曲がると候補の場所に出るぞ」
 ピスタチオの言葉を綺麗に流して、地図を見ながらクルレイが言った。ピスタチオが口をつぐむ。
 角を曲がった。何もない。
 ピスタチオが詰めていた息を吐く。
「次行こう」
「待て」
「え……?」
 行こうとしたピスタチオをクルレイが止めた。その目は闇の向こうにある何かをにらんでいる。ごくり、とピスタチオが唾を飲んだ。ゆっくりとクルレイが前へ歩を進める。
 路地は行き止まりになっていて、大きなゴミがうずたかく積まれていた。良く見ればわかる。ゴミは壁に密着していない。そして耳を済ませれば、荒い息が漏れ聞こえていた。ゴミの直前までゆっくりと近づいたクルレイは近くの角材を手に握り、一気にそこへと近づいた。
 ぎょろりとした赤い目と目が合う。口いっぱいに赤いものをほお張っていた殺人鬼はクルレイと目が合った途端、手に持っていた得物を一閃した。咄嗟に角材で受け止めたクルレイが横に吹っ飛ぶ。殺人鬼はがぶりと口の赤いものを噛み切った。鮮血が噴出し、噛み切られた赤が地に落ちる。
 手に持っていた鉄の棒を握りなおし、殺人鬼はそれをクルレイに振り下ろした。が、ピスタチオが殺人鬼に飛び掛ったことで狙いが外れ、そばのゴミが砕ける。ピスタチオが振り払われる。体制を立て直したクルレイが殺人鬼の懐に飛び込んだ。お互いに得物を放し、ごろごろと転がる。その勢いのまま殺人鬼を投げ飛ばし、足を地に着け、体制を整える。
 投げ飛ばされた殺人鬼がくるりと身軽に空中で回り、両足で着地した。赤い目でクルレイを見る。その顔がぐにゃりと歪み、三日月形に口が開かれた。
「ははははははは。まさか儀式を邪魔するものが出ようとは! これこそが試練なのか、神よ!!!」
 殺人鬼が自身の神に呼びかける。
「それともこれまで忠実に儀式をこなしてきた我への褒美か!? 今宵は二つ目の心臓を食らってもよいという!! ならばありがたく受けようぞ!!! 神よ!!! はははははは!!!!」
 狂喜の笑みをこぼし、殺人鬼は去っていく。
「追いかけなきゃ」
 ピスタチオが起き上がった。ところどころが赤で染まっている。死体の上に落ちたのだ。
「この人で犠牲は終わりにしなきゃ!!」
 そう言って、ピスタチオは走り出した。
「ああ、そうだな」
 その後ろ姿を見送ってから、ぽつりとつぶやいたクルレイが肩を押さえてゆっくりと立ち上がり、後を追う。痛みを気にする暇は、ない。

 走っていく。駆け抜けていく。殺人鬼は大通りに出た。殺すのは何人でもいいのだ。一人の心臓を誰の目も無い場所、条件にあった場所で食らえばいいのだから。
「どうするつもりなんだろう」
 横に追いついてきたクルレイにピスタチオがつぶやく。
「おれ達がいるから、殺してすぐ心臓は食べられないよね?」
「別にすぐ食べなきゃいけないってことはないんだ。殺してゆっくり取り出して別の場所で食べればいい。近くに二人目が腰を抜かしてても放っておいたこともあった」
「だけどおれ達が居るんだよ? 絶対止めるじゃん」
「……もう誰の心臓でもいいんだ。あいつにとっては。場合によっては俺達も殺して、三人の心臓を食べればいい。一つでなきゃいけないってことはないんだ。あいつは心臓をうまいって思ってる。一つじゃなくていいんだ、と気づいたらどうなるかわからない」
「……」
「気をつけろ。俺達も狙われるかもしれないぞ」
「わかった」
 うなずいたピスタチオは少し青ざめていた。そして前を見る。
「あっ!」
 思わず出した声としたうちが重なった。殺人鬼が向かう先の電灯の下に、男が一人眠りこけている。その男を見つけ、殺人鬼の走る速度が上がった。ピスタチオの速度も上がる。
 殺人鬼は懐からナイフを取り出し、鞘を投げ捨てた。そして男に近づき、すばやく首を狙って切りつける。
「止めろーーーーーーっ!!!」
 ガキンっ!
 ピスタチオの叫びを引き裂くかのように金属音が響いた。次の瞬間、殺人鬼が宙を舞う。
 クルレイとピスタチオが目を丸くする。宙を舞う当人も訳が分からないらしく、大きく目を見開いていた。だがそこは先ほど見せた身軽な身のこなしで地に足の裏をつけ──その後ろから首に一閃、手刀が落とされる。それを辛くも殺人鬼は交わした。
「ちっ」
 舌打ちをしたのはついさっきまで街灯のしたで眠り込んでいた酔っ払いだ。それが嘘だったかのように殺人鬼と攻防を繰り広げている。
 殺人鬼は体を反転させ、酔っ払いを見、またにぃとクルレイに向けた笑みを浮かべた。その間にも殺人鬼は元酔っ払いに足払いをかけ、元酔っ払いはそれをかわして逆に殴りかかっている。男の拳を殺人鬼は受け流し……そこにピスタチオが飛びこんだ。ナイフの刃を握る勢いで腕を掴む。赤い血が落ちていく。殺人鬼は何度かピスタチオを振り払おうとし、やがて彼を地面にたたきつけた。
 がっ、と音がしてピスタチオから力が抜けた。倒れたまま動かなくなる。殺人鬼はその勢いのまま背後に迫っていた男の腹を蹴り飛ばした。咳き込んで男が地面にひざをつく。
 にやり、と殺人鬼が笑った。ナイフを地面に倒れているピスタチオにむける。ピスタチオの頭からは赤い血が広がっている。殺人鬼はナイフをピスタチオにむけて振り下ろした。が、その瞬間ピスタチオが体を反転させ、ナイフは地面に突き刺さる。殺人鬼が目を見開いた。その一瞬の隙をついてクルレイが殺人鬼の背後を取り、反対側の腕を掴んでねじ伏せる。男がその状態の殺人鬼に殴りこみ、握っているナイフを落とした。そのまま地面にしっかりと押さえ込む。
「くっ」
 押さえ込まれた殺人鬼がぎょろりと赤い目を動かす。その目は立ち上がるピスタチオに留まるとうっとりと細められた。
「神、あなたも人が悪い。もう用済みなら、そう言ってくれれば良いのに」
「おれはっ……」
「我……私は貴方の試験をしくじったようですね」
 殺人鬼は落ち込んだようにうつむく。狂喜に溢れた声は消え、目も赤というよりは赤茶になっていた。
「いいから黙っとけ」
 そこに男の手刀が落ちて、殺人鬼の意識は途切れる。それを確認し、クルレイは息を吐く。そのまま地面に座り込んだ。右足がじくじくと痛み、傷の治りきっていなかった肩も痛い。
 痛みを耐えてピスタチオを見ると、彼も何かを耐えるように顔をゆがめていた。無理もない。悪魔信仰を持つ殺人鬼に神と呼ばれては化け物といわれたのと同じことだ。
「よお、変なとこであったな」
 唐突に声をかけられて、クルレイは元酔っ払いを見た。まるで知り合いであるかのような口ぶりだ。男の顔を見るが思い出せず、眉をひそめる。
「ほら、この間。てめぇの命を狙った」
 頬の傷を指で示されて、ようやく顔が合致した。緩んでいた気を引き締めなおす。
「お前は……」
「命狙った相手と一緒に戦うなんて偶然、あるもんだな」
 そう相手が言うとおり、それはこの間クルレイを狙った男だった。男達をまとめていた頬に傷がある男だ。怪我をおして距離を置こうとするクルレイに男は笑う。
「あぁ、もう逃げなくていいぞ。お前殺す命令は撤回されたから」
「……は?」
「この間部下死んだことでそっちを怒られてなぁ。殺人鬼捕まえるのに集中しろとさ。あと教会の上層部のほうからの根回しもあったらしい。良い知り合い持ったな」
「教会? 何で教会の上層部が裏の重役に口が効くんだ?」
「そんなの下っ端の俺はしらねぇな」
 疑問は残しつつも、ともかく追っ手は居なくなったらしい。男の様子がうそとも思えず、クルレイはまた気を抜いた。そういえばここらはクルレイを雇っていた重役の縄張りだ、とのんきに思い出す。
 クルレイの目の前で男がズボンのポケットからタバコを取り出してくわえた。
「ま、おかげで助かった。貴族さんがここまで強いとは思わなくてなぁ。俺一人だとちょっとつらかったかも知れねぇ。一本いるか?」
「ああ、悪い」
「いいってことよ。手伝ってくれた御礼だ」
「最初にナイフを弾き飛ばしたのはその腕に巻いてるやつか?」
「籠手だ。結構便利だぞ」
 タバコを一本吸い終わるまで、つらつらと話をする。昨日の敵は今日の味方……そんな感じだ。
 吸殻を踏みつけて、男が立ち上がった。殺人鬼を軽々と肩に抱えあげる。
「こいつは俺が責任もって無能な警備隊に突き出しとくから安心しろよ」
「ああ」
 なんとなく打ち解けた感じで笑う。男は歩き出し、だがすぐに止まって振り向いた。
「……なぁ」
「何だ?」
「あいつ、気をつけたほうが良いぞ。あれだけ出血してて平然としてるなんてそれこそホントの“化け物”かもしれねぇ」
「……」
「まぁ、俺は信じてないほうだけどな」
 男はそう無駄に親切な忠告をして、去っていった。
「また化け物って言われたな」
 残されたクルレイは一言も発しなかったピスタチオを見ないままに、声をかける。
「クルレイさんは平気なの? おれなんかと居て……」
 ピスタチオの声はまた震えていた。泣いているのかもしれない。
「別に。何でお前みたいな子供を怖がらなきゃいけないんだ?」
「だって、おれは」
「お前は?」
「……化け物だ」
 噛みしめるように言ったピスタチオの顔を、クルレイは振り返って見た。
「化け物って何だ?」
「え?」
「化け物って何だよ? お前はあれか? 人間を喰うのか? 違うだろう? ただ死ねないだけだ。お前が何か人間にしたか?」
「……」
「俺はお前のこと化け物だって言うにはあまりにも中途半端だと思う。人間らしすぎる。人に危害を加えたわけでもない。──逆に加えられてる側だ。確かにお前は普通の人間という枠からははみ出してるかもしれない。けどな、さっきのいかれ野郎よりはずっと人間らしいぞ」
 今まで思ってきた胸のうちを一気に暴露する。そしてさびしげに笑った。
「化け物だ、なんて自分で言うなよ。自分で自分、傷つけてるだけじゃねぇか」
「……でも」
「それとも、化け物だって言うことで、自分が他の人より上だって思いたいのか? 死を超越した高貴な存在ってか?」
「! そんなこと無いよ!!」
「なら、言うなよ。お前は化け物だなんて、言いたくないだろ? お前はお前だ。俺はお前が化け物だろうと人間だろうと、別に気にしない。怖がったり、しない」
 ゆっくりと染みるように言う。
「痛かっただろ? たたきつけられたとき」
「……うん」
「怪我が治ったって痛いものは痛いんだろ?」
「うん」
「怪我すればいたい。俺と同じだ」
「うん」
「嫌なら化け物だって言わなくていい。痛いなら痛いって言っていい」
 クルレイの言葉にピスタチオはうつむいて、小さく、本当に小さく、だがしっかりとうなずいた。
「帰るか」
「そうだね。帰って、クルレイさんの手当てしなきゃ。足ひねったんでしょ?」
「……まぁな」
「くせになるよー」
 ゆっくりと、だが騒がしく帰路に着く。
 帰り道で見た月は白く、綺麗だった。