ラエルラの殺人鬼-6-


 クルレイは選択を間違ったことがあった。振り返れば愚かなことばかりだったようにも思う。小さな運送会社で働いていたときに話しかけてきた女性と、ろくに話もしないままに事務所を立ち上げたのがもっとも愚かなことだ。だがそれは愚かであって間違いではなかったと思っている。間違ったのはその後の選択だ。
 彼女の向上心と寂しさに気づきながら、それをないがしろにした。彼女は関係の更なる進展と事業の拡大を望み、反対にクルレイは変わらぬ関係と変わらぬ仕事を望んだ。それが間違ったことだった。
『貴方は臆病なだけだわ』
 最後の仕事の前、そう言われて頭に血が上ったのもそれが事実だったからだ。クルレイはどうしようもなく臆病で、そのために間違った選択をしてしまった。あの時認めていれば、彼女は去っていかなかったのかもしれない。そもそも一緒に仕事などしなければお互い幸せだったのかもしれない。
 そうは思う一方で、同じことを繰り返す自信があった。たとえ時間が戻っても同じように彼女と事務所を立ち上げ──そして愚かにも同じように別れるのだと。
『貴方は私の気持ちなんて、わからないんだわ!!』
 最後の喧嘩のとき、走り去っていった彼女の後姿が昨夜のピスタチオの後姿と重なった。
(俺は臆病だ)
 昔も今も変わらず。だがそれを自覚していることが、大きな進歩と言える。
 一人、礼拝堂の隅の机で朝食を食べ、クルレイは立ち上がった。
 また選択を間違えるつもりは無い。
 今朝、ピスタチオがシスターに注意されているのを見かけた。「殺人鬼がうろついていて危ないから、夜の見回りはしばらく止めてくださいね」と。ピスタチオは何か言おうとしたが、結局何も言えないようだった。シスターに心配させたくないのだろう。その場では「はい」と言った。それでもシスターに隠れてピスタチオは出かけるのだろうと思った。
 だから。
「ピスタチオ」
 子供達と遊んでいるピスタチオに声をかける。
「少し、話があるんだが」
 ピスタチオはあまり気乗りしない様子で子供達から離れてきた。クルレイに率いられるまま、教会の影になる場所まで移動する。
「何?」
「さっきシスターに注意されていたな。夜の見回りに出ないように、と」
「だから、何さ?」
「それでも行くつもりだろ?」
「……行かないよ」
「俺も、一緒に行こうか」
「え?」
 機嫌の悪いまま聞いていたピスタチオが目を丸くした。
「俺が一緒に行くから、夜の見回りに行かせてくださいってシスターに頼んでみよう」
「何で……」
「昨日あれから少し考えたんだ。俺はどうするべきなんだろう、ってな。考えて、一緒に殺人鬼を捕まえにいくことにした」
「どうしてそうなるんだよ……。だいたい、あんた外に出るの危険じゃないか。追っ手が……」
「見つかったら見つかったでそのときだ」
 クルレイが笑みさえ浮かべてそう言えば、ピスタチオは唖然と口を開けたままクルレイを見る。
「……俺が追われるようになった原因が、殺人鬼なんだ」
「え」
「上流区が殺人鬼騒動で沸いてたころ、下流区でも殺人鬼の痕跡が見つかった。だけど警備隊に頼りたくなかった。普段は助けてくれないくせに、上流区に関係ある事件のときだけ助けられるってのがなんか嫌だったらしい。裏の重役達が各々の威信にかけて、殺人鬼を捕まえに動いた。各自の縄張りを中心にそれぞれ手下と懇意にしている外部のやつを雇ってな。縄張りで殺人を起こさせないこと。起こさせたとしても警備隊に気づかれないこと。それが条件だった」
「それで、クルレイさんは……」
「しくじったんだ。殺人鬼に殺人を許した上に警備隊に知られた。俺と一緒に事務所やってたやつが、俺を裏切って警備隊と通じてたんだ。まぁ、そいつのせいだけじゃないんだけどな。元はといえば俺がそいつのことわかってやれなかったのがいけなかった……。ともかく、俺は俺をやとった大物の面目をつぶしちまったってことだ」
 クルレイはため息を吐いた。
「おかげで追われるはめになって……と、こういう風な事情があったから、殺人鬼と関わるのがなんか嫌でな。避けたかったんだ。だけど、気が変わった」
「おれのために?」
 ピスタチオがたずねる。クルレイは意味ありげに笑った。そして言う。
「いつまで逃げるつもりなんだろう。いつまで区切りをつけないつもりなんだろう。俺は裏切ったやつを忘れられないし、追い詰められたら死にたくなる。全部もう嫌だって投げたくなるんだ。その点お前は逃げずに真っ向から立ち向かおうとしてる。何かをしようとしている」
「そんなことないよ。おれ、何もできないし」
「何もできないのはお前だけじゃない。俺だって同じだ」
「クルレイさんが……?」
「皆、何もできない。でも何かはできるもんなんだ。お前は路地に倒れている子供を救えなかったかもしれないが、熱に苦しんでる子供は救えた。そういうことだ」
「……」
「俺は臆病だっただけだ。できることすらもやろうとしなかった。いつまでも逃げようとしていた。……逃げるのはもう止めようと、思ったんだよ」
 もう、間違えない。逃げない。前に、進む。
「で、どうするんだ? 俺と一緒に探すのか? 嫌なら、別にいいんだが」
「……おれ、化け物なのに、なんでそこまで」
「殺人鬼捕まえた後に、理由は話してやるよ」
「……ありがとう、クルレイさん」
「どういたしまして」
 そう言って、二人で笑った。

+++

 シスターを何とか説き伏せて、クルレイとピスタチオは作戦会議に移った。
「シスター、心配そうだったね……」
「そう思うなら止めるか? 殺人鬼探し」
「やめないよ。やめたくない」
「だったら今は考えるのを止めとけ。全部終わった後に謝ればいい」
「……うん」
 クルレイが机に広げたラエルラの地図に印をつける。地図は教会にあったものを貸してもらった。上流区と下流区の両方がちゃんと書かれている。
「俺が仕事をしてたときまでに被害があったのは、こことこことここと……」
「あ、この間あった場所はここだよね。あと、雑貨屋さんに聞いたんだけど、ここでも……」
 殺人鬼の被害があった場所を全部書き、わかる範囲で順番に番号をつけていった。印はラエルラ全体に綺麗に満遍なく散らばっている。
「日付もわかるところは書いておこう」
 そう言って、クルレイが日付を書き足した。改めて二人で地図を見る。
「この間俺の追っ手が殺されたのはここか……」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。それにしても綺麗に散らばってるな」
「うん。でも別に片っ端から殺してるわけじゃないみたい。それに一人しか殺してない」
「二人連れの場合もあったにも関わらず、な。何か意図があってやってるのか?」
「年齢とか性別ってわかったほうがいい?」
「わかるなら、それに越したことは無いが……」
 クルレイの言葉を聞いて、ピスタチオが立ち上がった。
「調べてくる」
「どうやって?」
「雑貨屋さんに聞いたらたぶん知ってるよ。あの人、そういうこと詳しいし。事件好きなんだよね。おれ行ってくるから、その間にクルレイさんは本でいろいろ調べてて」
「あ、おい」
 ピスタチオは慌しく教会を飛び出していった。
「せっかちだな。……線でも、引いてみるか」
 残されたクルレイは古い順番に線を引いた。だが何も浮かび上がらない。
(順番に意味は無いのか? そもそも、殺人鬼の犯行に意味を見つけるほうが間違っているのかもしれないな……)
 だが意味が無いとするとそれこそピスタチオが今までやってきたように闇雲に探さなければならなくなる。その確立は低い。それを避けるためにクルレイとピスタチオは殺人鬼が次に現れる場所を特定しようとしていた。
(日付もてんでバラバラだ。統率性がない……。こんなことは仕事でやってたときからわかってたことなんだがな)
 仕事のために調べたことをもう一度洗いなおす。あの時は殺人鬼の犯行に意味は無いと見極め、全ての重役が徹底的な警戒をすることになった。もっと多くの人で考えて出なかった答えは無いと思っていいのかも知れない。あったとしてもクルレイとピスタチオだけでは見つからないのかもしれない……。
(……意味がないのなら、単純に足がつかないように位置を移動しているだけか? 殺人鬼の動機は何だ? ただ人を殺したいのか? だとしたら心臓を抜くのはただ、自分の犯行だと世間にわからせたいだけになる。あとは犯行の記念品、か。……何故心臓なんだ? 綺麗に心臓はくりぬかれているが、心臓でなければいけない理由があるのか?)
 そこに何か手がかりがあるのかもしれない、とクルレイは本を調べだした。
(心臓、心臓……病気、身体関係の本から調べるか)
 だが手がかりは見つからなかった。

 ピスタチオが戻ってきて地図に年齢と性別が加わった。しかし新たな手がかりは見出せない。日付だけが過ぎていく。何度か夜街へ出たが、全てからぶりに終わった。クルレイが追っ手に見つからなかったことだけが幸いといえよう。
 二人が手をこまねいているうちに新たな犠牲者も出た。警備隊も裏の重役達も何もできていないらしい──。
「しんだ人につながりもない。日付もバラバラ。場所もめちゃくちゃ。順番に意味があるわけでもなさそう……もう頭痛くなってきたよ」
 ピスタチオが机につっぷしたままぼやく。その横でクルレイは被害者の名前を羅列してみたり、年齢順に並べてみたり、男女別にしてみたりしていた。もうやけくそに近い。
「クルレイさん、どう?」
「名前からは見つからないな。上流区下流区も混ざっていて、つながりがまったく見えない」
「そっかぁ。やっぱ勘で探すしかないのかなぁ」
「勘で探すにはラエルラは広すぎる」
「そうだよね。あーあ……」
(次は場所で調べてみるか)
 被害にあった場所別に並べてみる。最初に教会から始まって、次に路上、民家……。
「教会が三件、民家が五件、路上が十件……」
「殺人鬼ってこれ全部心臓抜いてるんだよね?」
「そのはずだ」
「処理、どうしてるんだろー……」
「埋めてるんだろ」
「……食べてる、とかは?」
 ピスタチオの言葉に背筋がひやりとした。同時に何かがひらめくものを感じる。
「まさかねー」
「いや、一理あるかもしれない」
「え?」
「心臓を食べる……。悪魔信仰だ」
 知識の中で埋もれていたものを掘り起こす。一般に広まっている宗教についての本を棚から取り出した。分厚その本をめくり、心臓を掴む悪魔の絵が描かれているページを開く。
「あった。心臓をつぶすのは悪魔に魂を売った証拠。その者の心臓を悪魔が食べた、つまり悪魔と契約していたということの表れだ。それが転じて、他の者の心臓を食べることが悪魔に近づく行為だということを悪魔信仰は説いている。悪魔信仰では最高の幸せが悪魔となることだと言われている」
「じゃあ、殺人鬼は……」
「悪魔信仰者……かもしれない」
「なんかその本にもっと手がかりないの!?」
「ない。悪魔信仰は異宗教の中でも異端だ。忌むべきもの、と書かれているだけで詳しいことは書いていない」
「そんな……」
「だが悪魔信仰者だと仮定すれば少しは進展する」
「え?」
「教会が三件あっただろ? 教会側は悪魔信仰者だとうすうす感づいてるかもしれない。だがそれを隠している。何らかの理由で。……シスターが知っているかもしれない」
 光が見えた。

 シスターに悪魔信仰について尋ねる。突然の質問に彼女は驚いたようだったが、すぐに今探している殺人鬼に関係することだと気づいて答えてくれた。やはり教会側は殺人鬼を悪魔信仰者だと認識しているらしい。
「最初に殺されたのは上流区にある教会の神父でした。犯人は上流区の教会に通っていた人物でしょう」
「何故ですか?」
「その神父が報告していたからです。どうやら自分の教会に通う信者の中に信仰心の揺らぐものが居るらしい。今日そのものと対談する予定だ──その日に神父は殺されました」
「それを警備隊には?」
「言っていません。信仰心のある全うな信者の方が疑われるのを防ぐためです」
「それで犠牲者が増えても、ですか?」
「全ては状況証拠にすぎないのですよ……これはラエルラ中の神父とシスターが集まって決めたことです。私達はできるだけ犠牲者が少なくすむよう、祈ることしかできない」
「祈りは何も解決しない」
 きっぱりと言い切ったクルレイに、シスターはただ微笑みを浮かべただけだった。

 他にも悪魔信仰のことが少しわかった。心臓を食うのは月の満ち欠け・色と関係しているのだと。新月・満月のときには絶対に心臓を食わなければならない。また赤い色をしている時も食う。白い月の出ているときは食べないが、月が完全に隠れているときは悪魔が通っているときなので食べなければならない。
 調べると確かに新月・満月のときは全て犠牲が出ていた。だが一方で夜でもないのに食べられているときがある。そういう時は決まって新月と満月のちょうど中間当たり、晴れの日が続き、赤い月でもないときだった。
(癖になってるのか)
 心臓の味を覚えてしまったのかもしれない。その貴族は。
 また場所・食う心臓の持ち主についても決められている。新月の日は悪魔とのつながりが強くなり、悪魔にもっとも近づける日として聖なる者──つまりは儀式を受けた信徒──を聖なる場所──教会や個人礼拝堂──で食い、満月の日は悪魔とのつながりがもっとも弱いので、悪魔に近いもの──この場合は裏の住人と言われているらしい──を路上で食わなければいけない。他の日は特に制約もなく、自由だ。
(同じ場所ではいけない。前に食べたことのある場所が見えてもいけない)
 書き出した条件を目で追い、考える。
「満月、新月以外の日は無理だな。居場所を特定して探すのは」
「うん。そうみたいだね」
「反対に満月、新月の日なら多少は絞込みが効く……」
「次の満月がねらいめかな?」
「そうだ」
「満月の条件は……同じ場所ではいけない、前に食べたことのある場所が見えてもいけない」
「教会の周囲ではいけない。明かりがあってもいけない。人に食べるところを見られてはいけない。月が出ているときでなければいけない。……殺すところの制約は無いみたいだな」
「じゃあ、殺してから移動して食べることもできるんだ……」
「いや、それはしないだろ」
「どうして?」
「……すぐにわかる」
 ピスタチオが首をかしげた。クルレイは続ける。
「明かりがほぼ整備されている上流区で、満月の日に殺人は起こっていない」
「そうだね。じゃあ次の満月の夜、殺人が起こるのは下流区だ」
「ああ。そして今までの場所ではない……直接行って絞り込むか」
「あ、おれが行く。クルレイさんはしっかり休んでて。まだケガ治ってないし」
「頼むな」
「まかせてよ」
 ピスタチオは胸を張り、教会を出て行った。その間にクルレイは次の満月の日を調べる。
「明後日、か」
 もうあまり時間はなかった。