ラエルラの殺人鬼-5-


 クルレイは教会に帰り着き、帰宅していたシスターにまず事情を話した。シスターは服を血で染めて気絶しているピスタチオを見、悲しげな顔をしただけだった。シスターに指示されて、クルレイはピスタチオをベッドまで運ぶ。その間にシスターは少女を食事の席まで連れて行く。
 痛みを堪えつつ、ピスタチオをベッドに横たえた。中腰の姿勢のせいか再びめまいに襲われ倒れかけるが、なんとか踏ん張った。熱い息を吐く。そっと自らの肩に手をやった。弾は貫通しているようだが血はまだ止まっていない。
「クルレイさん」
 シスターの声に顔を上げた。
「手当てをします」
「……お願いします」
 服を脱がされ、濡れた布でそっと拭かれた後、包帯が巻かれる。見事な手際だった。肩の傷のあと、腹の包帯も換えられる。治りかけの傷が開き、少し出血していた。
「クルレイさんは私の部屋で眠ってください」
 シスターにそう言われて、申し訳ないと思ったが拒否することはできなかった。拒否しても無駄だということはもちろん、意識が途切れ途切れでうまくつながらなかったからだ。意見する気力もなく、それでも何とか自分の足でシスターに導かれるまま彼女の部屋のベッドに横になった。意識はすぐに深い眠りの淵へと落ちていった。

 どうやら熱が出てきたらしい、とクルレイはおぼろげに思う。熱に浮かされた思考の中で、熱が出たという考えをはじき出すのも時間がかかった。だが寝込んではいるものの、この教会にはじめて来たときの状況よりは良いようで、何度か目を覚ましてかゆを食べた。シスターが看病してくれているのも気づいている。
 とろとろと意識を溶かしながら「ピスタチオは?」とかすれた声でたずねた記憶もあった。「もう目が覚めていますよ」というシスターの声に安堵して、また眠りへと落ちていく。
 熱が下がったのは寝込んでから三日経った日の朝だった。
(腹が減ったなぁ……)
 天井を見上げながら、そんなことを思う。腹の痛みは寝ている間に取れたらしい。肩も大分良くなっている。
 と、視線を感じてドアへと目を向けた。ドアの隙間からのぞいている青い目が見える。クルレイと目が会うとその青い目はびくり、と一度ドアの向こうへ消えた。が、すぐに出てくる。クルレイの顔に思わず笑みが浮かんだ。
「ピスタチオ。なんか腹に溜まるもの、持ってきてくれないか?」
 明るく笑って言えば、ドアが静かに閉められる。聞きれられたかどうかはピスタチオがパンと具の入ったスープを持って戻ってきたのですぐにわかった。
 わずかに声を漏らしながらも上体を起こし、食事を取る。ちゃんととった食事は美味しかった。
「片付けも頼めるか?」
「……うん」
「ありがとな」
 そっと食器を手渡した。
「なんで」
「ん?」
「なんでそんなにふつうにしてられるんだよ……っ」
「……」
「おれが化け物だって、知ってるのに……」
 ピスタチオは顔をくしゃりと歪めて、今にもその目からは涙がこぼれ落ちそうだった。そんなピスタチオを見て、クルレイはそっと左手で茶色い頭をなでる。
「泣くな」
「っ……」
 ピスタチオは食器を持って、あわただしく去っていった。入れ替わりにシスターが入ってくる。出て行ったピスタチオをシスターは見ていたが、やがてクルレイに向き直った。
「目が覚めたと聞いて、包帯を替えにきました」
「はい」
 シスターに包帯を換えてもらう。包帯を換え終わるとシスターはまっすぐクルレイを見て言った。
「今も出て行くつもりですか?」
「……そのつもりです」
「そしてまた同じことを繰り返す?」
「……」
 痛いところを突かれ、クルレイは黙り込む。確かに外に出て追っ手に見つかればまた怪我をするだろう。追っ手に見つからずに逃げ切ったとしても、クルレイはもうまともな職につけはしない。荒っぽい仕事をして、また怪我をするのは目に見えていた。
「ピスタチオが守った命、大切にしてください」
 シスターがはっきりと拘束するかのように言う。出て行くな、という意図とそのさらに裏側に見え隠れする彼女の優しさが見えた。クルレイはうなずくことも出来ずに沈黙する。
「──ピスタチオが怖いですか?」
 話題が変わる。シスターはクルレイの返事も待たずに続けた。
「ピスタチオは怪我で死ぬことがありません。崖から落ちても、割れた陶器の破片で手を切っても、すぐに治ってしまう、と言っていました。実際にこけて擦りむいた怪我をみたことがありますが、一瞬で治りました。たまたま居合わせた信徒の方は『化け物だ』とまだ幼いピスタチオに言いました。ピスタチオの秘密をしった人はみな、人間ではない化け物だと言います。そしてピスタチオもそう思ってしまっている……。貴方もそう思いますか?」
「俺は」
「そう思うならそれは違います。ピスタチオは人間です。化け物じゃない。人間なんです……」
 肯定されることを恐れるかのように、シスターは畳み掛ける。言い切って、言葉を止めた。切なげに目を細めてうつむく。それは彼女自身の苦悩をしめしているかのようだった。
 思わず、クルレイは口に出していた。
「そう貴方も信じたいんですか」
 シスターがクルレイの言葉をかみ締めるように顔をしかめた。その反応にクルレイは自分の失言に気づき、彼女から目をそらす。
「──すみません。忘れてください」
「いいえ、クルレイさんの言うとおりです。私自身、ピスタチオは人間なのだと信じたいだけなのかもしれません。……そろそろ失礼しますね」
 シスターは唐突に逃げるように部屋を出て行った。取り残されたクルレイはため息を吐く。
(我ながら失言だったな)
 人間だと見てほしい、と叫びながら自分も人間だと見なければ、と思っていること。それに気がついて、つい事実を突きつけてしまった。貴方もそう出来ていないのだから、そう思えと一方的に言う資格はないのではないか──と。
(化け物……か)
 ふと思い出すことがあって、クルレイはそろりとベッドから出た。歩いて前に使っていた部屋──ピスタチオが寝ていた部屋でもある──に移動する。ベッドの隣の台の上にある絵本を取るついでに、こちらのベッドにもぐりこんだ。このほうがシスターにもいいだろう。
 ぱらぱらと絵本をめくる。前にこの本を少女に読んでやったとき、彼女が『これはね、ぴすたちおのお話なの』と話したことを思い出す。あの時は分からなかったが、ピスタチオの秘密を知った今、彼女の言葉の意味もわかった。
 これは神話を元にした絵本だ。主人公が悪い魔法使いを──人の魂を吸って命を延ばしてる者を、フェステを倒す本。吸魂者フェステは化け物であり、不死身だった。どんな怪我を負っても死ぬことがなく、その場で再生してしまう。その上とんでもなく強い。確かに不死身、という点ではピスタチオと通じる部分がある。神話の中のフェステは人の魂を源にして永遠の命を求めた。不死身の体を──。
 またフェステにちなんだ都市伝説も語り継がれている。こっちのほうがラエルラの住人には馴染み深いだろう。“化け物”である吸魂者フェステは夜な夜な人の魂を喰らうべく町をさまよう。出会った者は魂を喰われ命を落とす。倒そうと攻撃しても、すぐによみがえってくる。銃で心臓をぶち抜いても、フェステは倒せないと伝えられ、だから出会ったときはすぐに逃げること、とされていた。
 フェステはただの伝説ではない。多くの市民に広がっている宗教に根強く関わっているからだ。フェステは悪魔であり、異界に存在しているものだと多くの市民に信じられている。
 ピスタチオは化け物だろうか? フェステだろうか?
(フェステではない)
 クルレイは基本的にフェステを信じていない。神話は作り話だと思っているし、信仰心も薄い。フェステは架空の存在だ。
(では化け物か?)
 ピスタチオは少なくともそう思っている。
『人間って想像以上に簡単に死ぬんだよ?』
『人間は簡単に死ぬのに!!!!!!』
 今まで使われてきた言葉の端々にそれは感じられた。

 ──彼は化け物だろうか。
 化け物だ、と言い切ってしまうにはあまりにも人間らしい。笑う、泣く、怒る。今まで見てきたピスタチオが化け物だ、と言われてもいまいちピンとこないのだ。
 だが──……。

 クルレイはしばらく、悶々と考え続けていた。昼食と夕食をシスターに運んでもらい、食べる。彼女は先ほどのことなどまったく気にしていないかのように振舞っていた。
 たまに睡眠を取りながら、食事と睡眠以外のときはつらつらとピスタチオのことを考える。まだ体力が回復していないためか考えながらうとうとと眠るときもあった。夕食を取った後眠り、次に目が覚めたのは真夜中だった。
 喉の渇きを覚え、むくりと起きる。静かに水場へと向かい、水を飲んだ。またそっと部屋へ戻っていく。
 途中の廊下の窓から外を見た。今日はところどころ雲があるものの、それすら月を引き立て幻想的に見せている。月は少しかけていて、雲の隙間から見えるその姿はどこか遠く、美しかった。その月に誘われてふらりと外へ出た。裏口から外に出、月を見るために教会の正面へと移動する。夜の空気は適度に冷たく、それが清涼感をもたらしていた。
 何のさえぎるものも無い状態で月を見上げる。満月に近いが満月ではないその不確かさに強く惹かれた。
 無性に口さびしくなって、この間吸ったタバコの味を思い出す。だが今得ることの出来ないその味を思い、静かに息を吐いた。
 わずかな足音を聞き取ったのはその時だった。思わずそちらを向いたと同時に教会の影から現れた青い瞳と目があった──。
 青ざめて引き返そうと──逃げようとした相手の腕をつかんだ。こんな時間に出かけようとしていたピスタチオの腕を。捕まえられたピスタチオは尚も逃げようと暴れたが、やがて無理と悟っておとなしくなった。罰が悪そうにしょんぼりする。
「あんた、どうして……」
「月に誘われた」
「つき?」
 クルレイの言葉にピスタチオが空を仰ぐ。
「見事なもんだろ。そう言うお前こそ、こんな夜中にどこに行こうとしてたんだ?」
「……」
「黙ってたら分からないんだが──そうだな」
 クルレイは少し考えると続けて言った。
「夜の見回り……ってところか」
 ピスタチオが一瞬硬直する。
「図星か?」
「……なんでそう思うのさ」
「理由は三つ。一つは俺とお前が初めて会った時も真夜中だったこと。子供が出歩く時間じゃないのにな。二つ目はこの間銃声が聞こえたとき、夜で真っ暗な路地を迷いもせずに進んでいったこと。明らかに歩きなれてた。この二つを合わせれば、お前は夜頻繁に出歩いてるってことになる。で、三つ目だ」
 軽い口調が自然と重くなった。
「殺人鬼に殺されたやつを見てるとき。アレはいくらなんでも冷静すぎる。まるで、人が死んでるところを見慣れてるみたいだった。それで総合的に考えた結果、夜に出歩いて死に掛けてるやつとか助けてるんじゃないかって思った。どうだ?」
 説明すればピスタチオは硬直を解いて笑った。その顔にクルレイはつかんでいた手を放す。
「当たりだ。すごいな、クルレイさんは」
「シスターは知ってるのか?」
「気づいてると思う。でも何も言わないでくれてる。言っても聞かないって分かってるだけかもしれないけど」
「──どれぐらい、死人を見た?」
 ぐっとピスタチオが険しい顔をした。
「たくさん。数え切れないくらい。いつの間にかウラに行っちゃったこともあって、しゅくせい、って言うの? たくさんの人が殺されてた……。でもなんともなかったんだよ? 別に怖くも無かった。平気だったよ」
「……」
「はじめはさ、もっと助けられるって思ってたんだ。でも、ぜんぜん助けられなくて……」
「もういい。もう言うな」
「前に、夜熱出したやつがいて、熱さましをお医者さんにもらいに行ったことがあったんだ。シスターはそいつから離れられなくて、夜中で怖かったけどおれが行った。すっごくドキドキして。でも何とかお医者さんに薬貰って、帰るとき。その時におれよりずっとちいさいやつが道のはしっこでうずくまってるの見て」
 クルレイが止めても、こぼれだした言葉は止まらない。ピスタチオの声が震える。
「何してんだろ、って思った。がりがりだったし。ぼろぼろの服、着てたし。たった一人で、何してるんだろ。子供は夜中に出てちゃあぶないのに。だけど急いでたから。まっすぐ教会に帰ったんだ。おれの薬で熱はさがって……それからもう一度教会を出た。さっきのやつがどうしても気になって。つれて帰ってやったほうがいいんじゃないかって思って。だけど……そこ行って、話しかけて。反応無くて。寝てるのかなぁ、って思った。それで、起こそうと思って触ったら……」
 思い出したように、ピスタチオは自らの手を見た。開いていた手のひらを握る。
「さいしょに見たときに、話してればよかったんだ。その時にはもしかしたらっ……」
「もう、言うな」
 ピスタチオが涙を堪えるようにして、言葉を止めた。静かに体を震わせている。
「その時にラエルラの裏を知ったのか」
 嗚咽を漏らしたまま、ピスタチオはうなずいた。
 全部わかっているのだろう。倒れていた子供が、最初にピスタチオが見たときにはもう手遅れだったことも。もしかしたら、すらもありえないことも。それが下流区での孤児の現実だったから。
「今も、あいつが。あそこで。一人ぼっちで、死んでる気がして」
 見回らずにはいられなかった。
 ピスタチオが落ち着くまで待って、クルレイは口を開く。
「そうか……。だが今出かけるのは感心しないな。殺人鬼がそこらを出歩いてる」
「平気だよ。殺人鬼くらい」
 忠告はさらりと流された。その言葉の裏を読み取って、クルレイは眉を寄せる。
「むしろ殺人鬼と鉢合わせするのが狙いか?」
「……」
「止めてとけ、危険すぎる」
「おれは死なないから大丈夫だよ。それに、おれが殺人鬼捕まえられれば、一番いいんだ。死ぬ人ももうでないし」
「英雄にでもなったつもりか? いい加減にしろ。お前は何も出来ないんだぞ」
「わかってるよ!! ……おれは、何も出来ない。英雄でもない。ただの、ただの……化け物だ」
 ピスタチオが声を荒げ、悔しそうに歯をかみ締めた。
「化け物のくせに何も出来ない!! 争いごととめられるだけの力があれば、もっとたくさんの人を助けられたのに……」
「ピスタチオ」
「だけど化け物のおれにも出来ることがあるんだ。殺人鬼に殺されても、おれは死なない。死ななければいつかは殺人鬼をつかまえられる。おれにも、できることがあるんだ」
「それは」
「もうほっといてよ!! クルレイさんはおれの気持ちなんか、わからないくせに!!」
 叫んで、ピスタチオは駆け出した。夜の街へと飛び出していく。
 置いていかれたクルレイは黙ってピスタチオが去っていった方向を見ていた。今から追いかけることもできなくて、ぽつんと取り残されたまままた空を見上げる。

 満月にはまだ少し遠い。