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まっすぐ前を見て歩いていく。振り返らない。振り返ったら、戻ってしまいそうだから。 祈るような気持ちで先を急いだ。教会から出てくるのを見られれば、ピスタチオ達にも被害が及ぶかもしれない。それを避けたかった。 建物の間から見える教会の十字架が見えなくなるところまで歩いて、クルレイはようやく振り返った。見えない教会に目を凝らす。 ひたひたと近づいてくる気配に気づきながら、クルレイは足を動かさなかった。 もう終わりにするべきだ。そう思っていた。ピスタチオに助けられた、あの日の晩と同じように。 「クルレイ・ラバード、だな?」 名を呼ぶ声に、クルレイはそちらを見た。そこには異様な雰囲気の男達がずらりと立っていた。 「ああ、そうだ」 「用件は分かってるよなぁ」 先頭に立つ男──頬に傷があり、ひょろ長い男だ──が薄ら笑いを浮かべて言う。 「ああ」 「なら話が早い。我らが主はお怒りだ。しくじったお前を始末しろ、とさ」 「俺だけを、か」 「ああ、お前だけをだ。相棒に裏切られたようだなぁ、クルレイ? 事務所に戻ろうって思っても無駄だぞ。こっちでもう処分したからな」 「そりゃ助かる。無駄な手間が省けた」 あくまでクルレイは平然と返した。うろたえても男達を喜ばせるだけだと知っているから、極力感情を抑える。 話している間にいつの間にか取り囲まれていた。これで逃げられなくなった、と他人事のように思う。 「そんなにぴりぴりしなくても、俺は逃げないぞ」 「覚悟はしてるということか」 「もとから逃げ切れると思ってなかっただけだ」 裏の世界の大物に恥をかかせて、無事でいられるなんて思っていない。裏に足をつっこんだときから、そんなことはわかっていた。悪あがきをしてただけだ。そしてそれももう終わる。 一番背の低い男が腰にさげていた銃をとり、銃口をクルレイに向けた。額をぶち抜くような位置に。 「いいだろう。その潔さと、今までよく逃げたってことに免じて一発でやってやるよ」 「ありがたいな」 クルレイは口の端を少し上げる。 男達は静まりかえっていた。誰も野次を飛ばすものはいない。 「相棒に伝えたいこととかあるかい?」 タバコをくわえた男の一人が尋ねてくる。クルレイはすぐに口を開き、だが首を横に振った。言葉を吐くかわりに男の吸っているタバコに目を留める。 「それよりも、一つくれないか」 「お、いける口か? 惜しいね。喫煙仲間が減るのは」 男は冗談めかしてそう言い、タバコを一本、マッチを一箱、クルレイに渡した。マッチをすり、クルレイはタバコに火をつける。 一息吸い込めば、懐かしさが胸にしみた。 家にいるころ、父のタバコを吸ったこと。はまりかけたが、父が止めたのに伴って禁煙したこと。思い出がよみがえる。 クルレイは紫煙をくゆらせた。 「気がすんだか?」 「ああ」 頬に傷がある男の催促に、まだ長いタバコを地面に捨て踏みつける。ガチャリ、という音が聞こえて、クルレイはゆっくり目を閉じた。 「じゃあな。クルレイ・ラバード」 引き金が引かれる──。 「クルレイっ!!!」 銃声が響く。肩に焼け付くような痛みが走った。衝撃によろめくが、すぐに足を踏ん張る。血の流れる肩を掴み、クルレイは目をあけた。 誰かが男ともみ合っている。それが誰かわかった瞬間、クルレイは目を見開いた。金髪の少年が──ピスタチオが、男の腕に掴みかかっていて。 「こいつっ!!!」 男がピスタチオを振り払おうと腕を回す。銃声が何発か響き、男の仲間が距離をとった。それでもピスタチオは男の腕を放そうとしない。 「……ピスタチオ、お前」 クルレイは肩の痛みも忘れて唖然と目の前の光景を見つめていた。 「このガキ!」 「なんで殺そうとするんだ! 何でっ!!!」 腕につかまりながら、ピスタチオが叫ぶ。 「人間は簡単に死ぬのに!!!!!!」 男がひときわ勢いよく腕を振り払った。ピスタチオが地面に叩きつけられる。眉を吊り上げた男は間髪いれずに銃口をピスタチオに向けた。 「っ! 待てっ」 クルレイが止める間もなく、銃弾は放たれる。びくり、と一つ跳ねたきり、ピスタチオの動きが止まった。 「ピスタチオ!」 青ざめたクルレイがなりふり構わずピスタチオに駆け寄る。銃弾は血管にあたったらしい。赤い血が大量に噴出していた。 「気の毒だったな。お前にかかわったばっかりに」 男の声を聞きながら、クルレイはうつむく。 (そうだ。俺に関わったお前が悪い。……俺の、せいで) 「ぴすたちお?」 舌足らずな声がして、はっとそちらを見た。男達の向こうに少女が立っているのを見つける。出掛けに見た少女だ。ついてきてしまったらしい。 彼女はきょとんとした顔でピスタチオを見た。何が起こったのかわかっていないのだろう。 男達の目が少女へと向く。咄嗟にクルレイは男達の合間を抜け、少女と男達の間に体をねじ込んだ。男を鋭くにらむ。 「この子は関係ないだろう」 両者の間に火花が散った。 「ぴすたちお?」 緊迫した空気の中、少女は相変わらず動かないピスタチオを見つめている。クルレイの後ろから手を伸ばすのを、クルレイが止めた。 「ぴすたちお」 「行くな。俺の後ろにいろ」 「ぴすたちお」 何度も何度も少女はピスタチオを呼ぶ。クルレイは近くで発せられる言葉に耐え切れず、視線を落とした。 「ピスタチオはもう……」 苦く言う。クルレイの言葉に少女は首を傾げ、その後ついにするりとクルレイの背後から出て行く。慌てて止めようとしたクルレイは男に銃口を向けられ、動きをとめた。 少女がピスタチオに駆け寄る。倒れているピスタチオの体をゆすった。 「ぴすたちお」 無邪気にピスタチオを呼ぶ。 「ぴすたちお、起きて」 クルレイは少女の声を耳に入れながら、向けられている銃口を見つめていた。にらみ合いがまたはじまっている。 「ぴすたちお」 少女がまた名を呼んだとき、男達がざわめいた。唐突なざわめきに、にらみ合っていた両者もそちらを見る。クルレイがぎょっと目をむいた。 倒れていたピスタチオの手が上げられ、少女の頭を撫でている。少女が満足そうに笑う。 「ぴすたちお」 「ついてきてたのか?」 ピスタチオが上体を起こした。胸にははっきりと赤い跡が残っている。 誰もが動くことも出来ずにピスタチオを見つめていた。 (生きているはずがない。さっきは確かに死んでいた) 平然と立ち上がれるわけなんて。 ピスタチオは立った。怪我なんてしていないかのように、普通に立ってあたりを見回した。──血の跡はついているのに。 はじかれたかのように男達が一歩下がる。ざわめきが大きくなる。 「ば、化け物!」 誰かが最初に叫んだ。するとピスタチオはそちらに顔を向けると自嘲のような、笑みを浮かべる。 「そのとおり。おれは化け物だよ」 「ふぇ、フェステだ」 誰かが呟く。 「フェステだっ!」 それは叫びに成り代わり、やがて全体が恐慌状態に陥った。 「吸魂者フェステだっ」 「魂食われる!!! 逃げろっ!」 「いやだオレ死にたくないーーー」 「あ、おい待て。逃げんじゃねぇっ」 銃を持っていた男が止めようとするが、もう遅い。男達は一斉に散り散りになって逃げ出した。ただ一人残された男も後を追いかける。 それを見送るピスタチオと少女、そして唖然とピスタチオを見つめているクルレイだけが残った。 ピスタチオはクルレイを見る。青と黒の瞳が交差する。 クルレイが唇を震わせながらも言葉を吐いた。 「ピスタチオ、お前……」 漠然と吐かれた言葉に、ピスタチオが顔をゆがめる。それは酷く大人びた苦笑だった。 「どうして──」 更に問おうとしたクルレイの言葉を銃声がかき消した。 ピスタチオがはっとそちらを見たかと思うと、ためらいもせずに走り出す。 「あ! おい、ピスタチオ!」 クルレイはその後を追おうとし、だが少女の泣き声で足を止めた。ピスタチオに置いてきぼりを食らった少女がかんしゃくを起こして泣き始めている。 慌ててクルレイは彼女を抱き上げ──肩に痛みが走ったが、我慢した──ピスタチオを追いかけた。 日はもうすっかりと落ちて、夜が広がっている。街灯もなく視界が悪い中、ピスタチオはためらうことなく路地を進んでいった。入り組んだ路地の先には男が一人、倒れていた。ピスタチオはすでに男の前で足を止めている。クルレイは不穏なものを感じて、少女を大分離れた場所で降ろした。 「ここで待ってろ」 できるだけ穏やかに言いつけると少女は目に涙を溜めつつもうなずく。 ついでに軽く撫でてやり、それから倒れている男へと近づいた。ピスタチオの隣に並ぶ。 近くで見ればそれは明白だった。クルレイは目を閉じ、短く祈る。 男は先程の連中の中に見た顔だった。おそらく散り散りになって逃げ、ここにやってきてズドン、と。即死だったのだろう。額に一つ風穴が開いている。そしてもう一つ、胸に空洞があった。心臓がくりぬかれている。 「殺人鬼、か」 ため息と共にちらりとピスタチオを横目でみた。子どもには刺激が強すぎると思うのだが。 「どうして」 クルレイが思ったことを見越したかのごとく、地を這うような重たい声をピスタチオが発した。目にははっきりと怒りの炎が表れている。 「どうしてこんなことできるんだ。人間は簡単に死ぬのに」 先程も同じようなことを聞いた。先程だけではなく、前にも。言葉はピスタチオの何かをはらんでいるような気がして、クルレイは眉を寄せる。何かが深く、根を張っている。 その時、ふらり、とピスタチオがよろめいた。慌てて手を伸ばして受け止める。顔を覗き込むと青ざめていた。貧血で意識を失ったらしい。だが……生きてはいる。クルレイはつい視線を落とした。ピスタチオの胸のあたりに血のあとがある。しかしもうその血は流れていない。止まってしまった。どうして──。 くらり、とめまいに襲われてクルレイは考えるのを止めた。クルレイ自身も大分無茶をしている。新しく怪我を負った肩は燃えるような痛みを発している上、治りかけの胸の傷がこちらも忘れるな、と自己主張を始めていた。これは手当てしなければクルレイも倒れかねない。 追っ手であった男達は逃げてしまっている。ならば。 ふと少女の存在を思い出し彼女を見ると心配そうな顔をして、こちらを見つめていた。それを見て思わず表情をほころばす。 クルレイはピスタチオを無事なほうの肩へと担ぎ上げ、少女の手を引いた。 「教会に帰るか」 「うんっ」 少女がうなずく。クルレイはその小さな手を引いて、血なまぐさい場所を後にした。 |