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クルレイが教会にやっかいになってから一ヶ月が過ぎた。まだ追っ手はやってこない。 怪我のほうはというと、順調に快方に向かっている。左腕の包帯はすでに取れ、胸のほうも大分痛みは引いていた。今はピスタチオもクルレイが外へ出ることを認め、退屈なベッドの中から出ることも出来るようになった。 自分で胸の包帯をきつく巻きなおし、ベッドのそばに置かれている上着をとる。昔この教会にいた神父のものだという漆黒の穢れの無い上着だ。クルレイ自身の着ていた服は後でシスターに聞いた話だと血の染みが酷く、とても着れるものではないらしい。 クルレイはすっかり着慣れた服に袖を通した。 服を着るたびに思う。──そろそろ出て行くべきじゃないか、と。最初から怪我が治ったら出て行く約束だった。まだ完治はしていないが、このままではずるずると教会に居座ってしまいそうな気がする。たとえそうなってもピスタチオやシスター、教会の子供達はクルレイを昔からいた仲間のように受け入れてくれそうで、ますます危機感を覚えた。 (昔からここに、なんてありえないのにな) 思わず苦笑を浮かべ、自らの立ち位置を確かめる。錯覚を振り払おうと生い立ちを思い起こすのは何度目だろう。 家は貧しく、兄弟は多かった。クルレイはちょうど上から三番目で、稼ぎ手として家に残ることと自分にかけられる金額──主に食費だ──を天秤にかけた結果、思春期のころには家を出たのだ。 はじめは一人で必死に汗水流して働いて、そのうちに情報を集められるぐらいの人脈を得て、彼女と仕事を始めた。 彼女の姿を、しぐさを鮮明に思い出す直前でクルレイは思考を切った。 (俺は昔からここにいたわけじゃない) ゆっくりと足元の地面を踏みしめる。この教会にいるのは分不相応だ。そうとでも思わなければ、暖かく包み込んでくる日常におぼれてしまいそうだった。おぼれれば、その先に待っているのは──。 コン。 小さな、控えめなノックの音が耳に届く。ちょうどよくやってきた暖かい日常に、クルレイはまぶしそうに目を細めた。口元が少し上がる。 「入って良いぞ」 できるだけ優しく声かけると、ドアの隙間からそろそろと幼い少女が顔を出した。耳の下でざっくりと切られたまっすぐな金髪。頭のてっぺんには赤いリボンが飾られている。少女は大きなくりくりとした茶色の目でクルレイを見た。 そしてトテトテ、と少し不安げな足取りでクルレイの元へ来ると、両手いっぱいに抱えていた本をクルレイに差し出した。 「ごほん、よんで」 「また先にとられたのか?」 クルレイの問いに、少女は小さく首を振った。 この教会に住んでいる者の中で字が読めるのはピスタチオとシスターとクルレイ、それに子供達の中で少しばかり年嵩の数人だけだ。そこでまだ本を読めない子供達はその読める者達に本を読んでくれるよう頼む。人気があるのはピスタチオとシスター、次に年嵩の数人で、それにもあぶれてしまった子供がクルレイのところに来るのが恒例だった。そしてこの少女は少し引っ込み思案なのかほぼ毎回読み手競争にあぶれ、クルレイのところに来ていた。 が、今日はあぶれたからクルレイの元へねだりに来たというわけではないらしい。 「……とられてないのに、俺のところきたのか?」 「おにいちゃんに、よんでほしいの」 「俺に?」 「うん。……ダメ?」 珍しい子もいるものだ、とクルレイは思った。自分が子供に懐かれる性質ではないことを良く知っているからなおさらだ。現にクルレイが怖いのか、子供達は遠巻きにクルレイを見ているばかりでほとんど近寄ってこない。ピスタチオがあまりクルレイと遊ぶな、と子供達に言ったからかもしれないが。 なんとなく、少女の姿が昔の情景に重なった。下から二番目の妹。末っ子はかなりちやほやされていたのだが、それが結果としておとなしく聞き分けのよい彼女が甘える機会を減らしてしまった。面倒見のいい一番上の兄や姉と他の兄弟が遊んでいる様子をよく一人で眺めていたものだ。そしてそんな彼女もクルレイの元へ来ていた。少女と同じように、本を読んで、と。 (しばらく帰ってないけど元気かな) それを懐かしく思いながら、「貸せ」と本を少女から受け取り、読んでやった。 自分でもうまいとは言えない朗読だと思う。だが少女はこんな朗読でも目を輝かせながら絵本に見入ってくれた。 「『こうして悪の魔法使いは倒れ、世界に平和が戻りましたとさ。めでたしめでたし』」 最後までぶっきらぼうに読みきって、本を閉じる。 「おにいちゃん、よんでくれてありがとう。あ、おにいちゃんしってる?」 「何を?」 「これはね、ぴすたちおのおはなしなのよ」 「……これのどこがピスタチオのお話なんだ?」 誇らしげに言った少女に、クルレイが怪訝な顔で尋ねる。 「ぜんぶ」 「全部?」 「うん。ぜぇんぶ、ぴすたちおのおはなしなの。すごいねぇ」 クルレイは絵本の表紙に目線を落とした。表紙は鮮やかな、抽象的な絵柄で描かれている。そこに描かれている主人公を見たが、ピスタチオには似ても似つかない。 「あ。よんでるからもう行くね。ごほんよんでくれてありがと、おにいちゃん!」 「……あ、ああ」 他の子供の呼ぶ声にこたえて、少女が部屋を出て行く。一人部屋に残されたクルレイはもう一度絵本を開いた。 この絵本は神話を子供向けの絵本にしたものだ。魔法使い──何でも風やら火やらの自然現象を操れたらしい──などという架空の胡散臭い職業が出てくる話だった。悪の魔法使いを、これまた魔法使い、ただし見習いの主人公が倒しに出かける。そして悪の魔法使いを倒してめでたしめでたし、といった内容だ。登場人物の姿、性格、何もかもピスタチオに関係するようなものは一つとしてない。 クルレイは絵本を持ったまま、首をかしげるしかなかった。 +++ さらに数日後。クルレイはピスタチオと一緒に市場にきていた。太陽はすでに西へと傾きかけている。 シスターは現在、ラエルラで一番大きい教会に緊急の会合へ出かけていていない。帰りは夜になるだろう。だが今日中に取りに行かなければならないものがあり、ピスタチオ一人では困難だったためクルレイが一緒に来たのだった。 ピスタチオはなんだかむくれている。出掛けに散々、まだクルレイは怪我人だといって外に出ることに反対していた。が、結局押し切ってしまったためだろう。 確かにピスタチオの言い分は正しかったが、クルレイとしても世話をされてばかりで申し訳なく思っていたのだ。そこに生じた問題だったのでつい、手伝うと言い張ってしまった。もちろんそれを後悔はしていないのだが。 教会の敷地から出るのは久々だった。いつもの黒い服を教会の使いとも見えるようにちゃんと神父の服として着ているからか、身が引き締まる気がしている。雑踏の中を歩くのも市場のざわめきを感じるのも新鮮で、すがすがしい。わだかまっているものが晴れる気がする。 雑貨屋で品物を受け取った。店主に「新しい神父さんかい?」とたずねられて苦笑する。どう答えたものかと迷っているとすぐに店主が続けた。 「そうそう、あんたんところも気をつけたほうがいいぞ」 「何かあったのか?」 「殺しだよ。こ・ろ・し」 店主が声を落として言う。聞いていたピスタチオが口を挟んだ。 「そんなの、ウラじゃ珍しくないじゃん」 「それがな、この殺しはちょっと普通の殺しとは違うんだ」 「……どう違う?」 「上流区の神父さんがが殺害されるところから始まって、続いて上流区の貴族が何人か殺害される事件があったろ?」 クルレイが眉を寄せた。 「殺人鬼騒動、か」 「そう、それだ。で、なんでもそれが下流区にまで広がってるとかで、大騒ぎだ」 「何で同じ殺人鬼が殺した、なんてわかるの? 上流区はそうだとしても、下流区だとウラとか何とかでただしかえしされただけかもしれないよ?」 「それはな──」 「心臓だ」 「「え?」」 ピスタチオの質問に答えようとした店主の言葉をさえぎり、クルレイが言った。 「やつは死体から綺麗に心臓だけをくりぬいていく。だから、その鮮やかさを見れば分かる」 「よく知ってるな、神父さん」 「……聞きかじっただけだ」 「まぁともかく、あんまりちみっこを出歩かせないよう気をつけな。殺人鬼が出るのは主に夜だが……たまぁに昼でも出るみたいだからな」 心臓をくりぬく、と聞いて身震いしたピスタチオは青い顔でしっかりとうなずく。 クルレイとピスタチオは両手に品物を抱えながら、雑貨屋を後にした。雑踏を歩きながら、ピスタチオが口を開く。 「殺人鬼、か」 「ん?」 「きっと、わかってないんだ。人間はすぐ死ぬってことが」 それは独白めいていて、クルレイがたずねる余地はない。それでいてやるせなさやら仄かな怒りやらが含まれていた。 何もいえないまま、クルレイは一度ピスタチオのほうに向けた視線を正面に戻す。 と。 目があった。 相手はクルレイの存在に気がついたかのように目を見開く。その表情に突き動かされるようにクルレイは走り出していた。 「え!? クルレイさん!?」 驚きの声がピスタチオから発せられる。彼が背後についてくるのを感じながら、クルレイは迷いもせずまっすぐ教会へと帰った。教会に帰り着き、ようやく足を止める。手に持っていた品物を礼拝堂にある机の上においた。 「クルレイさん、どうしたのさいきなり走り出して」 追いついてきたピスタチオがクルレイの隣で息を切らしながら、品物を置く。 クルレイは答えられなかった。肩を上下させて息を吐く。自然と手は胸の辺りに触れていた。少し走っただけでズキズキと痛む。やはりまだ外に出るべきではなかったか、と思い、それ以前の問題だと思いなおした。 前提から間違っている。クルレイは追われる身で、外に出るからには二度と教会に戻ってきてはいけなかった。それなのに、安易に外にでたばかりか咄嗟に教会へと戻ってしまった。 気をつけていたつもりだった。日常におぼれないよう、油断することのないように。だが、この状態はどうだ。見事に平和ボケした結果じゃないか。──見つかるなんて。 クルレイはゆらりと背筋を伸ばした。 「行かなければ」 「……どこに?」 「もうここには居られない」 つい言葉を漏らす。するとピスタチオが目の前に立ちはだかった。 「まってよ。まだクルレイさんの怪我は治ってない。怪我が治るまでって約束だったでしょ」 「怪我は治った」 「治ってないよ」 「治った!」 荒く叫ぶ。視界の端で遊んでいた子供達がびくり、と動きがとめたのが見えた。 「どけ」 ギラリ、と目が光る。立ちすくんだピスタチオの横を通り、礼拝堂から出た。 空が朱色に染まっている。それは愚かな行動をとったクルレイを断罪する炎のようだった。思わず立ち止まったクルレイは、中庭で赤いリボンをつけた少女が他の子供達と花輪を作っているのに気がついた。彼女はクルレイと目が会うと微笑んだ。 その笑顔にまたクルレイは凍りつく。だがすぐにそれを溶かして、笑みを返した。そのまま歩き出す。教会の敷地外へ通じる小道にむかって。 手に届くところにある平穏を、捨てることを決めながら、それでもクルレイは後ろ髪が惹かれるような思いがしていた。 |