ラエルラの殺人鬼-2-


 ふっ、と薄暗い部屋の中で男は目を開けた。ずいぶんすっきりしている。区切りの良いところまで寝たからだろうか。男は傷に障らないように注意深く起き上がった。気をつけたつもりでもじくじくと感じる痛み。まだ完治には程遠い。
(今は何時だ?)
 もう太陽が落ちていることだけは分かったが、細かい時間は検討がつかない。長い眠りの中で時間の感覚が狂ってしまっている。
 シスターは自分が五日眠っていたと言った。ずいぶん長く眠っていたものだ。それを意識すると空っぽの胃が食べ物を求めてきて、男は腹を押さえた。薄暗い室内を見回すが、もちろん食べ物はない。代わりといっては難だが明り取りのランプを見つけた。
 電気はまだあまり普及していないため、ほとんどの家はまだランプを使っている。ランプの近くにマッチもあった。
 明かりをつけようと掛け布団を静かにめくり、筋肉に力を入れる。が、すぐに痛みが走ってそれを止めた。あまり無理をしないほうがよさそうだ。
 掛け布団を腰あたりまで引き上げて、薄暗い部屋に目を凝らす。眠ろうにも空腹で寝付けそうに無かった。
 手持ち無沙汰な状況で待つことしばし、ドアが静かに開けられた。向こうの部屋の明かり──だろう──がドアの隙間から差込み、男に当たる。
「あ、起きてたのか? ちょっと待ってて」
 ドアを開けたのは男をここまで連れてきた少年だった。男の目が覚めていることを確認した少年は嬉しそうに微笑み、顔を引っ込める。
 すぐにトレイをもって少年が戻ってきた。トレイの上には湯気の上がっているスープがある。少年はスープを一度机において、マッチを手に取った。シュッ、と擦る音がして、ランプに火が灯る。心なしか部屋が暖かくなった気がした。
「はい。まずは食事。おなか減ってるだろうってシスターが」
「悪いな」
 トレイごと受け取って、ベッドの中でスープを食べる。一口目が胃にしみた。これほどまでにスープは美味しいものだったか、と男は思う。あっという間にスープは食べ終わった。空の食器を少年に渡す。
 少年は食器を置くと、今度はズボンのポケットから包帯を取り出した。
「次。包帯かえるからちょっと我慢してよ」
「……わかった」
 手際よく少年が男の包帯を換えていく。いくら手際がよくても傷は痛んで、男は声を上げないように歯を食いしばっていた。
「よし、おわり」
 包帯を巻き終わり、男が力を抜いた。
「ありがとう」
「大分良くなったみたいでよかった。おれ、ピスタチオ。よろしく」
「クルレイ・ラバードだ」
 差し出された手を握り、ようやく二人はお互いの名前を知った。
「クルレイさん、ね。良くなったっていってもケガはまだひどいから、おとなしく寝ててよ」
「ここは教会か」
「うん。おれの住んでるとこ。まぁゆっくりしてってよ。ごはんとか寝るとことか気にしなくていいからさ」
 にこり、とピスタチオは笑った。その笑顔にクルレイは心が温かくなる。先ほど部屋が暖かくなったような気がしたのは彼の気遣いも影響しているのかもしれない。事情も聞かずに見ず知らずの自分を手当てしてくれたシスターとピスタチオの優しさをありがたく感じながら、クルレイは首を振った。
「そういうわけにはいかない」
「え」
「今日にでも出て行く」
「いや、だって傷が」
「我慢できる範囲だ。問題ないさ」
「……そんなに急がなくたって」
「俺が追われてたことはお前も知ってるだろ? 助けてくれたのはありがたいが、あまり長いをすると追っ手に気づかれる」
 言いながらも痛みを押してクルレイはベッドから出ようとしている。そこにピスタチオが立ちふさがった。必死にクルレイを止めようと怪我していない部分を押して、ベッドに戻そうとする。
「大丈夫だって。追っ手の奴らもあんたが教会にかくまわれてるなんて思わないよ。だから、さ。せめてケガ治るまでここにいなって」
「どけ。俺をかばえばお前らもただじゃすまないぞ」
「無茶して死んだらどうするんだよ! 人間って想像以上に簡単に死ぬんだよ!?」
 あくまで冷静に彼を退けようとするクルレイに、ピスタチオが叫んだ。突然の叫びに助けられたときを思い出し、クルレイは無理に行こうとするのを止めてピスタチオを見た。あの時と同じく、叫びは悲鳴のようだった。だが今度は真っ向から青い目を受け止める。また首を振れば、彼はくしゃりと顔を歪めた。子供らしくぽろぽろと涙を流すのかと思えば、そうではない。泣きそうで、だが泣かない表情のまま、目に涙をいっぱいためたまま、大人のようにこらえている。
「人間は、弱いのに」
 何でそれが分からないんだ。
 泣きそうなのに泣かないその表情にクルレイは却って参ってしまった。似たような表情を相棒も見せたことがあって、その姿に重なる。
 悔し涙、とでも言おうか。相棒であり、一番大切な相手でもあった彼女はよく一人で歯を食いしばっていた。クルレイに見せないように隠れて。クルレイも気づいていたが見せたくないのだとも分かっていたので気づかないふりをしていたものだ。何か自分に出来ればいいのに、とクルレイ自身も歯がゆさを覚えながら。
 その感情が思い出されて、クルレイは動けなくなってしまった。傷の痛みが──心の傷の痛みがぶり返してくる。それは息が詰まるほどの痛みで。
「怪我が治るまで」
 耳になじむようなやわらかい声に痛みが掻き消える。クルレイはわれに返り、いつの間にかドアのところにいたシスターを見た。ピスタチオも彼女を見ている。
「ここはピスタチオの言うとおりにしてあげてくれませんか? 貴方を助けた、ピスタチオの」
「……危険かもしれませんよ。追っ手がここまで来たときに、何があるか私にも分からない」
「大丈夫ですよ、きっと」
 慎重に反論したクルレイに対して、シスターがのほほんと笑って言った。
 その笑顔に決意をそがれて、クルレイはピスタチオを見る。彼は先ほどの顔もどこへやら、なにやらキラキラした目でクルレイに訴えかけてきていた。その瞳を見て、クルレイはため息を吐く。
 ピスタチオに助けられた。その事実にはどうしても弱くなりがちだった。
「怪我が治るまでだからな。治ったらすぐ出て行くからな」
「うんっ」
 ピスタチオが満面の笑みでうなずいた。

 シスターとピスタチオは食器と包帯をもって部屋を出て行った。クルレイはというと無理に動こうとしたためか体のほうの痛みがぶり返してきて、今はベッドで安静にしている。傷口が少し開いてしまったのか、換えたばかりの包帯に赤が染み出していた。怪我の完治はまだまだ先の話だ。むしろ治ったころには追っ手も諦めているかもしれないな、などと楽観的に思う。
(そんなこと、ありえないだろうけどな)
 裏のやつらはどこまでもしつこくついてくる。それをクルレイも知っていた。だがこの怪我ではうかつに動けもしない。クルレイにできるのは怪我が治るまで、せめてもう少し良くなるまで追っ手がこの教会に目をつけないよう祈るぐらいだ。自分のせいで誰かが巻き込まれて悲しい思いをするのはごめんだった。助けてくれたピスタチオ達に怪我を負わせたくない。
 一方で、親切にしてくれた彼らに失礼な仮定も頭の中では組み立てられている。彼らが実は追っ手の回し者だった場合──だ。そんなことは無いだろうとは思っているが、もしそうだったとしても動揺することなく、冷静に逃げられるようにそんな考えもめぐらせている。もっとも、実際そうだと知ったときに冷静に行動できる自信はまったく無かったが。
 しばらくベッドでじっとしていると、また眠気がやってきた。目がしょぼしょぼしてくる。
『眠くなったらちゃんと寝ないと、寝られなくなるのよ。知ってた?』
 こんなときに限って彼女の言葉を思い出してしまう。いや、どんなときでも彼女の言葉、しぐさ、話し方、好きなもの……は思い出すことが出来る。今は、まだ。
 つい思い出してしまって切なくなって、クルレイはその切ない気分のまま目を閉じた。そして相棒と仕事をしていたときの夢を見た。

+++

 クルレイがベッド中心の生活を始めてから一週間ほど経った。まだ追っ手はやってこない。相手も教会にクルレイがいるとは思っていないのかも知れない。
 怪我は少しずつ良くなっているクルレイだが、まだ動くと痛みが伴う。最初のころなどトイレに言って帰ってくるとすでに包帯に血がにじんでいた。そのころよりは良くなった、とは確実にいえるのだが。
 ともかく暇である。ものすごく暇である。もうベッドの中の生活も飽き飽きしていた。
 ベッドの横の台には本が何冊も置かれている。シスターとピスタチオがクルレイのために持ってきてくれた本だ。一日に少しずつ読んでいる。まだ読んでいない本もある。が、娯楽が本ばかりというのもあまり楽しくなかった。
 窓から差し込む陽光はやわらかく、クルレイを誘っているかのようだ。ベッドが窓際にあれば、外の景色も見れてもう少し暇もまぎれるだろうに、とクルレイは思う。かろうじて見える空はすがすがしいばかりに青い。その青の下の景色を想像する。子供の声が聞こえてくるから、きっとピスタチオが子供達と一緒に──教会では身寄りの無い子供達が育てられている──遊んでいるんだろう。一面緑の地面の上を楽しそうに駆け回る子供。心地よい風が吹き抜けて、木々の葉を揺らしていく。そんな外を歩けたら。
 ……歩きたい。
 外に、出たい。
「シスター」
「何ですか?」
 昼食の入っていた皿を片付けに来てくれたシスターに、声をかけた。
「外出てもいいですか?」
「……怪我はまだ痛みますよね?」
「でも大分良くなりました」
「出たいんですね、要するに」
「……はい」
 クスリとシスターに笑われてしまう。クルレイは顔に手を当てた。出たいのは事実だが、聞き分けの無い子供のようで恥ずかしい。
「無理をしなければいいと思いますよ。子供のように走り回ったりしなければ」
「わかりました」
 シスターが皿を持って去っていく。
 それを見送ってから、クルレイは掛け布団を跳ね上げた。つい勢いをつけすぎて傷に障り、顔をしかめる。そこから先は細心の注意を払ってベッドから出た。立って歩くと強張った足がすぐに柔らかくなる。近くのトイレまでしか歩いていなかったので、足の感覚がなにやら不思議な感じだったがじきに慣れた。
 部屋を出ると細い廊下に出る。すぐ近くのドアはトイレに通じるドアだ。その先にも二つのドアがあり、一番奥がシスターの部屋だと聞いている。それより手前のドアを出た。とたんに今までと比べ物にならないほど広い部屋に出る。礼拝堂だ。
 石を彫って作られた、細密な模様のある大きな十字架がドアを出てすぐの壁に沿って安置されている。十字架をはさんで向こうにあるのはオルガンだ。そして十字架とオルガンを正面に長椅子が十ばかり置かれている。長椅子がある場所から少しはなれた壁の凹んでいるところに長机といすがあった。本棚もあるそこは子供達の遊び場なのかもしれない。数人の子供達が本を読んでいる。
 礼拝に来ている人は誰もいなかった。どうやら今日は安息日ではないらしい。
 礼拝堂の出口は十字架からまっすぐ行った場所にあった。他のドアより大きく、両開きになっていて、ドアというより扉というのがしっくりくるものだった。その扉を開けると──少し重くて傷が痛んだが──日の光が降り注いできた。久しぶりの外の光に手をかざして影を作りながら、外に出た。
 そよ風が吹き付けている。太陽の光が暖かい。外の光にも直になれて、クルレイは外の様子を見回した。
 この教会は建物の間にあるらしかった。礼拝堂から出てると中庭があり、正面には何かの建物の裏が見えている。ぐるりと辺りを見回してもそれは同じで、通りに直接つながっていないようだ。唯一出入りできる場所が建物に囲まれた角のところにある小道らしい。あそこから外に出るのだろう。こういう立地条件だからこそ、追っ手はここを見つけていないのかもしれない、とクルレイは思った。
 中庭には花が咲いていて、草もしっかりと根付いているようだ。巨木とはいえないが幹のしっかりした木が一本生えている。その木と教会の間にシスターが洗濯物を干していた。
 ピスタチオが彼より小さい子供達と一緒に遊んでいるのが見える。その様子を見ながら、礼拝堂の出入り口の段差に腰を下ろした。動いたためにジィンと痛む傷も今はあまり気にならなかった。
「あ、クルレイさん」
 ピスタチオと目が合い、彼がクルレイに気づく。子供達に二言三言言ったかと思えば、すぐに駆け寄ってきた。
「外出て大丈夫なの? なんかちょっと辛そうだけど……」
「まだ少し傷は痛いな。でも部屋の中にじっとしてるってのもあんまり体に良くないからな」
「ダメだよ。まだ治ってないなら外に出たら。危ないかもしれないじゃん。人間って弱いんだからね。ケガ甘くみちゃダメだよ」
 心配性なのか、ピスタチオが神経質にクルレイへと注意した。その神経質さにクルレイはうっすらと眉間にしわを寄せる。が、すぐに苦く笑った。
「わかった。もう部屋に戻る」
「送ってく?」
「いや、いい。これぐらいは大丈夫だ。それよりほら、呼んでるぞ」
 子供達のほうを指差してやる。子供達がピスタチオの名前を呼んでいた。
「あ、ホントだ。んじゃおれ戻るけど、気をつけてよ?」
「ああ」
 ずいぶんと過保護だな、とクルレイは笑う。
 ピスタチオは子供達のもとへ戻っていった。子供達の輪に入り、遊び始める。

 ああしていれば普通の子供なんだが。

 たまにクルレイがはっとするぐらい大人びた表情を見せたり、神経質になったりする。それがピスタチオ本来の年齢と酷く不釣合いで、あっていないように感じていた。だが具体的にどこがどう違うかなどを言えるわけでもなく、大人びているだけなのだろうとも思える。
 それで結局クルレイは何も言えずに、首を傾げつつも部屋へと戻っていった。