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  陸・選び取れ


 目の前の黄緑色の物体を見据え、クルレイは考える。
 慎重に選ばなければならない。さあ、どちらにするべきか。
 右のキャベツと左のキャベツ、どちらを選べば得するか。
 人通りも多い市場で、クルレイは考え込んでいた。目の前にはキャベツの山。その中から選び出したのは二つのキャベツ。
 どちらも大きく重い。申し分のない重さだ。
「……」
 クルレイはキャベツをにらんだ。
 右のほうが……いや左か。
 そんなことを考えていると、彼の横からほっそりとした白い手が伸びた。
 白い手は左のキャベツを指差す。
「こちらのほうが良いキャベツだと思うわ。葉もみずみずしいしねぇ」
「それもそうだな」
 確かに言われたとおり、左のキャベツのほうが良さそうだ。
 クルレイは左のキャベツ手に持ち──そのまま体ごと振り向いた。
 目が合ったセミィは片手を挙げて微笑む。
「はぁい。クルレイ」
「……いつのまに」
「あなたがキャベツとにらめっこしてる間に近づいたの。その無駄に完璧主義なところは相変わらずねぇ。キャベツなんてどれでも一緒なのに」
 セミィはころころと笑った。
 その笑顔を見て、クルレイは目線を落とす。目の前のセミィに分からぬよう、静かに息を吐いた。
「こんな人通りの多いところで捕まえる気か?」
「現行犯でない限りは捕まえないわよ」
「どうだか」
「信用ないのねぇ。ま、しょうがないわよね。あなたを傷つけるの覚悟で裏切ったんだもの。信用なんて……」
 セミィが笑顔のままで言葉を止める。クルレイから目線をはずし、白い手で艶やかな黒髪をかき上げた。
 黒髪はなびいて人ごみに映える。
 クルレイは思わず息を止めた。
 画面が被る。そう、それは昔の記憶──。
 懐かしく、暖かかった記憶。もう失われたもの。
「待ってろ」
 自然に言葉が出ていた。
 セミィがクルレイを見る。クルレイはその視線を受けながら店員を呼んだ。
 店員にキャベツを渡して二言三言続ける。
 少し待てばすぐに店員が紙袋を持って戻ってきた。クルレイに紙袋を渡す。
 紙袋を受け取ったクルレイはその場から動かず立っていたセミィを見た。
 はたと気づく。
 何故警官を待たせたりしてるのだろうと。
 無意識にしでかしたことに気づき、数秒その場で静止。
 そして。
「……行くぞ」
 ぶっきらぼうにそう言って、クルレイは歩き出した。
 意外なことにセミィは着いてきて、すぐにクルレイの横へ並ぶ。
「アジトにでも行くのかしら?」
「行かない」
「あら、残念。ドラキュラのアジトが分かれば簡単に捕まえられるのに」
 先ほど出会ったときと同じように笑うセミィだが、わずかに表情が硬い。
 クルレイの返事にも切れがなかった。
 敵同士というためではない、可笑しな空気が二人の間に流れている。
 壊しがたい、だがすでに壊れてしまったものが──。
 結局用もないのに二人は歩き回り、時間を費やしてしまった。話した内容もくだらないものでしかない。
 やがてクルレイが足を止めた。遅れてセミィも立ち止まる。
「クルレイ?」
「あそこに入るか」
 クルレイが指差した、その先にはコーヒーの看板が置かれている店があった。
 ドアはお洒落でシック。喫茶店だろう。
「……いいわね。いつまでも歩くのは嫌だもの」
 セミィがうなずき、すばやくクルレイの右腕を掴む。
 とっさに一歩引こうとしたクルレイだったが、すぐに力を抜いた。組まれるがままに任せてセミィと腕を組む。
 そのまま、二人は喫茶店へ入った。
 カウンターからは離れた席に向かい合って座る。店員がメニューを聞きに来て、二人ともコーヒーを頼んだ。
 クルレイが灰皿を引き寄せてタバコを取り出し火をつける。
「あら、タバコ。前は吸ってなかったのに吸うようになったのね」
「ああ」
「なんか今日は知らないクルレイが発見できて嬉しいわ。昔はデートしても余裕はないし、腕組むのは嫌がるしで、本当にさびしかったのよ。わたし」
 セミィは楽しそうに話した。クルレイはタバコの煙を吐き出す。
「昔……か」
「この際暴露大会するのはどう? わたし達、素直に言い合ったこと無かったじゃない」
 提案にクルレイは返事をせず、タバコを再び口元へと運ぶ。
 しかしセミィは無言を肯定と取ったのか話を続けた。
「昔、クルレイったら仕事ばっかりで。わたしだってパートナーとしか思ってなかったわよねぇ。デートのときだってそれらしいことしてくれたこと無いじゃない」
「二人のときは」
「わたしはみんなの前でもベタベタしたかったのよ。若い恋人がいますって。あのころのクルレイはそんな度胸も無くて」
 クルレイの声をさえぎってセミィが言う。
 その言葉にムッとクルレイがセミィをにらんだ。
「そういうセミィは時と場合を考えてなかっただろう。尾行最中にくっついてくるのは迷惑だった。若作りしていたし。ああ。それは今もか」
「わたしは十分若いわよ! クルレイのほうがふけたんじゃない?」
「俺のほうが年下だろう。大体お前、化粧濃すぎるだろ」
「女性に年齢のことは禁句! クルレイのその無遠慮な態度、わたし嫌いだったのよ」
 いつの間にか二人ともむきになって相手の悪いところをあげ始める。
 実はこう思ってた。だったらこうだ。何だと! 何よ!
 散々言い合って、二人とも息を吐く。
 息も吐かせぬ言い合いをしていたせいか、息が上がっていた。
 息を整えながら、クルレイはセミィを盗み見る。
 今は敵の相手に向かって、本気で言い合っていた。昔のことも大分思い出した。忘れていたかったことでさえ……。
 セミィが再会したときのスーツ姿とは違う、昔のような簡素な服装のためだろう。
 昔、親しかったころに戻ったような錯覚。
 あのころは言い合いこそしなかったが、言い合いをしている今のほうが昔より打ち解けた感じがするから不思議だ。
 セミィは何も変わっていない。さすがに年月が経っただけあって表情に深みが出たような気はするものの、艶やかな黒い髪も鮮やかな紫の瞳も変わっていない。
 見られていることに気づいたセミィが身じろいだ。
「ふふ。わたしの美しさにようやく気づいたのかしら」
「それはない」
 即答されて、セミィは失礼ねと言い返しながら髪をかき上げる。
 きらりと光るものが髪の合間に見えた。
 引き寄せられるように手を伸ばす。セミィが手の接近に気づくより早く、耳にかかる髪を手で掬い取った。
 紫に光るピアスが目に入る。クルレイは眉根を寄せた。
「これは……」
 見覚えがある。
 セミィに手を振り払われる。
 だがすでにクルレイの頭には鮮明にピアスの形が浮かんでいた。シンプルながら、紫に光り輝くピアス。
 セミィが耳たぶ─もといピアスに触れる。
「セミィ。それは俺が昔買った──」
「気のせいじゃないかしら。似てるだけよきっと」
「違う。それは確かに俺が買ったピアスだ。それをお前のために買ってすぐ、俺はお前に……裏切られた。忘れるはずが無い」
 クルレイは机から身を乗り出してセミィに詰め寄る。セミィは紫の瞳を閉ざした。
 忌々しい記憶が脳裏に浮かぶ。

 手の中の箱。開ければ紫のピアスが目に入る。彼女は気に入ってくれるだろうか。
 若き日の精一杯の贈り物。これ以上のものは買えなかった。彼女の瞳の色と同じ紫のピアスはせめてもの気持ちだ。
 この頃はすれ違いも多いから、普段は滅多に会えない。デートも前よりしなくなった。
 それでも相棒兼恋人の彼女には依頼のときは会えるから、この依頼の後に渡そう。
 若き日のクルレイはコートを着て、コートのポケットにピアスを入れ、依頼へ──。

 結局、依頼は終わらなかった。相棒兼恋人だった彼女はクルレイをあざむいて警察に依頼内容を教えた。警察には内密だと言った依頼人は捕まり、クルレイは信用を失ったのだ。
 追い討ちするように彼女が消え、依頼人の知り合いに叩きのめされクルレイは地に伏した。そして、ピスタチオと出会った。
 ピアスはうやむやのうちに消え、今まで見つからなかった。
 そのピアスが彼女─セミィの元にあった。
「結局お前には渡せなかった。なのに、なんでお前が持っている」
 クルレイが鋭く問うとセミィは唇を噛んだ。眉間にしわが寄る。
 二人の間に沈黙がおり、周りのざわめきだけが耳に響く。
 少し経って、セミィがゆっくり目を開けた。クルレイをまっすぐに見つめて淡く微笑む。
「ねぇ。クルレイ。わたし達やり直せないかしら?」
「セミィ、それは」
「わかってるわ。わたしはあなたを裏切ったし、あなたはそれで傷を負った。やり直すことなんてできないわよね。でもわたしはやり直したいの。だからわたしの言い訳を……聞いてくれる?」
 セミィの微笑みはどこか自虐的なものにも見えた。クルレイは黙ってうなずく。
 それを受けて、セミィは口を開いた。
「わたし、警官になりたかったのよ。あなたと一緒に探偵をするのも楽しかったし、悪くないと思ってたわ。でも同時にあなたは頼りにならないって思ってて、警官になりたいと思うのもやめてなかった。言えないことも沢山あったわ。それが溜まって、わたし達の仲は悪くなる一方。犯罪は減らないし、こうなったらわたしはどんなことをしてでも警察官にならないと…ってねぇ。そんな時に話があったの。今受けている依頼人の情報を流せば、警察学校に入学させてくれて、ちゃんと警官にしてくれるって。その話に飛びついちゃったのよ。わたし。馬鹿よねぇ。あなたに素直に相談してればよかったのにねぇ。そのくせ、あなたと離れてから後悔して」
 セミィは耳にかかる髪を手で払う。
「これを見つけたのは、なんて馬鹿なことをしたんだろうって後悔してからだったわ。探偵事務所のあった場所に行ったけど、事務所は残骸ばっかり。荒らされたのか机はぐちゃぐちゃだし、資料はバラバラで、見る影も無かったわ。わたし、戻ってくるかもしれないって思って片付けたの。でもあなたは帰ってこなくて、偶然ピアスを見つけて、勝手に貰って事務所を出たわ。警官になるために」
「……」
「夢のためだからってあなたを裏切ってよかったわけじゃないのはわかってるわよ。でも、わたしも必死だったの。そして警官になってラエルラに戻ってきた。あなたらしき人物がドラキュラのサポートをしてるって聞いて、驚いたわ。出会って本当だと分かって…同時に後悔した。わたし、クルレイのこと今でも好きだわ。ねぇ、クルレイ。ドラキュラをやめて。やめてくれればわたしはあなたのことをかばえるわ。一緒にだって住む。そしてやり直しましょう?」
 セミィの紫の瞳を受けて、クルレイは短くなったタバコを灰皿に押し付けた。
 一拍の後にクルレイは首を振る。
「無理だ。俺はドラキュラをやめるつもりは無い。たとえ一人になっても……。やり直すほうは、裏切られたことをはいそうですかと許せるほど、俺は心が広くない」
「そう」
 クルレイは新しいタバコに火をつける。タバコを一息吸って、煙を吐き出した。
 ぼんやりそれを見ていたセミィはテーブルに肘をつき、手の上にあごを乗せる。
「ねぇ」
「ん?」
「キスして」
 黒の瞳と紫の瞳が一瞬交差し、クルレイが身を乗り出した。セミィに顔を近づけ、唇を合わせる。そう長くはせずに、すぐに腰を下ろす。
「……タバコの味ねぇ」
 セミィは切なげに笑い、席を立った。
 それを黙って見送り、クルレイはタバコを吸う。そしてゆっくりと煙を吐き出した。

  ◇ ◇ ◇

 目の前の赤を認識して、ピスタチオは我に返る。
 いつの間にか太陽は西へ傾き、青かった空を真っ赤に染め上げていた。
 見事な夕焼けを見ながらもピスタチオは思考へと傾く。
 前に出会った不思議な男の言葉と、今日シスターが持ってきた依頼とが頭を回る。
 別れの兆しと過去を振り返る機会とが一緒に来たのは幸福なのだろうか。
 別れる前に、過去を振り返れとそういうわけなのだろうか。
 ピスタチオはため息を吐いた。
 別れる決心すらついていないというのに、過去を振り返る決心など……。
「ぴ、ピスタチオ〜!」
 声が聞こえてきて、ピスタチオは考えるのを止める。声の方向を見ればティーディードが坂道を上がってくるところだった。
「や、やっぱり……ここ、だったんですね…。さ、サンジェに聞いて……」
 坂道を上がりきったティーディードはぜぇと息を整える。
 そのようすにピスタチオは苦笑いした。
「おいおい。大丈夫か」
「へ、平気です。それより、あの。話があって」
「話? なんだ?」
 ティーディードの目が不安げに揺れる。
 決心がつかないのか、なかなか話し出そうとしないティーディードをピスタチオは黙ってみていた。
 やがて、ようやく決心がついたのかティーディードが言葉を選びながら話し出す。
「ぼく、ピスタチオに会えてよかったです。その、あの、ピスタチオ、この頃元気なかったじゃないですか。それでもぼく何も出来なくて……。シスターとサンジェに話、聞きました。ピスタチオの昔の話……。あ! もしかしてぼくなんかが聞いちゃダメでしたか!? そ、そうだったらすいませんッ!」
 ペコリと頭を下げたティーディードの肩をピスタチオは叩いた。
「ティドが聞いたらダメってことはないぞ。お前はオレ達の仲間だしな。で、続きは?」
「あ、はい……。あの、ピスタチオが元気ないのは何でかわからないんですが、やっぱりピスタチオが今回の依頼を受けたくない理由はわかる気もするんです。やっぱりしばらくあってないお母さんと会いたいとは思わないと思いますし……? あれ、ぼく何言ってるんでしょう? あれ?」
 何を言っているかわからなくなってきたらしく、ティーディードが首をかしげる。
 だがすぐに気を持ち直して、拳に力を入れた。
「と、とにかく! ぼくにできることがあったら何でも言ってください! 出来ること少ないんですけど、出来ることだったらホントになんでもします。だから、早く元気になってください!!」
「ティド、お前──」  ティーディードの気心がわかって、ピスタチオは思わず顔をほころばせる。続けて礼を言おうと口を開き。
「あ、厚かましかったですね。えっと、あの、その。これでッ! 失礼しますッ!」
 言葉はティーディードにさえぎられた。
 ティーディードは顔を赤く染めつつ、さっき駆け上がってきた坂道を逆に降りていく。
 お礼を言いそびれたピスタチオがその場に立ち尽くした。
「な、なんだったんだ……?」
 いきなり言うだけ言って、去っていってしまった。
 ピスタチオは呆然とティーディードを見送ったが、やがて口元を歪める。
「あーあ。ティドらしい」
 クスと笑った。
 それからティーディードの言っていたことを要約して繰り返す。
 彼は確かにピスタチオを心配してくれていた。そのことを自覚すると、ここ一ヶ月サンジェニュアルやクルレイがかけてくれていた言葉が心に沸く。
 皆、ピスタチオのことを案じていた。
 そのことが暖かく、心に染み渡る。
 ああ。オレは。
 ピスタチオは口元を引き締めた。辺りを注意深く見回し、こちらを見ている人が居ないことを確認する。
 だが一ヶ月前から感じている視線は向けられたまま、外される気配はない。
 今も、誰かが見ている。
 ピスタチオは口を開く。
「出て来いよ。見てるんだろ」
 ピスタチオが言い終わったとほぼ同時に、彼から少し離れた場所にスゥと男が現れた。
 金髪に碧眼。白い服。どうしようもなく人をひきつける不思議な男。
 男は黙ってピスタチオに向かって歩き出し、そしてピスタチオの前まで来ると止まる。
「決心はついたか」
「その前に、オレはお前から詳しいことを聞かなきゃいけない。オレに関係することを。それを聞いてから決めても、遅くないだろ?」
 ピスタチオは不適に笑った。
 その笑みを見た男も少し口角を上げたようだ。
「そうか。ならばお前は何から聞くことを望む? 私の知ることならば話そう」
「……オレの不死のワケを。この間お前は、オレは死なないから人間ではないと言った。だが、オレは人間として生まれてるし、死なないこと意外は人間と変わらない。ならオレは何で不死なんだ?」
 ピスタチオは視線を自らの手に平に向ける。手を握ったり開いたりする。クルレイ達と変わらない普通の手だ。
 怪我をすれば痛いし、心臓を貫かれれば死ぬこの肉体。ならば何故、自然に再生してしまうのか。見た目は人間と変わらないというのに、死なない。
 男はピスタチオの胸を指差した。
「お前の魂に死というものが備えられていないからだ。本来、魂には生と死が備えられている。その魂が肉に入り、人となる。そして魂の生によって生き始める。やがて肉体の限界が訪れ、その限界によって魂の死が引き出され、人は死ぬ」
「オレが死ぬと魂も死ぬってことか?」
「それは違う。魂自体は永遠に在り続ける。魂の死は単なる情報に過ぎず、肉体、人に死をもたらすきっかけに過ぎない。だが、お前にはそのきっかけがない。だから肉体が限界を向かえても、魂がそれを生かしてしまう。"死なない"のだ。怪我をしてもすぐ治るのはそのためだ。だから、お前は不死になる」
 男が指差していた手を下ろし、ピスタチオは指差されていた胸を見る。
 魂が死という情報を持っていないから、肉体が限界を向かえても死なない。
「しかし、お前は不老ではない。歳はとる。このまま行けばお前は生ける屍となろう。そして問題はお前が生ける屍となることではない。お前の魂のエネルギーのことだ」
「魂のエネルギー?」
「限界を迎えた肉体を無理に生かすお前の魂は、魂が蓄えているエネルギーを消費する。エネルギーは無限ではなく、尽きれば肉体は死を迎える。だが魂は死の情報を持たない。ここに矛盾が生じ、魂は肉体を生かすために周りからエネルギーを吸収する。周りの魂が持つエネルギーを奪ってしまう」
「魂のエネルギーが尽きたら死ぬ……。つまり、オレの魂が誰かの魂のエネルギーを奪えば、その誰かが死ぬかも知れないってことか」
「心当たりはあるだろう。お前の魂のエネルギーは一度尽きかけている。誰かのエネルギーを奪ってそれを乗り越えた」
 男の言葉で、ピスタチオの頭に浮かんだのは数年前の出来事。
 ピスタチオの怪我の治りが悪くなり、休業しようかという話の折に倒れたクルレイ。そしてクルレイが復帰したときにはすでに怪我の治りも元に戻っていた。
 ピスタチオは首を縦に振る。
「そうか。ならばわかるだろう。この前私と会ったとき、再びお前の魂のエネルギーは尽きかけ、周りのエネルギーを奪うのも時間の問題だった。それを私は仮にエネルギーを補充することで食い止めた。だが、いつまでも私がエネルギーを補充し続けるわけにはいかない。お前は死なないのだから」
「……なら、どうすればいい」
「この前も言ったとおり、彼らと別れるのならば私はお前を救う。否、救える。別れない限りは私は手出しできない。世界に生きるものへの干渉は歪みを生む。お前が別れる決心をして、世界に生きることをやめなければ、私は手出しできない」
 世界に生きる。
 ピスタチオは漠然と、目の前の男と同じ状況になるのだと感じ取った。
 目の前の男は世界に生きていない。まだ自分とは異質な存在だ。
 だが、自分もその異質な存在にならなければならないと男は言っている。
 ピスタチオはうつむいた。
「他に方法は、ないのか?」
「一応はある。昔に戻ればいい。お前が生まれる前に戻り、お前の魂に死を備えさせればいい」
 簡単に言われた言葉に、ピスタチオは喜ぶことはしなかった。ただ、切なげに目を細める。
「……それじゃあオレは、あの時っ。あの時に……死ぬじゃないか。クル達にだって、会えなくなる」
 母によって高い崖から落とされたあの日。ピスタチオが普通の人間ならあの日に死んでいた。
 死んでいたら、クルレイやサンジェニュアル、ティーディードには会えない。
「死ぬとは限らない」
「それでも! クル達には会えないだろ!」
「会える確立は0に近いな。だが、どちらにしろ選ばなければならない。彼らと共に生きるか、彼らと別れるか……それとも最初から会わないか。それはお前が決めることだ」
 ピスタチオは口をつぐむ。
 男の青い瞳はまっすぐピスタチオに向けられていた。
 自分で決めなければならない。自分で。それほど時間もないのだ。
「オレ、は──」

  ◇ ◇ ◇

「ただいま」
 ドアを開けて家に入ったクルレイが見たものは、目に見える落胆だった。
 ソファーからまっすぐこちらを見ていたサンジェニュアルとティーディードに浮かんでいる感情である。
 クルレイだったのが不満らしい。
「俺じゃ不満か」
「べっつにー」
「そ、そんなことはないですよ」
 サンジェニュアルの返答をティーディードが慌てて否定する。
「ただ、ピスタチオが帰ってきたんじゃないかと思っただけです」
「ピスタチオが?」
 サンジェニュアルをにらんでいたクルレイがティーディードに向き直った。
 ティーディードはクルレイにことのいきさつを説明する。
 シスターが来たこと。持ってきた依頼のこと。ピスタチオが家を飛び出したこと。
「と、いうわけで。ぼくがピスタチオを連れ戻しに行ったのに、つれて帰ってこなくて、でも戻ってくるだろうってことで待ってたわけです」
「なんでもう一度連れ戻しにいかねぇ」
「……遠くて」
「遠いってなぁ。ティーディードがいかないなら、サンジェニュアル。お前行け」
「やだ」
 むくれてドアを見ていたサンジェニュアルが短く拒否した。
「勝手に出て行ったチオが悪いんだもん。相談してくれてもいいのにさ」
「誰にだって言いたくないことぐらい──」
「あたし達、仲間でしょ!」
 クルレイの言葉をサンジェニュアルは遮る。クルレイは言い返そうとサンジェニュアルを睨んだが、彼女の瞳とぶつかって言葉を失った。目に涙が浮かんでいる。
 それでも弁解しようと口を開き。
「出発準備開始ぃ!!!」
 勢いよく開かれたドアの音と入ってきた人物の声で言いかけた言葉を止めた。
 サンジェニュアルの目が輝く。
「チオ!」
「依頼受けるぞ! サンジェはシスターに連絡! ティドとクルは準備しろ!」
 家に勢いよく入ってきたピスタチオはテキパキと指示を出す。ここ一ヶ月、塞いでいた彼の姿はない。
 サンジェニュアルがピスタチオの指示をまっとうするべく家から出て行き、ティーディードも奥へと引っ込んだ。
 唖然と立ち尽くしていたクルレイとピスタチオだけが残る。
「クル? どうした。準備しろよ」
「……もう、いいのか?」
 静かに尋ねればピスタチオは目を瞬いて──すぐに笑った。
「その話は後で。とりあえず、今は準備開始な! オレも準備してくるから」
 ピスタチオが奥の部屋に入る。
 そのようすを見送って、クルレイは息を吐いた。無理している様子はない。大丈夫だ。
 クルレイは自らも準備をするべく、家の奥へと向かった。



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