前へ / 戻る / 次へ

  伍・過去へのまなざし


 ぼんやりとピスタチオは視線を宙に投げ出していた。ソファーに座り、ただどこを見るでもない。

 ──お前は、人間のなりそこないだ。

 脳裏に男の声が鮮明に浮かび、ピスタチオは目を細める。
 ぐるぐる、ぐるぐる。思考は同じところを回った。何度も同じことを考える。
 思考に捕らわれれば一気に気分が沈んだ。全てが闇へ落ちていく。
「……オ!」
 そんな中、聞こえたのは音のかけらで。それはピスタチオを闇から引き上げた。
「チオ!!」
 サンジェニュアルがピスタチオを覗き込んでいる。
 ピスタチオは意識して目を瞬いた。目元を緩め、口の端をわずかにあげる。
「何だ? サンジェ」
「何でじゃないでしょ!! さっきからずっと呼んでたのに……。眠かったらベッドで寝なさいよ」
 少女はむぅと頬を膨らませた。
 その顔にピスタチオが苦笑する。
「いや、眠くはないかな。気づかなくて悪かった。で、何だ?」
「教会。行かなくていいの?」
 ピスタチオの顔から表情が消えた。あぁ…と曖昧に返事する。
 サンジェニュアルはそれを見逃さず、ピスタチオに詰め寄った。彼の青い瞳をまっすぐ見つめる。
「ねぇ、何かあったの? チオ、このごろ教会行かないじゃない。前はあんなに行ってたのに……。依頼だって受けないし。何か理由あるなら話してよ。相談してよ!」
「……」
「あたし達にも……言えないことなの?」
 唐突にピスタチオが立ち上がった。
「やっぱ眠いから寝るわ。続きは後でな」
 目を合わせないまま言って、早歩きで部屋に引っ込んでしまう。
 ドアがバタンッと閉まった。
 サンジェニュアルはそのドアをしばし見ていたが、やがてソファーに身を沈める。深くため息をついた。
「あたしって無力だなぁ。チオ、ますます困らせちゃったし」
「そ、そんなことないですよ」
 否定の声は台所から飛ばされる。すぐにティーディードが姿を現した。
 ティーディードはサンジェニュアルの正面のソファーに腰掛ける。
「サンジェが心配してるっていうのはよくわかりました。でも、ピスタチオにも何か理由があって話せないんだと思います。サンジェが無力なわけではないかと……」
「そうかなぁ」
 サンジェニュアルはテーブルにひじをつき、手の上に頬をのせた。少し考えるように目を閉じ──すぐに目を明けてティーディードを見た。
「ピスタチオが最後に仕事したのっていつだったか覚えてる? あたし、クルとのペアで仕事してるから覚えてないんだよね」
「え、最後に仕事したのですか? えっと……ぼくが最後に仕事したのが一ヶ月ぐらい前で、それから後は一回もしてなくて──。た、確かピスタチオもぼくと仕事したのが最後だったと思ったので、約一ヶ月前……?」
 ティーディードは自信なさげに首をかしげる。
「一ヶ月前かぁ。どんな仕事だったか覚えてる?」
「え。え、えーと」
 ティーディードは思い出そうと唸りだした。手を額に当てたり、手を組んだりといろいろなポーズをしながら、思い出そうと試みる。
 やがて、ポンと手を打った。
「ああ! 兄妹同時誘拐でした! サンジェとクルのペアと、ぼくとピスタチオのペアの二組で」
「その仕事かぁ」
 サンジェも思い出したようにうなずく。
「依頼人。どうしてますかね」
「落ち着いたら手紙来るかもねー。ラスナ、元気してるかなぁ」
「ラスナ?」
「妹のほう。仲良くなったの」
 二人とも懐かしそうに笑いあった。だがすぐにその笑顔に影が落ちる。
「……あの日、何かあったのかなぁ」
「ぼくが覚えてる限りでは、何もなかったと思います。まぁ、地震のおかげで警官から逃げられたのはありますけど」
「その状況って具体的にどんなだったの? 詳しく聞いてなかったけど……ラディエル、いた?」
「え? ラディエルと警官達に待ち伏せされて、逃げようにも拳銃向けられててどうしよう! って状況でぐらぐら揺れて、天井がくずれ警官達との間に壁が出来て──…」
 ティーディードが目線を落とした。眉間にしわを寄せる。言いよどむように口が動いた。
 その様子にサンジェニュアルは怪訝な顔をする。
「どうかした?」
「ちょっと違和感が……」
 ティーディードはそこで口をつぐんだ。さっき思い出そうとしていたときよりも、必死に考え込む。
 悩むとは違う。忘れたとも違う。
 記憶は有るし、ティーディードの記憶の中では確かに言ったままの状況だった。待ち伏せされ、地震のおかげで助かった。忘れているときの不自然さもない。
 だが、"何か"が違う。
 ティーディードは黙り込み、静寂が辺りを包んだ。

 コンコンと控えめなノックの音。
 黙りこんでいた二人は一斉に顔を上げた。家のドアを見つめる。
 ドアの向こうから聞こえてきたのは、これまた控えめな声だった。
「リコ・ガナラムです。入ってもよろしいかしら」
「し、シスター!?」
 サンジェニュアルが驚いて腰を浮かせ、慌ててドアを開ける。
 そこにはシスターガナラムが穏やかな笑みをたたえて立っていた。
 サンジェニュアルの声が聞こえたのだろう。奥の部屋からピスタチオが出てくる。
「こんにちは、ミズリース。ミスターベーアも。ピスタチオは久しぶりですね」
「こ、こんいちは。シスター。とりあえず、座ってください」
 サンジェニュアルがぎこちなく挨拶をし、ソファーへ座るようシスターを促す。
 シスターは促されるままにティーディードの横に座った。
 驚きのあまり口を明けたまま固まっていたティーディードが我に返り、慌てて立ち上がってシスターに席を譲る。
 シスターの正面にサンジェニュアルが座った。
 チオ、とサンジェニュアルに呼ばれ、ピスタチオもサンジェニュアルの横に座る。だが、シスターと目をあわせようとはしない。
「本題から話しましょう。今日は依頼を持ってきました」
「急ぎの用ですか?」
 サンジェニュアルが尋ねると、シスターは首を縦に振った。
「ええ。急ぎで、しかも危険な依頼です。今回はピスタチオにやってもらわなければなりません」
「お断りします」
「チオ!?」
 きっぱりはっきり断ったピスタチオに、サンジェニュアルが思わず声を上げる。
 ピスタチオは続けた。
「オレはしません。どうしてもと言うのなら、サンジェに言ってください。オレはやらない」
「……そういうわけにもいきません。本当に危険な仕事なのです」
「オレは──」
「潜入する家は警察長のリハザーテ家ですよ」
 シスターがさえぎるように言う。
 拒否しようとしていたピスタチオが目を見開いた。サンジェニュアルも息を呑む。
「依頼人はピオ・リハザーテ。警察長の義父を持つ女性です。彼女はディエ・リハザーテ氏の後妻としてリハザーテ家に入りました。しかし、ディエ・リハザーテ氏が病死。いろいろと肩身の狭い思いをし続け、かといってリハザーテ家を出ることは義父に止められる。なんとか連れ出して欲しいとのことですわ。先妻の子供が情緒不安定な依頼人を見張っており警備の人間もいます。加えて、彼女がドラキュラに依頼したと知られている可能性が高いので、近いうちに警察も借り出されるでしょう」
 シスターが平然と説明し、そしてピスタチオを見据える。
「早めの行動をお願いします」
 しん、と部屋の中が静まり返った。
 ピスタチオは緩慢な動作で口を開きシスターを見て……選ぶように言葉を出した。
「あなたは……。全部、全部知っててなんでっ」
「ピスタチオ」
 シスターがなだめるように口を挟む。しかし、聞いていないかのようにピスタチオは無言で立ち上がった。外へ通じるドアの前まで歩みを進める。
「オレは……その依頼は受けない」
 言い捨ててピスタチオは家から出て行った。
 ティーディードは追いかけようと一歩前へ踏み出したが、すぐに足を止める。
 うつむいて一度瞬くと、体の向きをシスター達のほうへ向けた。
「リハザーテ家はピスタチオと何の関係があるんですか」
「そっか。テディには話してなかったっけ。あのね。……あーあたしじゃなくてクルが話したほうがいいんだよねー。あたし話すの下手だし。クルが買い物から帰ってくるの待ってちゃダメ?」
「いつになるか分からないじゃないですか……」
「やっぱダメかー」
 ティーディードは呆れてサンジェニュアルを見た。サンジェニュアルがアハハと笑う。
 それを見ていたシスターが微笑んだ。
「わたくしから話しましょうか」
「あ、お願いします」
「そうですね。では、ピスタチオが教会にくることになった経緯から──」

  ◇ ◇ ◇

 ピスタチオは眼下の町を眺めながら、息を吐いた。
 空は快晴。高台になっているこの場所から見る景色は絶景。
 だがピスタチオの気分は暗い。
 さわやかな風を頬に感じながら、ピスタチオは思いを過去へと飛ばした。

 一番古い記憶は笑い声。
 ピスタチオは屋敷の階段を下りて、声のほうへ向かう。  笑っているのは母と……兄だ。父の先妻の子で、義理の兄。
 ピスタチオはその二人に駆け寄って、兄に飛びついた。
 五歳のピスタチオから見ると兄は大きい。飛びついてもしっかり受け止められて、笑いながらたしなめられた。
 三人で笑っていると仕事で忙しい父が帰ってきて、その父にも抱きつく。
 父は静かに笑い、頭をなでてくれた。
「ピスタチオは元気がいいなぁ……」
 父の口癖だった。兄は静かな人だったから、元気がいいとよく言われた。

 次の記憶は、笑っていたはずの母と兄が泣いていた。
 父の遺影が飾られていて……。泣き崩れそうな母を兄がなぐさめている。そのころ兄は成人していなかったはずで兄自身もさびしかったと思うのだが、本心は分からない。
 幼いころの記憶は断片的なものでしかなく、父の記憶は少ない。
 ピスタチオはただ、ワケも分からず二人を見ていただけだ。
 目を覚まさない父に首をかしげたことを覚えている。
 そのころを境にして、母と兄は笑わなくなっていった。二人で話していても、母が泣いていたり叫んでいたりすることが多かった。
 母が泣いていると兄は決まって困ったように眉を寄せる。
 兄が怪我をすれば母は兄にかかりきりになり、ピスタチオは放っておかれた。そのことに兄が怒って、母が泣いたこともあった。
 たまに兄から母へプレゼントが贈られたりなどすると、その時は母も嬉しそうに微笑んだ。だけど、その顔はどこか悲しくて。
 幼いピスタチオにはその表情の意味は分からず、二人が何を思っていたのか分からない

 記憶が鮮明になるのはあるときからだった。
 気づくとと知らない場所で、近くに建物はなく、ただ大地だけが広がっている光景。
 建物のない場所を始めてみたピスタチオは、ただ唖然と見ていた。背後には壁─正確にはがけだ。そのころは壁だと思っていた─があり、不思議な場所だった。
 ここはどこだろうと首をかしげる。
「帰らなきゃ」
 母と兄の顔が浮かんだ。きっと心配しているから──。
 幼いなりに考えて、辺りを見回す。本当に遠い場所に建物らしきものが見えた。
 あそこまで行けば良いかもしれないと、小さい足で歩き出す。
 たどり着いた建物は教会で、シスターに迎えられた。
 住所を言えば親切にもシスターはその住所に連れて行ってくれ、ピスタチオは家に帰り着くことが出来た。
 家─というより屋敷─に入ると、すぐに母を見つけた。走り出して抱きつく。
「お母さんっ」
 母は身を硬くし、抱きついているピスタチオを見て、青ざめた。
 抱きついた手は乱暴に振り払われる。
「い、いやぁぁぁぁあああああっ!」
 絶叫。
 振り払われたピスタチオはしりもちを着いたけれど、痛みに泣く暇もなかった。
 自分の痛みよりも、母が叫んでいることが気になる。立ち上がり、母へ近づくために足を踏み出した。
 ピスタチオが近づこうとすると、母がそれに比例して後ずさる。
「幽霊! 化け物!」  母の背が家具にぶつかると、その家具に乗っていた飾り皿をピスタチオへ投げてきた。
 闇雲に投げられた皿は当たらず、しかし音をたてて割れる。
 そのうちに兄が姿をみせて、なおも皿を投げようとしていた母を抑えた。皿を取り上げ、腕を掴む。
 母は振り払おうと暴れた。
「落ち着いて義母さんっ」
「何で、何でいるのよ!!」
「ピスタチオはあなたの子供です。いるのは当たり前でしょう!」
「違う。違うのよ! だって私はピスタチオをがけから捨ててきたんだもの!」
 捨てて。
 叫ばれた言葉をピスタチオは頭の中で繰り返す。
 兄が言葉を失う。
 母は暴れるのをやめて兄に向き直った。
「邪魔だったの!! だってピスタチオがいる限りあなたは私を義母としか見てくれないじゃない! 私はあなたが好きなのに!」
「そんな……」
「ピスタチオがいなくなれば、私は幸せになれると思ったのよ! だから、私は寝ていたピスタチオをがけから落として──」
 兄に向かって叫んでいた母は、ピスタチオに視線をむけた。
「なのに何で生きてるのよ! がけから落としたのに何でっ!! 服はボロボロなのに……血だってついてるのに……。化け物! こんなの私の子供なんかじゃない!! 化け物!!!!!」
「義母さんっ。やめて下さい!!」
 母を、兄が止めようとする。
 ピスタチオはその声を聞きながら目線を落とした。確かに、服はボロボロで赤い。袖口についていた赤を触るとパサパサと崩れた。
 服についているのは血なのだろうと思う。怪我をしたときに出る血。だが、自分は怪我をしていない。
 母が叫び続けていた。
 “化け物”と。
 ピスタチオの目に皿の破片が映る。手を伸ばしてその破片を取り、右手で強く握りこんだ。痛い。
 兄と母はピスタチオの行動に気づいていない。
 すぐに右手から血が滴り落ちる。ピスタチオは手を離して破片を落とした。破片は赤く染まっている。
 その破片が地面に落ちるのを確認し、次に右手の平を見た。
 傷は無かった。
 ピスタチオはその場から駆け出す。兄の声を振り切り、逃げるように家を出た。
 兄が怪我したときのことを覚えている。一瞬で治りはしなかった。
 自分は異常なのかもしれないと不安に駆られてピスタチオは走り続ける。
 走り続けたピスタチオは曲がり角を曲がった所で人とぶつかって──。
「大丈夫ですか?」
 優しく微笑んだ女性こそ、リコ・ガナラムだった。

 そこまで思い出して、ピスタチオは目を細めた。
 あの後。自分は家に戻らずにリコ・ガナラムの教会へ転がり込み、もう長いこと母に会っていない。
 それは自分が家には必要ないと思ったからだった。
 恨んだこともある。なんて身勝手なんだと罵ったことも。
 だが、今は母の気持ちもなんとなくわかっている。
 母は義兄が好きだった。でも義兄は母を義母と呼んだ。それは母がピスタチオの母だから、と母は考えた。
 そこで母はピスタチオを都市ラエルラの外にあるがけから落とし、ピスタチオをいなくならせようとした。
 しかしピスタチオは不死身で死なず。
 母がそこまでしようとしたのは、父が死んだからなのだろう。あの人もあの人なりに寂しかったのだ。
 そう、今は思っている。
 だから恨みこそしないけれど、会おうとも思わなかった。母と自分では明らかに道が違う。会う必要もない。
 だが──。
「依頼人、ピオ・リハザーテ……か」
 ピ・オ。ピスタチオの名前の元になったと兄に聞いた覚えがある。
 リハザーテはピスタチオの昔の姓だ。
 ピスタチオは昔、ピスタチオ・リハザーテだった。
 母はピオ・リハザーテ。そして兄は……。
 唐突に鳥が視界に入り、思考がさえぎられた。
 鳥は空高く滑空し、やがて眼下の町へと消えていく。
 ピスタチオは静かに目を閉じた。

 あの場所に置いてきた思い出がいつの間にか目の前にある。
 懐かしい場所。愛しい人。
 その思い出を掴むか、否かはまだ決められそうにない。



前へ / 戻る / 次へ