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2 闇から抜けてネイは目を細める。視界は変わっていない。ゲンテリアスが消えた後の通路だ。変わっているのは。 「影へと落ちねぇのか…?」 くく、と笑う声。ネイは通路に立つ者に鋭く視線をやった。紺色の髪に灰色の瞳──くるくると表情を変えていた顔は今、歪んだ笑みを浮かべている。 「ウェスト……」 それは影に呑まれたはずのウェストだった。ルメリアとネイとゲンテリアスを先に行かせるため、影に立ち向かったはずの彼は傷一つなく立っている。ズボンのポケットに無造作に手を突っ込み、背を丸めて。 「他のみんなは故郷で幸せに暮らしてっぞ。世界と世界の狭間にある、幻の闇に溶け込んでなぁ。一度溶け込んだ魂は戻ってこれないってえのに、にせもんの幸せにも気づかずに夢を見続ける。愉快だなぁ」 ははは、と笑う彼に共に旅したときの面影はない。 「全部お前の仕業だったってことか、反逆者!」 吼えるように叫んだネイを、ウェストは灰色の瞳に移す。灰色の瞳は濁っていた。 「全部ってぇ言い草は酷いなぁ。ま、反逆者であることは確かだけど。人間は汚いだろ? 神はそれなのに人間を愛してるし、そのせいで世界は壊れてくし。滅ぼしたほうが良いかなーってさ。それで大切なものの区別も出来ない神さんを消したわけ。おれは確かに反逆者さぁ」 ウェストは無邪気に笑う。 「皆を、影に呑ませたのか」 「おれは影操れませーん。奴らは勝手に呑まれたんだよ。おれは何もしちゃあいない。あいつらが弱かっただけさ。ま、おれも記憶なくしてたし。 影は世界が闇に染まったから現れたんだ。世界はようやく気づいたわけだ。光よりも闇が自分にあってるってな。影は闇の申し子だよ。じきに世界には影がはびこり、おれだけがこの世界に残る。 おれは闇を支配し、他の世界の人間も滅ぼすんだ。そして人間はこの世から消える。人間なんてぇ奴らには幻の闇の中がお似合いだよ。 前の神の力が残ってるここ以外は全部影が呑みこんだ。ここも時間の問題だろうなぁ」 「お前は飲まれなかったのか」 ネイの問いにウェストは肩をすくめて見せた。 「おれは影に好かれない。呑みたくねぇとさ。おかげで夢も見られない。お前は影に呑まれることが出来るんだから、素直に呑まれたらどうだ? 影へと落ちたほうが楽でいいぞ。皆もいるしなぁ」 くく、と笑う。 ネイは唇を引き結んだ。 「お前の母親も妹も父親も。皆本物だぞー。さっきの夢はな。皆幻の闇の中に溶け合って、世界の夢を見てるのさ。普通に生き続けられるんだ夢の中では。皆幸せに生きてる。記憶が戻った今なら分かるだろ? 現実じゃあお前しか生きてないのだって。現実を忘れて、夢の中で生きりゃあいい」 闇の中の夢。皆世界が滅んだことを忘れて、世界の夢を見ている。幸せで暖かい、夢。 仲間達は消えた。 一人目ラフェナ、二人目シース、三人目キリル、四人目……ルメリア、五人目ゲンテリアス。六人目は自分。 ゲンテリアスは言っていた。候補に選ばれた六つの"星々"と。最初から七人目のウェストはいなかった。 記憶を取り戻したゲンテリアスはウェストが同僚だったと言っていた。彼はウェストを欠いたまま世界の夢を見ているのだろうか。 先に消えていった四人も。 けれど、ゲンテリアスは。 「ゲンテリアスは夢見てないぞ。影に落ちてないからな」 「ゲンテリアス? ああ……あいつか。あいつはもうちょっと見所有る奴だとおもってたんだけどなぁ。おれの誘いに乗らなかったんだよ。へー、影に落ちてないのか。んじゃあどこ行ったか知らねぇなぁ」 ウェストは頭を掻く。その手には濃い痣があった。 脳裏に浮かぶのは夢の中で悲しげに笑っていたゲンテリアスだった。 『貴方が神になってから私を救ってくれればそれでいい』 最後まで微笑んでいた彼は、何故夢に出てきたのだろう。彼は影に落ちていない。もしかしたら自分のことを心配してくれたのかもしれない。 魔法ならネイを助けることもできるだろうから。 そして彼が影に落ちていない以上、皆がいる夢の中へもいけず、彼はたった一人で待っている。 ネイが神になることを。世界にも存在できず、孤独の中で自分を待っている。 「もう一度影へと落ちろよ。導いてやっぞ」 しし、と悪びれなくウェストが笑った。その背後から影が噴出し、うごめく。 甘い誘いだった。それにのればまた世界の夢を見れるのだろう。 しかし、もはやその誘いに惹かれるものはなく、再び夢の中のゲンテリアスの笑みを思い出しただけだった。 ネイは首を横に振る。 「俺は影に落ちるわけには行かない。他の皆が夢の中にいて、幸せでも、俺は影に落ちるわけには行かない」 ひたとウェストを見据えた。 「俺は神になる」 「お前に神は無理だよ。神語も読めねぇくせに」 「どうかな」 口角を上げる。ウェストが鬼気とした笑顔で笑った。 「ほざけ!」 彼の背後でくすぶっていた影が伸び、ネイに迫る。だがネイが僅かに唇を動かすと影は不可視の壁に遮られて地に落ちた。 ウェストが目を見張るのをまたず、続けて光が弾かす。影は崩れた。 ネイは一度地にしゃがみ、落ちていた本を手に取る。ゲンテリアスが消える直前まで持っていた本だ。軽く埃を払い、脇に抱える。 「夢の中でゲンテリアスが丁寧に教えてくれた。あいつが夢の虜じゃないっていうなら、あいつは俺が神になるのを待ってるってことなんだ!」 浮かぶのは彼の悲しい笑みだけ。 世界の夢の中で微笑みかけてくれた家族や友は大切だ。会いたいとも思う。彼らは偽りでも幸せの夢を見ているのだ。 けれど、彼はきっと一人。一人で平然と微笑む。孤独に笑う。 放っておいてはいけない。孤独に身を落とす彼を放っておくことなんてできない。 浮かぶのは笑みだけ。笑み。笑み。笑み──。 ネイは拳を握った。 「引け! ウェスト!」 教えてくれた通りに意思をのせて呪文を唱える。強烈な光が影のみならずウェストをもかき消した。 動くものは消え、ネイのみが残される。 ネイは額に玉の汗を浮かべ、荒く息をついた。 ウェストは彼自身が影に近くなっていたのかもしれない。だから光はウェストをも消したのだ。だがあの時は平気だった。共に旅をしていたときは。 記憶をなくしていたとウェストは言った。もしかしたら共に旅していたあのウェストがゲンテリアスの語った昔のウェストでもあったのかもしれない。人望厚く、誰からも慕われ、“恒星”のようであった昔の──。 ネイは思考を止めた。考え始めたらキリがない。緩慢な動きで扉を見る。扉は開いていた。ゲンテリアスが開けたものだ。 少し経てば影はまた現れるだろう。現れる前に、とネイは一歩踏み出した。 扉の向こうの様子は暗くてわからない。だが、迷わず彼は部屋の中へ入った。 部屋の中は真っ暗で、影に呑まれた感覚と同じである。一寸先も見えない。何か障害物があるかもしれない。だが、怖いとはおもわなかった。 どこまでも続きそうな黒い空間の中を進む。やがて淡い光を見つけた。静かに近づく。 光の中にあったのは小さな石版だった。ネイの腰辺りの高さまで台があり、石版が傾いた形でつけられている。 石版に歩み寄り、ネイは手を着いた。石版の文字が発光している。文字は神語だったが、読むことができた。少し目を通して、書かれているのが呪文であると気づく。 ネイは詠んだ。それを合図にして目の前に人影が現れる。顔が見えなくともわかった。 これが神だ。 “わかっているとは思うが、私が神だ。ここまでたどり着いた君には光を手に入れる力がある” 重々しい言葉が脳裏に直接響く。 ごくり、と唾を飲んだ。 “君に光を手に入れる鍵と私の記憶を一部を渡そう。だが、それ以上闇に落ち行く私にできることはない” 神の手が伸ばされ、手の平らしき部分に光が宿る。それが鍵なのだろうか。 “──最後に聞こう。これを受け取れば後戻りは出来なくなる。後悔はしないか” 「しない」 ネイはきっぱりと言う。 してる暇はないと思った。ただ、皆を助けたい。ここで受け取らなければ、それこそ後悔するだろう。 “……では力を与えよう──” 迷いなく言ったネイに神は光を差し出し、だが手を下ろした。 ネイが眉を寄せる。 “君が良き神となることを、ぼくは願うよ。ぼく以上の神になることを” 重々しかった言葉が軽くなる。これが素なのかもしれない。先程までの声より神らしくはなかったが、ネイの心に良く響いた。 神が手を伸ばし、光が煌く。光はまっすぐネイの胸の中に入った。精神から暖かくなり、体中を力が駆け巡る。 光がどこにあるのか理解した。ネイはまっすぐ“光”と“闇”を見る。 世界は気づいている。 闇だけでは、光だけではいけないと。 ならば光を戻せばいい。 闇と光は交わって、新たな世界を生むだろうから──。 ネイは光へ手を伸ばした。 「光よ」 神語を使わずとも、力が動く。世界は生まれ変わる。 闇と光は共に在れる。だから。 「戻れ」 巨大な本流を伴って光が闇と合流した。 |