6.忘れないでくれますか?

1
 人々の賑わいが辺りを満たしている。建物が立ち並び、見たことのないものが店先に置かれていた。
『すごいな』
 辺りをせわしなく見回し、感嘆をこぼす。それに友が頷いた。
『ああ! こんなにでかい町があるなんてな!!』
『こら、あんたたち勝手に出歩くんじゃないよ!』
『はーい』
 友の母親の呼びかけに、笑顔で答える。

『落ちんなよ!』
『わかってるって!!』
 目の前にある木の枝をしっかりと掴み、上を目指す。友も後からついてきているのがわかった。
 夢中で手を動かしていけば、やがて青い空が目の前に広がる。友も隣に座り、飽きることなく二人で空を見上げた。
『……ゃーん』
 かすかに声が聞こえて、下を見る。
『なんだー?』
『おかーさんがおやつだってさー!』
 母親譲りの茶髪を二つに結った妹が叫んだ。
『わかったー。すぐ行くー!! よし、降りよう』
『おう!』

 タンスから服を出す。久しぶりに着るその服に腕を通そうとしたらつっかえた。気に入っていた服だったのに、と口を尖らせる。
『母さん。これもう着れない』
 階段を下りながら、食卓を拭いていた母に服を突き出した。
『あらまぁ。これもなの? このごろ着れない服が増えて、困ったわねぇ』
『俺だって好きで着れなくなったわけじゃないよ』
 思わずそっぽを向くと、母親に頭を撫でられる。
『別に責めてるわけじゃないのよ。もう十七歳になったんだわねぇ、って思ってるだけよ』
 子供のように撫でられて、黙り込んだ。気恥ずかしく思いながら、文句も言わずに撫でられている。

『やあ』
 父親の畑仕事を手伝っていると声をかけられた。見れば、薄茶の髪を一つ纏めた男が片手を挙げて立っている。見かけない顔だ。何も持っていないが、旅人だろうか。
『なんだよ』
『いや、ぼくは旅をしてるものなんだけどね。ここいらじゃ見かけない金髪の君が居たからちょっと声をかけてみただけさ』
『金髪で悪かったな』
 気になっていることを言われて、かちんとくる。父も母も金髪では無いのに、自分はこんな金髪。父によると曾祖母が金髪だったらしいが、その理由を知っても回りからの視線を避けられるものではない。
『気に障っちゃったかな。ごめんねー。じゃ、畑仕事、がんばってねぇ』
 へらへらと笑い、男は去っていった。


 これは、何だ。

 友の手伝いをするために家を出た。そして森で木を切っていた。そこまではいつも通りだったはずなのに。太陽がちょうど真上に昇ったとき、地が激しく揺れた。
『どうなってるんだよっ!!』
『知るか!』
 地面にはいつくばって叫ぶ友に、叫び返す。揺れはとどまるところを知らない。どうにか足を踏ん張って、近くの木に捕まって耐える。
 と、視界に入った空にぎょっとした。
『なんで……』
『どした?』
 怪訝な声で友が尋ねてくる。それに答えるために震える指を天に向けた。
『空が…白い』
『嘘だろ』
 ざわり、と何かが背筋を駆け抜けていく。切り離される感覚。感じていた揺れが遠くなり、木の葉の擦れ合う音が消えた。
 黒が唐突に降ってきた。黒にあたった木が呑みこまれるようにして消える。黒は人のような形になり、友に向き直ったように見えた。

 友が後ずさる。
『な、なんだよ……』
 黒は─影は伸び、友に襲い掛かった。彼の発しようとした悲鳴は喉の奥で消え、彼はなす術もなく影に呑まれる。

 動けなかった。全てが遠く、幻のようで、動けなかった。

 友が影に消えて初めて、我に帰る。
『ああ……』
 世界が崩れていく。たった一人、自分だけを取り残して、消えてしまう。
 置いていかないで。

 置いていかないで!!!



「ああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」

 目を見開き、絶叫する。嫌だという気持ちだけが脳裏を占めた。
「ネイ!? ちょっと落ち着いて!」
「嫌だ。嫌だ。一人にしないで。俺を置いていくなーーっ!!!」
 空を見つめ、手を伸ばす。と、何かに抱きしめられた。
「母さんはここに居るわよ。大丈夫。大丈夫」
 優しく穏やかに言われて、ネイは息をつく。青の瞳の焦点が合って、ここがどこなのか視認した。
 木の天井にタンス。見覚えのある寝台。覗き込んでいる人々もよく知っている。抱きしめてくれている人も。
「母さん、父さん、ルナ。なんで……俺」
 今まで何をしていたのか記憶がはっきりしない。尋ねれば母がネイを放して微笑んだ。
「畑仕事の途中に倒れたのよ。母さんびっくりしたわぁ」
「昨日遅くまで起きていたなネイ。お医者さんによると寝不足だそうだよ。本を読むのはいいことだが、ほどほどにしなさい」
 父が険しい顔をしている。いつも優しい父だけあって、怒ると怖かった。ネイは少しうつむく。
「ごめん」
「まぁ、病気じゃなくて良かった。なぁ、母さん」
「そうね、お父さん」
 のほほんとした両親は互いに微笑み会った。と、布団の外に出した手を引かれる。
「お兄ちゃんうなされてたんだよ。大丈夫? 怖い夢見たの?」
 妹のルナが心配そうにネイを見ている。ネイは見ていた夢を思い出そうとして、首を傾げた。
「何か夢見てた気がするけど……忘れたな」
「ふーん……。ルナはずっとお兄ちゃんと一緒にいるから、心配しないでね。置いてったりしないからね」
 励まされて、ネイは苦く笑う。
 どんな夢を見て、どんな寝言を言ったんだか。
「じゃあ、母さんと父さんは仕事に戻るから」
「しっかり休むのよ、ネイ」
「わかってるよ」
 両親が言い残して、部屋から出て行く。ネイは一人残ったルナを見た。
「で、お前は何の用なんだ?」
「あのね。あのね」
 彼女はなにやらもじもじしていたが、やがてネイの前に何かを差し出す。
「ご本、読んで」
 字はとうに読めるようになったはずの妹は、今でもたまに本を読むことをネイねだった。彼女なりに甘えているのだろうと思っている、ネイは彼にしては精一杯の優しい笑みを浮かべる。
 差し出された本を受け取ると、ルナは目を輝かせた。
「よし、読んでやろう。ほらここに座れ」
「うんっ!」
 自分が寝ている場所の横を叩き、促す。すぐに彼女は昇ってきた。本を覗き込む。
「“魔術師フィエステ=トルジェと神の祈り”ヒューディ作。昔々、ある国に一人の魔術師がいました……」
 ネイはゆっくりと、朗読を始めた。
 見ていた夢が潜んでいることに彼は気づかない。

 もう一日だけ休んで、ネイは畑仕事に復帰した。彼が倒れたと聞きつけたのか友が尋ねてくる。
 がんばりすぎだぞ。と責める友に苦笑で返して、畑仕事を続けた。
 何を言われても、役に立ちたいのだからしょうがない。隔世遺伝とはいえ、この村では珍しい自分の金髪に両親が苦労したのは知っているから。
 今日も一仕事終えて、ネイは額の汗をぬぐった。もう空は赤く染まっている。
「ただいま」
「お帰りなさい」
“……さい”
 声が二重に聞こえて眉をひそめた。倒れた日からいつもそうだ。「いってらっしゃい」「お帰りなさい」、そんな言葉が二重に聞こえる。
 最初は慣れずに聞き返していたけれど、どうやらその声はネイ以外には聞こえていないらしい。今では慣れてしまって、平然と受け流している。
 それでも暇になったときに聞こえる声について考えてしまうのは、その声に聞き覚えがあるからだ。だが何度考えても思い出せない。それどころか忘れたほうがいい気すらしていた。
「もうすぐご飯だから、座って待っててね」
「ああ」
 母と、その手伝いをしているルナを見ながらネイは椅子に腰を下ろす。
「ただいま」
「お帰りなさい」
“……さい”
 父が帰ってくるとまた二重の声が響く。
「あらあら。お客さん?」
「ああ。昔の知り合いでね。近くにきたついでに寄ってくれたそうなんだ。今日はうちにとめようとおもうんだけど、いいかな?」
「大歓迎よ。ゆっくりしていってくださいね」
 騒がしくなる室内。どうやら客らしい。ネイはそっとその客を盗み見た。
 父と客を出迎える母に客らしい男はゆったりと微笑む。
「よろしくおねがいします」
 旅装を纏い、帽子をかぶっていたので瞳は見えなかった。
「あ、じゃあ特製スープを作らなくっちゃねぇ」
「母さんのスープは美味しいからな。きっとほっぺたが落っこちるぞ」
「それは楽しみですね」
 父が客に椅子を引いて薦める。それからルナを呼んだ。彼女は無邪気に駆け寄ってきて首を傾げる。ルナに微笑んでから、父は客に彼女を紹介した。
「それから、そこに座ってるのは息子のネイです」
 ネイも紹介されて、軽く頭を下げる。
「あ、ルナさんにちょうどいいお土産がありますよ」
「いや悪いよ」
「良いんですよ。お世話になるお礼です」
 客は荷物を探り、やがて一冊の本を取り出した。それをルナに渡す。
 ネイは自分を取り残して進行する周りになんとなく気に入らなくて、向き直らないまま横目で様子を見る。
 本をもらったルナの顔に笑顔が広がった。
「わぁ」
「綺麗な本でしょう? 私の知り合いが作ったんです。神様の文字で書かれているんですよ」
 表紙にはこの世のものとは思えぬほどの美しい景色が描かれている。ぱらぱらとルナは本をめくるが、ネイから見えた文ではまったく中身が読めなかった。神様の文字、というやつらしい。
「この本には神様がこの世界をどんなに愛しているかが書かれています。大昔、神様が人間に下さった魔法という力についても」
「魔法?」
「今は失われてしまった力ですが、とても便利な力ですよ」
 そして客はルナに神様の文字の読み方を丁寧に教え出した。ルナは興味津々に聞き入っている。ネイも横に居ため、耳に入ってきた。

「魔法を使うときはその呪文の意味を捉えて、意思を込めて呟けばいいんですよ」

 耳への入り方が違うことに気づいて、ネイは顔を上げる。ルナは夢中になって本の活字を目で追っていた。
 ルナに言われた言葉ではない。次に客を見れば、赤茶の瞳と目が合った。いつの間にか帽子を取っていたらしい。薄緑色の髪がさらりと揺れる。
 今の言葉はネイに向けて発せられたのだ。
「え……?」
“行ってください”
 脳裏に言葉が響く。誰も声を発していないのに。
 ネイは額に手を当てた。
 ようやく気づいたのだ。今まで聞こえていた二重の声は自らの思考の中から聞こえる声だと。ぐらり、と周囲の景色が揺らぐ。
「お兄ちゃん?」
 異変に気づいたのかルナが声をかけてきた。だがそれも遠い。目の前の客人だけが彩り豊かで。
 赤茶の瞳、薄緑色の髪、柔和な笑み。容姿が“彼”と符合した。
 ──ゲンテリアス。
 彼はゆっくりと口を開く。
「行ってください」
 呟かれた言葉をいぶかしむものは居ない。まるでネイのみに聞こえたかのごとく。
 そうだ、俺は。
 倒れた日に見た夢が蘇る。薄れた幻、いや、あれは過去であり幻は現実。忘れていたのは現実に起きたこと。
「行かなきゃ」
「どうしたの? ネイ」
「行くってどこにいくんだ」
 立ち上がったネイに家族が問いかける。いつの間にか友もそこにいて、笑いかけてきた。
「他に行くところなんてないだろ? お前が金髪気にしてたって、オレはお前の友達だぞ?」
 優しい。ただひたすら優しい。
 彼らは微笑み、優しい声をかけてくる。甘美な言葉を吐き出す。暖かい真綿に包まれる、そんな感覚を覚える。

 離れたくない。

 そう切に願った思いを一蹴し、ネイはゲンテリアスを見た。
 彼はただ、悲しげに笑っている。
 家族は途切れることなく笑みを浮かべ、話しかけてくる。まるで説得するかのように。
 ネイは目を伏せた。

 ずっとこうしていたかった。ずっと彼らと共にいるのだと信じていた。
 笑って、働いて。
 きっと数年したら役に立てるようになって。ルナもお嫁に行ったりして、逆に俺は誰かを嫁にもらって。金髪は珍しいから、村娘からもらうのは無理かもしれない。一回町に出ようかな。
 友とは離れてからもちょくちょく会って、馬鹿な思い出話。お互いに生まれた娘のことを競い合ったりして。
 貧乏でも暖かい家庭を、自分が生まれ育ったような家庭を築いて、老後は夫婦で笑いあう。
 死に際に、世界は俺が死んでも続くんだななんて、かっこいい言葉を吐いたりして。
 でも、俺は知っている。

 世界はもう続いていない。

 友の手伝いで森に行った日、世界は闇に包まれた。影達が森を、友を飲み込み、ネイにも迫る。意識を失って目覚めたときには仲間とともに荒野にいた。白い“空”を見上げて。
 だから、色を変えるここの空は、世界の空ではありえない。
 暖かく笑う彼らはあの世界ではありえない。
 友と昔行った町は影に呑まれた。この村も呑まれているだろう。
 ここは、世界ではない。

 ただの夢だ。

「ごめん」
 夢を共に見ていたかった。それを誘ってくれていた。
 けれど、俺は行かなければいけない。約束したから。この真綿の夢に包まれることは出来ない。
 どうしたの? と口々に彼らは甘い言葉をかける。彼らは夢を夢だと気づけない。夢からも出られない。ゲンテリアスだけが、全てを知っているように見えた。
 ネイは震える言葉で彼らに告げた。行かなければいけないから。
「ごめん。俺はここにはいられないんだ」
 ぱしり、と夢が割れた。

+++

 金髪の青年と夢が同時に掻き消えて、ゲンテリアスは息をつく。たった一人、闇の中で笑みをこぼした。
 その彼の姿も闇に包まれていく。
 完全に消える直前ゲンテリアスは口を動かしたようだったが、闇は音を伝えない。

 薄緑は消え、闇だけがその場に居座った。