5.私?

2
「先に…進もう。あんたが神になれば皆助かる」
 沈黙の末、震える声でネイは言った。ゲンテリアスは目を伏せ、短くルメリアの冥福を祈る。
「はい」
 頷いた彼の額には汗が浮かんでいた。
「でも……どうやって先に進めば」
「私が魔法で橋を作りますよ」
 ネイが鋭い視線でゲンテリアスを射抜く。
「あんた、自分の体調わかって言ってるのか?」
「わかって言ってます。……こんなところで足止めされるわけにはいかないでしょう?」
 きっぱりと言い切ったゲンテリアスは苦笑とも取れる笑みを浮かべた。自分のことは自分が一番よくわかっていると言わんばかりの表情に、ネイは視線を緩める。
 言葉が紡がれ、淡い光を放つ魔法の橋が目の前に現れた。
「行きましょう」
 ゲンテリアスが率先して橋を渡る。そのきびきびとした動きにネイは眉をひそめるが、何も言わずに後を追う。
 橋は二人が渡りきったと同時に消えた。

 二人とも何も話さなかった。無言のまま、規則的な足音を立てて歩む。ネイはゲンテリアスの横に並び、やがて先頭を切って進み出した。次第に歩調が早まる。
 カッ、と背後についてきていた足音が乱れたのは唐突だった。僅かに頭を動かし、ゲンテリアスの様子を伺う。その時は彼が平然と歩いていたので正面を向いたが、背後から聞こえる足音はだんだん不規則になっていく。
 ついに大きな音を立てた後足音が途切れ、ネイはすばやく振り返った。壁に手をついて荒い呼吸を繰り返しているゲンテリアスを見、慌てて彼に駆け寄る。近づいたところでギョッとした。
 彼の白衣から赤が滴り落ちる。血の跡は少しずつ背を侵食し、白衣を赤く染め上げていた。
 ネイが苦い顔をする。
「お前」
「魔法で完全治癒は無理ですから」
 重く吐き出されたネイの言葉に、ゲンテリアスは微笑み返した。血の気の引いた肌を雫が滑る。
 ネイは唇を引き結び、瞼を閉じて意思を放つ青い瞳を隠した。

 次に目をあけたとき、瞳には決意があった。
 何も言わずに、ネイは自分より背丈の有るゲンテリアスの腕を肩に回す。そしてまっすぐ前を見て、足を運び出した。ゲンテリアスも彼の意図に気づいてか、ふらつく足を動かす。
 傷が痛むのか、ゲンテリアスは歯を食いしばったままだった。たまに目が閉ざされ、ネイにかけられる負担が増える。負担はすぐに減るが、彼の意識が途切れ途切れになっているのはネイにもわかった。
 まずい、とネイは思う。ゲンテリアスと自分とでは身長差がかなり有り、ゲンテリアスは華奢な体格ではない。完全に意識を失ったゲンテリアスを運ぶことは不可能だろう。意識を保つためには──。
 ネイはゆっくりと口を開いた。
「さっきの誰かって誰だよ」
 できるだけ穏やかに問いかけたつもりだったが、ゲンテリアスを支えながらのためか、詰まったような言い方になる。
「“反逆者”です」
 囁くように弱い声でゲンテリアスが返した。ネイの意図を察しているのか必死に言葉を搾り出す。
「“世界と偽りは歓喜する。ようやく手に入れた闇に歓喜する”。“偽り”が闇を引き入れたんです。“柱”であった神を陥れるために。神は罠にかかり、反逆者……“偽り”の手によって滅んだのです」
 額に汗を浮かばせ、ネイが笑った。
「その一文からそれだけのことがわかるのか。すごいな」
「特にすごくはありませんよ」
 儚く謙遜して、ゲンテリアスは遠くを見つめる。
「問題なのは、反逆者の所在です。“星々”でもなく、“命あるもの”でもない“偽り”がこの世界にいることになります。反逆者は今、この世界に……」
 何かにひきずられるかのような、夢見心地の言葉。途中まで吐かれたところで、自らの思考に入ってしまったのかそれは途切れた。
 ゲンテリアスが考え込んでいる中、ネイは黙々と進む。思考に没頭しているためか、ゲンテリアスが意識を飛ばすことはなかった。
 やがて、通路の先に一枚の扉が見えてくる。その石の扉には神語が刻まれていた。
「ゲンテリアス」
 ネイが呼びかけ、指し示す。思考に没頭していたゲンテリアスも顔を上げた。扉を赤茶の瞳に捕らえ、顔つきを険しくする。
「……近くに」
 ネイは頷いた。ゲンテリアスを支えたまま、彼は扉に近づく。扉の近くまでくるとゲンテリアスが率先して身を乗り出した。ネイに支えられたまま。
 神語をしばし凝視したのち、ゲンテリアスは息を呑んだ。そのまま固まってしまった彼に、ネイが怪訝な顔をする。
「ゲンテリアス?」
「……この扉は一人を犠牲にして開くようです」
 囁かれた事実に、遅れてネイも固まった。だがこちらはすぐに氷解する。表情を苦く緩め、当たり前のように言った。
「じゃあ俺だな」
「いえ、犠牲には私がなります」
「何言ってるんだ。あんたは神になるんだろ。なって皆を助ける。そう決まってるんだ。俺のことなんて気にするな」
 きっぱりと否定され、青の瞳が怒気をはらむ。荒げそうになる声をなんとか押しとどめた。
 ゲンテリアスはやんわり、首を振る。
「私がなります」
 有無を言わせぬ物言いに押さえていた激情があふれ、ネイは叫んだ。
「何で! 何であんたはそうなんだ。自分が犠牲になればいいって思ってるのか!? いつもいつも……」
 怒声は震え、つりあがった目は閉ざされる。
「最初から…気に入らなかった。年上面して、大人の余裕みたいなもの見せつけてるみたいで。何もかも、気に入らなかったんだ」
「はい」
「放っておけばよかったんだ。俺なんか。俺はあんたのこと嫌いだったのに」
「……はい」
「その本だって俺が見つけてきたのにお前が簡単に読みだして。魔法だって自分の体調考えずに連発するし。心配かけないように隠してたって心配はするんだぞ」
 ネイは歪んだ表情を隠すようにうつむいた。
「俺まで、守ろうとするなよ。守られなくても俺は大丈夫だったのに、全部自分で背負うな……」

 彼は立ててしまうから。どんなに無理をしても、背負わされた荷が重くとも。彼は平然と立ってしまう。
 そして自分はそのことに気づきながら、荷を肩代わりすることができなくて。
 歯がゆかった。

「……やっぱり、あんたのほうが神に向いてる。周りのことばっかり考えて。余裕があって。あんたのほうが、向いてるよ」
 今だって黙って聞いていてくれる。
 彼が神になるのを助けると決めたときから、適わないと認めた。どうあがいても、自分は彼の後ろから心配していることしか出来ないのだと、悟った。
 だから、彼が神にならなければ。
 だが、ゲンテリアスは苦く笑う。
「余裕はありませんよ。余裕あるように振舞っていただけです。その証拠に、背後に迫るルメリアに私は気づけませんでした。……今の私は、貴方に支えてもらわなければ歩くこともできません。貴方が居なくなれば私は部屋に入ることすら出来ず、反逆者である彼にやられるでしょうね。だから私が扉を……」
「彼?」
「え?」
 続けようとした言葉を遮られてゲンテリアスはネイを見た。ネイは眉をひそめている。
「反逆者を知ってるのか?」
 彼の問いに己が知りえぬことを口走ったのだと気づいた。
 一瞬の思考停止、その後に脳の最奥から記憶があふれる。次々に閃く過去と事実にゲンテリアスは目を細めた。
「ああ、思い出しました。私は神についての研究を仕事にしていたんです……」
 彼は誰に話すでもなく語りだす。取り戻した過去を確かめるように。
「私は同僚と共に神について調べていました。彼は同僚の一人でした。真面目な人でしたよ。好奇心旺盛で、気になることは調べずに居られない。人望も厚く、誰からも慕われていました。まさに例えるなら“恒星”のような人で」
 笑みを浮かべて懐かしい記憶を振り返っていたゲンテリアスは不意に笑みを消した。
「何故、そうなってしまったのは私は詳しく知りません。それでも、彼の周りで何かがあったのは確かです。……彼はある日を堺に変わってしまいました。笑顔が消え、人の波が彼の周りから消え、最後には彼自身が消えてしまった。彼が消える前の日、彼は私に言いました。『一緒に神を消さないか』と。私は冗談かと思い断りましたが、後にそれが本気だったと知りました。神によって」
「……は?」
 唐突に出現した神の存在に、思わずネイが言葉を漏らす。次の瞬間、ネイの頬の横を光が駆け抜けた。光を追えばいつの間にか現れていた影が退くのが見える。
「追いついてきましたね。あまり時間が無いようです。神は“星々”を探していました。次の神になる候補を。私はその理由と神の懺悔を聞いています。反逆者は星を人質に取ったのです。本来ならば神は星を見捨てなければいけなかった。けれど、神はそれを見捨てることが出来ませんでした。だから神は私に言ったのです」
 再び光が影を焼く。ゲンテリアスはますます顔を青くしながら早口で言った。
「世界より星を選ぶことを許してほしい。貴方達“星々”に命運を託すことを許してほしいと。私達は候補に選ばれた六つの“星々”でした。記憶をなくしてから出会った私達は彼を除いて、星々だったのです」
 そんな余裕は無いと自分で言ったはずなのに、彼は誇らしげに笑う。唇を動かし、また近寄ってきた影をその場に縫いつけた。
「さて、そろそろ時間稼ぎは止めにしましょうか。彼が来てしまう」
 話された事実をすぐに受け入れられず唖然としていたネイからゲンテリアスが離れる。何の支えもなく、彼は扉にへばりついた。扉の神語を目に写す。
 我に帰り、顔色を変えて駆け寄ったネイに微笑みかけた。
「大丈夫。死ぬような呪文ではありませんよ。貴方が神になってから私を救ってくれればそれでいい」
 ネイは激しく首を振り、顔をゆがめる。
「無理だ……。俺なんかが神になれるわけない」
「自信を持ってください。貴方なら大丈夫ですよ」
 ゲンテリアスは口を開き、ネイにはわからぬ言葉を一節吐き出した。
 ネイの目の前で扉が開いていく。扉にへばりついていたゲンテリアスは床に座り込んだ。彼を支えようと手を伸ばし、ネイは目を見開く。
 もう限界だったのか、ゲンテリアスの顔色は真っ青を通り越して白かった。荒く吐かれる息。だがそれよりもネイは彼の体の向こうに石の床がが見えていることに言葉を失くす。彼は硝子のように向こうを透かし、それ以上に色彩を失くしていく。

 犠牲、とはこういうことだったのだ。

「行ってください」
 幻想のような声が響く。
 彼は苦しみを背負い、消えていく己を感じていただろう。
 それでも彼は、ゲンテリアスは。

 微笑んでいた。

 ──六人目が目の前から消えた。
「ゲンテリアスっ」
 一人残された七人目の叫び。それと同時に硝子が割れるような音が響き、彼は振り返った。視界が黒く染まる。影が手に絡みつき、精神が軋んだ。
「ぅ…あ……っ」
 呑まれていく。自我の崩壊を伴いながら。
 締め付けられる体の痛みとそれ以上の精神の痛み。中をかき回され、外界との境界線が無理やり破られた。
 何かを思うが、それも影と溶け合って自分の思いか判別できない。
 ついに意識が閉ざされ、暗転した。

 最後に思ったのはなんだったのか、彼にすらわからない。