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  肆・火蓋は切られた


 ぼんやりと目の前の水の流れを見ていたりする今日この頃。
 クルレイはピスタチオ達大丈夫だろうかなどと意識を飛ばしながら、サンジェニュアルの帰りを待っていた。
 下水道で待機することなど慣れきっていて、意識を飛ばしつつも耳は辺りの音を捉えている。
 ガコ、と重たい音が頭上から響いた。
 寄りかかっていた壁から身を浮かし、吸っていたタバコを携帯灰皿へと突っ込む。
 軽やかな音と共に、少女を抱き上げたサンジェニュアルがクルレイのすぐ横へ降り立った。
「ただいま!」
「……お帰り」
 クルレイは能天気に手を上げて挨拶をするサンジェニュアルに返事をする。
 サンジェニュアルが抱き上げていた少女を降ろした。
「標的無事確保完了! 今から逃走に移りまーす!」
「まーす」
 サンジェニュアルのまねをして、少女が笑う。すっかり仲良くなったらしい。
「おい、ふざけてないで行くぞ」
「今度はこのおじちゃんに抱っこしてもらってねー」
「はーい」
「おじさんって年でもないが?」
 クルレイがすばやく突っ込むと、サンジェニュアルはわざとらしく笑みを深めた。
 どうやら昼頃のやりとりの仕返しをされているようだ。準備している最中は何も言ってこなかっただけ根が深い。
「もう、おじさんでいい」
 諦めてクルレイはため息を吐いて──鋭く視線を走らせる。
「クル?」
「静かに。フードを深くかぶれ」
 低い声で忠告され、サンジェニュアルがかぶっていたフードの端を引く。
 それから一度は下に降ろした少女をもう一度抱きかかえた。
 足音が、近づいている。
「フフフフ」
 女性の笑い声と共に、人影がだんだんと姿を現した。
「ドラキュラ一味で間違いなさそうね……」
 その声にクルレイが眉を寄せ、チと小さく舌打ちする。
 姿を見せたのは艶やかな黒髪を優雅に肩へとかけている女性だった。彼女の形の良い唇が歪められる。
「はじめまして、と言っておこうかしら。ドラキュラの皆さん」
 サンジェニュアルが少女を強く抱きしめる。
「逃げろ」
 小声でクルレイが指示し、サンジェニュアルが頷いた。
 少しずつ後ずさり、女性が現れたのとは反対方向に駆けていく。
「あら。二人だけで逃がしてよかったの? 警察がいるかもしれないのに」
「不振な物音は無かった。いないと信じるしかない。それに、そう言うならお前はドラキュラ本人を逃がしてもよかったのか?」
「良いわ。分かっているんでしょう? わたしはあなたに再会の挨拶をしにきたのよ?」
 女の言葉にクルレイがギリと歯噛みした。
「ああ。そうだな。だが、あいにく俺はお前に再会したいと思ったことはない」
「冷たいわねぇ」
「何のようで来た。セミィ・ファネサー」
 低く発せられた声に、女─セミィは肩に掛かる黒髪を払いのける。
 クルレイがいっそう鋭くセミィを睨んだ。
「言ったでしょう? あなたに再会の挨拶をしにわたしは来たの。まさかわたしが王都へ行っているうちにあなたがドラキュラの仲間になっていたとは思わなかったわ。昔よりかっこよくなったわね、クルレイ。探偵をやっていたころよりずっと素敵で魅力的だわ」
「今更お前にそれを言われても背筋がぞっとするな」
 セミィの言葉を鼻で笑い飛ばし、クルレイが続ける。
「何の目的で俺の前に現れたかは知らないが、さっさと去れ。二度とその顔を見せるな」
「そうもいかないわ。だって、これが初仕事ですもの。わたしの女刑事としての、ね」
 女刑事。そう聞いた途端にクルレイがその場を蹴った。セミィからさらに間を取った場所に静止し、低く構える。
「いいわね。その顔。真剣に睨まれるとゾクゾクするわぁ。その顔のクルレイと最初から合いたかったわね。そうすれば暇すぎてあなたを裏切ることもなかったのに」
 セミィは懐に手を入れ拳銃を取り出す。そしてクルレイに照準を向けた。
「さ、ぞくぞくするような戦いでも、始めましょうか?」
 セミィの赤い唇がそう形作り、引き金が引かれる。
 銃声と共にそれは始まった。
 続けざまに放たれる銃弾をすばやく避けつつ、クルレイがセミィに接近。銃を持つ右手へと手を伸ばす。
 が、その手が届く前にセミィが右手を引き、同時にクルレイの腹部へ向かって膝を突き出した。
 クルレイは突き出された膝を伸ばした手で受け止める。瞬時に後退、クルレイがいた場所に銃弾が埋め込まれた。
 クルレイが後退するが、セミィがそれを追い前進! さらに銃口を向け銃弾を放つ。
 その銃弾を体をひねって退避し、クルレイは勢いのままにセミィの腕を掴んだ。足払いをしてセミィの体勢を崩す。
 セミィは体勢の崩された状態で左手でクルレイの腕を掴み、すばやく銃口を向け引き金を引いた。
 のけぞってそれを交わしたクルレイは──しかし肩を銃弾が掠める。
 セミィ同様バランスを崩したクルレイに、セミィは左手を尽き下から蹴り上げる。
 だが、その足をクルレイが掴みさらにうえに引っ張ったために左手が浮いた。そのまま放り投げられるが、上手く両足を突いて着地し、態勢を整えるべく距離をとる。
 セミィが距離をとったところで、クルレイも後退した。ズボンのポケットに手を入れ、あれを取り出す。
 再びセミィが地を蹴り、クルレイとの間を詰める。
 向けられた銃口をクルレイは立ったまま向かえ、引き金が引かれたと同時に握っていたあれを放し下がった。
 床に落ちたあれはすぐに煙をあげ、セミィがその場で足を止める。
 煙はすぐに下水道に充満してセミィの顔が見えなくなった。
 クルレイは彼女に背を向けて走り出す。

 しばらく走ったが、どうやら追いかけては来ないらしく足音は聞こえない。
 あるマンホールで外へ出て、闇にまぎれてさらに走った。
 じきに外灯の下でサンジェニュアルが経っているのが見え、合流したことを知る。
「クル! 大丈夫だった?」
「ああ。本気ではなかったらしい。上手く逃げれた」
 内心、本気だったらどうなったことかとクルレイは思う。
「お兄ちゃんは…?」
 か細い声に視線を落とすと少女がサンジェニュアルの足にしっかりと捕まっていた。不安らしくぎゅっと捕まって離れそうにない。
「今に来るよ。大丈夫」
 サンジェニュアルが微笑んで少女の頭をなでる。
「もうすぐ合流の時間のはずだ。順調に行けばそろそろ現れるはず……」
 クルレイは辺りを見回した。深夜のこの時間に出歩いている人は見かけられない。
 だが、向こうのビルの間から歩いてくる影に目を留める。
「来たようだ」
「あれ? 一人だよ」
「何かあったのかもしれないな」
 クルレイの声に少女が顔を上げ、影を見た。
 影はだんだんとこちらへ近づき輪郭がはっきりしてくる。その影が誰か、クルレイとサンジェニュアルが確認する前に、少女がサンジェニュアルから離れて駆け出していた。
「お兄ちゃん!」
「ラスナ」
 影─いや、青年だ。青年が駆け寄ってきた少女を抱きとめる。
 今回の依頼人に間違いなかった。
 クルレイとサンジェニュアルも二人に近づいていく。
「依頼人の方ですか」
「は、はい」
 クルレイが確認すると、青年は背筋を伸ばしてうなずいた。
 気が急いているらしいサンジェニュアルがクルレイの横から口を開く。
「あの、先導したドラキュラは……?」
「連れ出してくださった方なら、途中ではぐれてしまって……。下水道で会った方はおそらくオトリになったんだろうと言って、後から行くので先へ行っていてくださいと言われました」
 青年の話によるとティーディードはどうやらピスタチオの補助へ回ったらしい。
 サンジェニュアルとクルレイは顔を見合わせた。
 クルレイがやれやれと息を吐く。
「とりあえず、先を急ごう。教会まで案内します」
「は、はい」
 青年と少女を連れて、サンジェニュアルとクルレイは夜の闇を歩き出した。

  ◇ ◇ ◇

 すばやく足を動かしながら、ピスタチオは背後に目をやった。
 団体、同じ服装、見分けのつかない……嫌な集団の基本と言えるかもしれない三拍子がそろった警官達が追いかけてきている。
 角を曲がっても曲がっても同じ速度で追いかけてくる集団。
 依頼人の屋敷からの追っ手を上手く交わし下水道に入ったまではよかったが、待ち伏せしていた警官隊にぶつかってしまったのだ。
 とっさの判断で逃走開始したピスタチオを、警官隊は律儀に追ってきてくれた。
 こうしてこの鬼ごっこは始まり、今も続いている。
 ピスタチオはまたちらりと背後を見た。
 警官隊は同じ歩調でまだ追いかけてきている。
「う……うっとおしいぃぃぃぃぃぃぃーー!!!」
 思わず叫んで正面を向く。見ないほうがまだ精神衛生上良いという判断からだったが、ちょうど目の前に見知った顔が出てきたところだった。
「ピスタチオ! こっちへ!!」
 横道から顔をだしたティーディードが手招きする。
「ティド!?」
 ピスタチオは素っ頓狂な声を上げつつもティーディードのいる横道に入った。
 そのまま二人で疾走する。横道は今までピスタチオが走っていた道とは違い、下水が流れておらず道幅が狭かった。
 背後の警官隊が詰まって遅れをとっている。
「ティド、お前依頼人は!」
「一人で行かせましたっ!」
「お前、それは…」
 ピスタチオが正面を向いたまま言葉をにごらせた。それに対してティーディードが口を開く。
「ぴ、ピスタチオが危険な目にあってるのにほっとけません」
 そういったところで横道が終わった。元の下水道の本流に出る。
 そこを右へ同時に曲がり、曲がったところでティーディードがぼそりと言った。
「ぼくはピスタチオのサポート役なんですから」
 聞いたピスタチオが苦笑する。
「そっか」
 それきり、二人は黙り込んだ。黙々と足を動かし前へと向かう。
 下水道を疾走する二つの影は地上への梯子を見つけたところで息を吐いた。が、梯子の向こうに現れた人影に息を呑む。一つや二つではない多くの人影がそこに現れた。
 ピスタチオは眉間にしわを寄せた。こちらへ近づくにつれてだんだん輪郭がはっきりする人影の一つを睨む。
 そして吐き捨てた。
「先回りってことかよ、ラディエル!」
 現れたラディエルは口角の端を持ち上げる。
「いや、完全な偶然だよ。警官隊が君たちを見失った時点で、今回はもう出会えないかと思ってたんだ。私はよほど運がいいらしいね」
「オレの運は過去最悪ってわけか」
「それは違うよ、ピスタチオ。私に捕まるなんて、きっと君も運がいいんだ」
「もし捕まったとしたら運悪い、逃げられたら運がいいってとこだろ」
 言い返しながらピスタチオが少しずつ後ろに下がった。ティーディードも同様に下がる。
 ラディエルの後ろには銃を持った警官が控えていた。距離は大分あるが、ここは一度引こうと二人はさらに間を空ける。
 ティーディードが下がりながらポケットに手を入れ──一つ銃声が鳴った。
 その音にびくりと縮み上がったティーディードは、すぐ横でドサリと音がするのを耳にする。一気に匂いが広がった。一週間前に嗅いだような匂いが。
 思考が白く焼き切れる。
 ティーディードはゆっくりと横に視線を落としていく。
「っは……い、きなりか。予、想しな、かったな」
「君は死なないんだろう? 出来れば無傷で捉えたかったけど、死にさえしなければ構わないし。遠慮することもなって考え直したんだ」
「考え、っ直すな……余計な、こと、を」
 笑いを含めたラディエルに対して、ピスタチオの声は途切れ途切れで冴えない。
 ティーディードの目はようやくピスタチオの姿を捉えた。
 両足を投げ出して地面に座り込んでいるピスタチオは歪んだ苦笑を浮かべている。右手は腹を押さえていて、左手で上半身を支えていた。額に汗が浮かぶ。
 腹を押さえている右手は赤く。
 赤が思考に届き、ティーディードはようやく我に返った。
「ピスタチオっ」
 あせって近づこうと足を踏み出し、目の前ではじけた銃弾に足を止める。
 弾の軌道に沿って見ればラディエル自ら銃口をティーディードに向けていた。
「そのまま手をあげて」
 ティーディードは唾を飲み込み、銃口から目線を落とす。両手の拳を握れば、ポケットに入れた手が確かな感触を掴んだ。それをぎゅうと握り締め、目をつぶった。
 どんなことをしても、逃げなければ。ティーディードはそれだけを思う。
 数秒の間の後、ティーディードはすばやく目線をラディエル達へ向けポケットから手を出して振りかぶる。
 投げようとしたところで銃声。同時に投げようとした手も止まった。
 ティーディードの前にいつの間にかピスタチオが立っていた。
 ゴホと咳をしてピスタチオがその場に崩れる。目を見開いたティーディードは、しかし今度はすぐに倒れた彼に駆け寄った。
「ピスタチオ!」
 投げようとしていた閃光爆弾は手の中のまま、ティーディードはピスタチオを覗き込む。
 ピスタチオは顔をしかめつつ笑った。
「そん、な心配、す、るなっ、て。平気、だ。死な、な、い」
「まさか、庇うとはね」
 ラディエルの嘲笑するような声が響く。
「そ、れ。投、げて。逃げ、ろ。しく、ったって、ク、ルに、謝、っとい、て」
 ピスタチオの胸から赤が覗いていた。赤い血が流れていく。
 ティーディードは言われた言葉に首を振った。
「い、いやだ。いやです。置いてなんていけませんっ!」
 自分のせいだ。余計なことをしようとしたから、失敗した。自分のせいで。
 視界が潤む。ピスタチオの苦笑する表情がぼやけた。
 警官が一歩一歩近づいてくる足音が聞こえる。
「ようやく。ようやくだよ! ドラキュラをついに捕まえるんだ、私は!」
 ラディエルの歓喜の声。
 警官の統率の取れた足音。
 ひゅぅと裏返るピスタチオの呼吸。
 自分の涙の音。
 ティーディードには全て鮮明に聞こえていた。

 ──心臓を撃たれても死なぬか。

 厳かに聞こえた声に、ティーディードは顔を上げる。
 最初に見えたのはラディエルで……だが次の瞬間目の前に真っ白な壁が現れた。さらに顔を上げればラディエルとは何か違う金髪に碧眼の顔が目に入る。真っ白な壁は目の前の男の服らしい。
 ティーディードは目を瞬く。
 おかしい。目の前に人はいなかったはずなのに。
 一瞬前までは誰もいなかった場所に男が立っている。
 どことなく威厳がある男の視線はピスタチオに向けられていた。
 ピスタチオは視線を受けて小さく呻いたが、地に伏したままだ。
「動かないで。撃つよ」
 棘の含まれた言葉が男に投げられる。
 がたがたと震えながら、ラディエルが拳銃を男に向けていた。警官達も不信感いっぱいの目で男を見ている。
 男はラディエルに目を向けた。それから一歩進む。
 警官達に緊張が走った。
 そのようすに男は口の端をあげる。
「撃ちたければ撃つがいい。ためしにそこの者」
 警官の一人を男は無造作に指差した。目を細める。
「撃て」
 不思議な色の声だ。言葉を聞かなければいけないような、そんな感じのする声。
 指を差された警官は一瞬体を硬直させたが、次の瞬間引き金を引いた。
 銃声が鳴り響く。しかし、男に向けられて撃たれた弾丸は男の前で静止。そのまま垂直に落下、地面にカランと音を立てて転がった。
 警官達がざわりとざわめく。
「ば、化け物!」
 誰かが叫んだ言葉が広がっていく。
 ラディエルが落ち着けと声を張り上げた。
 と。
「化け物の仲間はやっぱり化け物なんだ!」
 ひときわ大きくその言葉が響いた。
 警官達を止めていたラディエルが言葉を失い、伏しているピスタチオは答えるようにコホと咳をする。
 ざわめきが納まらぬ中、男は平然としたまま右手を上げ──。
 直後、がくがくと地面が揺れた。警官達がよろめき、ラディエルの青い瞳がピスタチオを捉える。青は不安げに細められた。
 立っていられないほどの揺れに警官達が逃げ惑う。
 音をたてて天井が崩れ、ラディエルの抑えろという叫びが轟音にかき消された。
 ティーディードは地面に手を着く。自分達の上に瓦礫が振ってこないか、注意を頭上に向けた。
 ふと気づいて男を見ると、男はこの揺れにも関わらず平然と立っている。

 まるで揺れていないかのように。

 やがて揺れは収まり、ティーディードは息をついた。
 瓦礫は彼らの頭上に降り注がず、だが正面に即席の壁を作った。壁は完全にラディエル達の姿を隠し、ティーディード達とラディエル達を分けている。
「た、助かった……?」
 なんという奇跡だろう。あの状況で窮地から脱出できるなど。
 神に感謝しようと心に思い、それからまさかと男を見た。
 見られていることに気づいたのか男がティーディードを見る。目線が交わった瞬間、彼は微笑んだ。
 ティーディードは唖然と口を明け、衝動のまま口を動かす。
「……神?」
 口について出た言葉に男が一層笑みを深くし、ティーディードは自らの口から出た言葉に驚いた。
 ティーディードが戸惑っている間に、男はティーディードにゆっくりと歩み寄る。ティーディードの目の前に手のひらをかざす。
 ティーディードは男の手を見た。そして目を見開いたまま静止する。
 男が手を下げてもティーディードは固まったままだった。
 ピスタチオはぼやける視線を何とか保ちつつ、男の様子を伺う。
 男がティーディードと同じようにピスタチオに近づき、傷の上に手を添えたのを感じた。思わず息を止める。
 男はピスタチオの傷を見ているようだったが、やがて口を開いた。
「心臓を撃たれても死なぬ……か」
 先ほど聞こえた言葉を繰り返し、男はピスタチオに背を向ける。
 それと同時にピスタチオは跳ね起きた。
「お前っ」
 上半身を起こし、男に呼ぶ。男が振り返りその容貌をはっきりと目にする。ラディエルと同じ金髪碧眼だというのにどうしようもなく惹かれる容姿。
 言葉を出そうとして、一瞬迷う。
「……なんなんだ」
 ピスタチオは搾り出すように言葉を吐き出した。
「お前はいったい何なんだ!」
「ならば、逆に問う。不死たるお前は何だ」
 向けられた問いにピスタチオが口をつぐむ。
 男は特に答えを求めるようすもなく、続けた。
「私は正体を明かすつもりはない。そもそも正体をなんと定義するか、私は知らない。何だと聞かれて答えられるものではない」
 青の双眸がまっすぐピスタチオに向けられる。
「不死たるお前が人間だと言えぬように、な」
「オレは……ピスタチオだ」
「それは名前でしかない」
「ならオレが何か。お前ならどう答えるんだ」
「お前は、人間のなりそこないだ」
 ピスタチオに言葉が突き刺さった。強い意志で向けられている青の瞳から目を逸らし、ピスタチオはうつむく。
「魂が歪み、お前の命をおかしくしている。それゆえにお前は人間ではなく、それゆえにお前は死ぬことがない」
 男の声はだんだん遠ざかっていく。
 ピスタチオが顔をあげたが、すでに男の姿は消えていた。声だけが響く。

 ──お前は人間として生きることは出来ず、いつかは周りを歪みに巻き込むだろう。危うい魂は安定を求め、時に周りの魂を食らう。魂の歪みは収まらず、お前はだんだん人間から外れていく。

 ピスタチオは辺りを見回した。
 いるのはティーディードのみで、彼はぼんやりと視界をくうにさまよわせたまま。
 ふと痛みが消えていることに気づいた。撃たれた左胸と腹を触る。
 傷は消えていた。
 声は続く。

 ──救いを望むならば、彼らと別れなければならない。お前が彼らと別れる決心をしたとき、私はお前を救おう。

 声が途切れ、辺りに静寂が広がる。
 一拍置いてティーディードが動いた。
「あ」
 我に返ったらしい彼が声を上げる。
 ピスタチオはそれでも声の続きを待ったが、ティーディードがピスタチオに近づくのが先だった。
 男の声は聞こえない。
「す、すごい地震でしたね……。おかげで助かりましたけど」
 ティーディードがへらりと笑う。ピスタチオは違和感を感じた。
 ティーディードも確かに男を見たはずだ。なのに、彼は地震のことしか言っていない。
「……覚えていない?」
「え、何をですか?」
 分からないらしいティーディードに、ピスタチオはなんでもないと首を振った。
「帰ろっか」
「? はい」
 ティーディードに先へ行かせ、梯子を上らせる。
 自分も梯子に手をかけて……振り返った。
 幻のような出来事。
 だが、確かに。
 確かに誰かが見ている。

  ◇ ◇ ◇

「あ、二人ともお帰りー」
 ドアを開けたピスタチオに、サンジェニュアルは笑顔で手を振った。ピスタチオはあいまいに笑う。
「ただいま」
「遅かったな」
 サンジェニュアルの隣に座っていたクルレイがタバコの煙を吐き出した。
 もう夜中だというのに、二人とも起きて待っていたらしい。
 ピスタチオに続いてティーディードが家の中に入ってきて、同じように迎えられる。
「着替えてくる」
 ピスタチオは一言そう断り、部屋のドアへと足を進めた。
 クルレイの会話の矛先がティーディードに向き、原因を問いただしているのが背後に聞こえる。
 クルレイとサンジェニュアルに捕まったティーディードは逃げることも出来ず、二人の質問に答え始めた。
 ドアノブをひねり、ドアを閉めれば三人の声が遠くなる。
 外のにぎやかな声を聞きつつ、ピスタチオはドアに寄りかかってずるずるとしゃがんだ。

 ──お前は人間として生きることは出来ず、いつかは周りを歪みに巻き込むだろう。

 男の声が頭をよぎる。

 ──救いを望むならば、彼らと別れなければならない。

 怪我の治りが遅くなってきた。
 前遅くなったときはクルレイが倒れ、気づいたら普通に戻っていた。
 心当たりが浮かび、だがそれは可能性でしかないと否定する。
 同時に可能性ではなく事実だとピスタチオは思った。
 男の声に偽りは無く、否が応でも真であると示している。
 三人の騒ぎ声が酷く遠かった。
 彼らを巻き込むのは嫌だ。巻き込みたくない。
 そう思いながらも、別れを選ぶことも出来ずピスタチオはただ静かに目を閉じた。

 今も誰かが見ている。
 全てが真実なのだと、語るかのように──。



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