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1 彼は気づいた。 なら大丈夫だと目を閉じる。 もう、酷く眠いのだ。 +++ 四人目。 影は追ってこなかった。ウェストが食い止めたのかもしれない。ともかく残りは三人になった。 走り抜けた三人は淡い明かりが灯っている部屋にいる。洞窟の先に石造りの扉を見つけたのだ。その扉も今は厳重に閉ざされている。 「うぇすとぉ」 影から逃げ切って、ルメリアはまた両頬を濡らしていた。石の床に座り込んで、動こうとしない。 ゲンテリアスはといえば、力尽きて床に転がった体勢のままだった。力なく手足を投げ出し、肩を上下させている。 「ネイ」 「あ?」 「肩を……貸して、くれますか?」 荒い呼吸の合間にゲンテリアスがネイに頼む。息を整えていたネイは言われるまま、ゲンテリアスに歩み寄った。 手を伸ばすとゲンテリアスが弱く掴む。力が入らないのだろう。なんとかネイを支えに立ち上がり、肩に腕を回した。 「すみません」 「気にすんな」 短くネイが言葉を返す。 ゲンテリアスは辺りを見回し、部屋の中にある巨大な石版に目を留めた。 「あの、石版のところまで……、つれていってくれますか?」 ゆっくりとネイは歩き出す。ネイよりゲンテリアスのほうが背丈がある。多少歩きづらそうにしながらも二人は石版に向う。 「さっきのウェストの言葉は?」 ネイがゲンテリアスに尋ねた。ゲンテリアスは額に汗をかき、懸命に足を動かしつつ説明する。ウェストにお前なら神になれると言われたことを。 答えを聞いて、ネイは口を閉ざした。 石版まで近づくとゲンテリアスはネイから離れ、張り付くようにして石版の文字を追う。ネイが読めないことからして、神語なのだろう。顔をしかめていると翻訳された言葉がゲンテリアスの口から飛び出した。 「世界の柱は砕け、世界は闇を手に入れた。全てが闇へと身を落とす。命あるものは影に呑まれ、偽りの夢を見る。しかし、星々は残るであろう。そして星々から恒星は生まれる。恒星が生まれし時、それすなわち世界が光に満ちるときなり。星々よ、光を手中に収めよ。さればそなたは恒星となるであろう──…」 読み上げたゲンテリアスはふむ、と少し考え込む。 「“世界の柱”が前の神、“命あるもの”は“影”に呑まれるわけですから、残った“星々”は私達と考えていいのかもしれません。そして“恒星”が生まれるとき、世界に光が満ちる……。“恒星”は新たな神でしょうか……? 新たな神が生まれる時、世界が光に満ちる…?」 「ようするに、俺はお前が神になるのを助ければいいわけだ」 さらりと言われた言葉にゲンテリアスが目を見開いてネイを見た。 「ネイ」 咎めるように名を呼ばれ、ネイは肩をすくめる。 「あんたのことはまだちょっと気に入らないけど、あんたが神様になれば皆が助かるかもしれないだろ。だから、あんたを助ける」 きっぱりはっきり言われて、ゲンテリアスは苦く笑った。 「で? これからどうすればいい?」 「この部屋から先の部屋へ行けるらしいですよ」 石版を見て、ゲンテリアスが指示する。ネイは辺りを見回したが、道らしいものは目に入らず眉を寄せた。 「ぱっといけそうな道は見えないな」 「隠れているだけかもしれませんよ」 「まぁ……探してみる。とりあえず、ゲンテリアスはここで待ってろ」 「お願いします」 軽く会釈して、ゲンテリアスは石版に背を預けて座り込む。立っていただけなのに酷く疲れていた。は、と短く息を吐く。 ネイは少し離れたところで壁を調べている。壁を叩いてみたり、石の隙間を覗いてみたり。 本来ならばゲンテリアスが率先して探すべきなのに。探してくれていることに感謝を覚えずにはいられない。 と、思い出していまだに泣いているルメリアを見る。人のことを気遣えるようになったあたり、大分余裕が出来てきたらしい。 まだ泣いている彼女に微笑みかける。 「大丈夫です。きっと、皆助かりますよ。次の部屋へ行く道をネイが探してくれています。ルメリアもこっちに来て、ネイが道を見つけるのを待ちませんか?」 優しく声をかけると、ルメリアは泣きながらも立ち上がった。泣き声を漏らしつつ、頼りない足取りでこちらに歩み出す。 それを温かい目で見ながら、ふともう一度ゲンテリアスは石版に目をやった。先程見ていた位置よりかなり下の此処に控えめに書かれている神語を見つけ、勢いよく顔を石版に近づける。夢中になって文を追った。 “世界と偽りは歓喜する。ようやく手に入れた闇に歓喜する” “偽り”は“闇”を手に入れた。 記憶の靄が晴れ、全てが一本に繋がる。ゲンテリアスは拳を握った。ああ、最初から答えは私の中にあったのだ。 だとしたら。 思考をつなげようとした時、衝撃が体を貫いた。びくり、と痙攣して思考が停止する。遅れて痛みが広がり、握っていた拳が解けた。 「あ……」 喉の奥から声を発し、ゲンテリアスは背後を見ようとぎこちなく首を動かす。 異常に気づいたネイが彼のほうを見、ぎょっとした。 「ルメリアっ!?」 涙を流しながら、少女はゲンテリアスの背に短剣をつきたてていた。その短剣は刃から柄まで真っ黒で、この世のものとは思えない。 桃色の瞳が歪んだ。ルメリアは小刻みに震え出す。 「やだ」 か細い言葉が口から漏れるが、手は言葉に反して短剣の柄を強く握りこんだ。そのまま、少女はナイフを引き抜いた。 ゲンテリアスが吐息を漏らし、目を一杯に見開く。白衣が赤く染まった。ずるり、とゲンテリアスが石版にもたれかかるようにして崩れ落ちる。傷口から赤はとめどなくあふれ出て、体が跳ねた。ゲンテリアスの顔色はどんどん悪くなっていく。 「やだやだやだやだやだやだやだやだ」 ルメリアの瞳から雫が零れ落ちた。短剣を振り上げ、ゲンテリアスに突き刺そうとする。それを間一髪、二人の間に飛び込んだネイが腕を掴んで止めた。が、ルメリアが腕を一振りすると振り払われ、よろける。そのまま彼女はネイに向って切りかかってきた。 倒れこむ二人。ネイは何とか振り下ろされる短剣を頭上で止める。 「止めろルメリア。どうしたんだ!?」 切羽詰った問いに、ルメリアは激しく首を振った。涙が空に舞う。 「やだ。やだ!」 振り下ろそうとする力が強くなる。ネイが息を詰めた。 ただでさえ押される側で不利だというのに、この力はなんなのだろう。明らかにルメリア本来の力では無いほどの力が加えられている。 歯を食いしばって押し返そうとするが、ルメリアのほうが強い。すこしずつ、刃は眼前に迫ってくる。 「──!」 短い声が響いた。何かがルメリアの手を掠め、短剣がはじかれ床を滑る。短剣は溶けて消えた。 押される力が弱まって、ネイは力を抜く。 「……ルメリア?」 息を切らせて、ルメリアは呆然と自らの手を見つめた。小刻みに震え、頭を振る。ネイの上から退いた。 「やだやだやだやだやだやだやだやだ」 右手がゆっくりと持ち上がり、手を握る。黒いもやもやが右手に集まっていく。ルメリアは一つ瞬いた。目じりに溜まっていた雫が落ちる。 「やだ」 黒い靄が短剣を形作ったと同時に、ルメリアははじかれたように駆けだした。ちょうど石版の影で見えない場所に消える。 それほど石版には厚みがないはずなのに、ルメリアの姿は見えなくなった。 不思議に思ったネイがそこに行くと石造りの通路が続いている。彼女はこの通路の奥へ消えたのだ。 「ルメリア」 ネイは呟く。一体彼女の身に何が──。 「ルメリアのせいではありませんよ」 声がして、ゲンテリアスがネイの横に立った。通路を真っ直ぐ見据える。少しふらふらしていて、顔色は青いが血は出ていなかった。 「あんた……怪我は」 「魔法で封じました。本にそういう魔法も書いてあったんです。ああ、血で汚れてしまいましたね」 本を見せながら、ゲンテリアスが力なく笑う。赤がこびりついているのを見て、白衣の袖でぬぐった。その白衣の背側はべったりと赤に染まっていて、流れ出した血の量を物語っている。 ネイは眉間にしわを刻んだ。 「んじゃあ、追いかけてくるからあんたはここで待ってろ」 「いいえ。一緒に行きます」 「その怪我で、か?」 「一刻も早くルメリアに近づかなければいけませんし、一人になるのは危険です」 私なら、大丈夫ですから。ほら血も止まっていますし。 ゲンテリアスにきっぱりと言われ、ネイはしぶしぶ彼を連れて行くことにした。 石の通路を進みながら、ゲンテリアスはネイにさっきのルメリアのことについて説明する。 「あの黒い短剣。あれは影の成分と同じものだと考えて良いでしょう。彼女はあれに操られていたんです。だから、あの短剣が手から離れたときネイから離れられたんでしょう。……誰かがあの短剣に彼女を操らせた」 「誰がルメリアを操ったんだ? 俺達以外、人は居ないはずだろ。まさか影が?」 「影は明確な意思を持っていませんよ。奴らは“命あるもの”を呑みこむだけです。おそらくルメリアを操っていたのは──」 甲高い悲鳴を耳が捉えた。ゲンテリアスが言葉を切る。二人は顔を見合わせた後、走り出した。 通路は一本だった。どこに向うこともなく、まっすぐ走り続ける。次第にゲンテリアスの走る速度が遅くなるが、構わずネイは走った。 やがて通路は途切れる。深い深い竪穴。下は闇ばかりが渦巻いて、何も見えない。もしかしたら影が潜んでいるのかもしれないが、動く気配は無い。正面を見れば竪穴を挟んで道があった。だがこの遠さでは跳躍して向こうに行くのは不可能である。 ネイは辺りを見回した。 「ルメリア…?」 涙を流しながら逃げた少女は見当たらない。ネイは唾を飲んだ。 この状況で彼女がどこへ行ったか、それは一つしか思い当たらない。だが、それを認めることはできなかった。何故ならそれを認めたりなどしたら自分は。そして彼女は。 遅れて追いついてきたゲンテリアスが竪穴を見て、ぎょっと立ち止まる。黙り込んでいるネイを見、竪穴を覗き込み、深く息を吐いた。 「落ちたんでしょうね、きっと」 拒否していた事実を突きつけられ、ネイは震える。 「うそ、だろ……」 続いて竪穴を覗き込むが、底は見えない。 沈黙の帳が落ちた。 ──五人目は死んだのかもしれない。 |