4.知らないのかい?

2
 ルメリアが落ち着いて、ウェストに状況を説明して、しばらく待って。結局キリルが出口に現れることはなかった。
 もう少し待とうと駄々をこねるルメリアを説得し、頷かせて四人は進み始める。
 三人目。七人いたはずなのに、既に三人。心に残る傷はだんだん深くなる。

 水晶から離れ、岩の洞窟を進んだ。明かりがなくても全体的に明るいのは神の力なのだろうか。
 ルメリアはうれし泣きの延長で涙を流している。もちろん、今度は嬉しいからではなくて悲しみで、だ。目を擦り、鼻をすすり上げる。ゲンテリアスはそんな彼女の片手を引いてやっていた。彼自身は待っているときに休むことが出来たのかしっかりとした足取りだ。
「それでな、入り口に出たおれは考えた! なんだ水晶の洞窟だったのかと」
 先頭を歩くウェストは自分がどれだけ迷っていたかを面白おかしく語っている。キリルがいなくなったと知らされてからずっとこうだった。時にはひらりとその場で回転し、泣いているルメリアに詰め寄り、後ろを見ながら歩いてこける。
 ネイは硝子のぶつかる音を立てながら最後尾を歩いていた。肩にはウェストから受け取ったカバンがある。出発するに当たって渡されたものだ。おそらく動きながら語るためにネイに預けたのだろう。
 カバンの中の瓶の感触を確かめながら、ネイはぽつりと漏らした。
「影」
「ん?」
 一番余裕があるのか、最前列を歩いていたウェストが目ざとく聞きつける。ネイは思うままに言った。
「出てこないな」
 笑みすら浮かべていたウェストの表情が掻き消える。語りを止めて口を閉ざした。
 ウェストの真顔にネイが目を見張る。慌てたり困ったりしたことはあっても、真顔になることはなかったのに。
 ネイが目を見張ったことで自分の表情に気づいたのか、ウェストは進行方向を向いて首の後ろで手を組んだ。
「そーだな」
 のん気に言って見せるが、声色は硬い。
 ネイは足を止めた。
「一度休もう」
 唐突な提案だったが、誰も反論しなかった。それぞれ座り込む。
 ルメリアはうずくまり、すすり泣く。いつも気遣ってばかりのゲンテリアスも逃げるように本を開いた。ウェストとネイはただ黙る。
 頁をめくる音とすすり泣く音が重なり合い、響いていた。
 やがて、行動を起こしたのはウェストだった。ぽん、と左手でネイの肩を叩く。しっかり目を合わせてから、視線でルメリアを示した。
 ウェストの意思を読み取って、ネイは一つ頷く。ほんの一瞬、ウェストの体の向こうに隠されている右手を見通して、彼はルメリアの元へと向っていった。
 なにやら小声で話し出す。すすり泣く音はかすかになった。
 それを見届けたウェストは残るもう一人に目をやる。

 ゲンテリアスは一心不乱に頁をめくっていた。内容はほとんど読んでいないが、一度読んだからだいたい何がどこにあるのかわかる。記憶を確認するかのごとく、めくりまくっていた。
 ふ、と気配がして顔を上げる。いつの間にかウェストが本を覗き込んでいた。口をぽかんと開けて感心したように何度も頷く。
「よくそんな字読めるなあ」
「多分、昔研究でもしていたんでしょう。だから読めるだけですよ」
 確証は無いが、読めるからにはそうなのだろう。少しずつ、記憶にかかった靄は晴れてきていた。
「いや、十分すごいって。おれ全然読めないもんなー」
 目を輝かせて本とゲンテリアスを見るウェスト。そんな彼の言葉に心が温まる。そうですか、とゲンテリアスは照れたように笑った。
「そうだよなぁ。お前なら神になれるかもなぁ」
 だが続けられた言葉にはっとした。ウェストを見ると、彼は熱に浮かされたように話している。
「神さんってさ、酷いよなー。勝手におれらを作って、ほっといて、悪い奴を罰しもしないでさ。しかも勝手に滅亡して、一緒に死ぬ。シャレにならねぇよ。もし、おまえが神にだったら、大丈夫だったのにな。だってお前、滅びそうにないし、誠実そうだし。前の神さんはさ、ダメだったんだよ。皆気づかなかったけど。だからあの時滅んだんだ。あの時、周りの奴らばらばらと崩れていったっけ。神が居ない世の中じゃ、あいつらは生きられなかった。だけどおれは生きてる」
 歩いている途中、面白おかしく話していた語り口でウェストは続けた。不満そうに唇を尖らせ、やれやれと肩をすくめ、のん気に笑う。しょんぼりしたかと思えば、胸を張る。けれど、その瞳は何も映していなかった。
 灰色の瞳が白く濁っていく。表情は消え、声も平坦になる。
「おれは神さんに選ばれたのかな。こんなことになるんだったら選ばれなきゃ良かったのに。こんな目にあうんだったら、あいつらと一緒に──」
「ウェスト」
 ゲンテリアスは硬い声音でウェストの言葉をさえぎった。ウェストがきょとんとした顔でゲンテリアスを見る。
「へっ?」
 その瞳は元の灰色で、ゲンテリアスは息をついた。
「いきなりどうしたんですか。神に選ばれたとか、神になるとか。何か思い出したんですか?」
「……おれが? おれ、今何話してたっけ?」
 無意識に話していたのか、ウェストは首をひねる。
 ゲンテリアスは濁りが消えたウェストの瞳を見つめながら、低く言った。
「弱さを見せないほうがいいですよ。影に付け入られます」
 引きずられかけていたのかもしれない。心の影に。
 一瞬痛みを感じたような顔をして、ウェストが頷く。
「そーみたいだな」
 彼の左手は濃い痣の残る右手に触れていた。

「アレはッ」
 ネイの切羽詰った声に二人は我に返った。声の方向を見て息を呑む。ルメリアが、短く悲鳴を上げてすくみあがった。ウェストが“それ”を鋭く睨む。

 影の大群が迫ってきていた。みっしりと、洞窟の床から天井まで一杯に詰まった影が。

「逃げろ!」
 影に一番近かったネイがルメリアの腕を掴んで立たせる。背を押して先に行かせ、自分も走った。ウェストとゲンテリアスも地を蹴り駆ける。
 ルメリアは今にも走るのを止めてしまいそうだった。足取りは重く、何度も影を振り返っている。

『影に呑まれたほうがいいかもしれない』

 彼女がそう思っているのは誰にでもわかった。だから、ネイは彼女の背を押し続けているのだ。
 しかし影の進行速度は今までより速い。最後尾を走るネイに影が手を伸ばす──……。
 思わずネイが影を睨みつけた瞬間、光が煌いた。影が退く。前を見るとゲンテリアスが本を開き、後ろの様子を伺いながら頁をめくっていた。ウェストがゲンテリアスの隣に並走している。
 影は一度勢いを落としたがすぐに速度が上がった。再びネイに影が迫り光が炸裂する。今度は何度も光がはじけた。影はかなり後方まで退く。
 ネイはルメリアの腕を掴み無理やり走る速度を上げた。ゲンテリアスのすぐ後ろまで近づく。
 ゲンテリアスが影の様子を伺う。その顔色は悪い。足取りもおぼつかなくなり、息も切らしている。
 このままでは。

 影が再び近づいてくる気配。ゲンテリアスが本を握った。だが言葉を紡ぐまでにはいたらず、荒く息を吐き出す。汗がじっとりと浮かんでいる。
 それを見ていたウェストが眉を吊り上げた。よしっ、と短く掛け声をつぶやく。
 彼は少し走る速度を下げ、ネイの隣に並んだ。
「聖水」
「え?」
「いいから聖水全部よこせ。はやく!」
 切羽詰った物言いにネイは走りながら肩からカバンを外し、ウェストに渡す。ウェストはカバンを受け取って抱え込んだ。すばやく目線を走らせる。
「ルメリア、お前、一人で走れるな?」
「は、はい」
「じゃあ、ネイ。お前ゲンテリアス支えとけ」
「ウェスト…?」
 自分の名を上げられ、ゲンテリアスは緩慢な動きでウェストを見た。ウェストもゲンテリアスを見て笑う。
「ゲンテリアス、お前なら本当に」
 笑っているのに泣いているように見えて、ゲンテリアスは目を瞬かせた。ウェストは最後まで言わないまま、走る速度を落とす。
 ネイの顔色が変わった。
「ウェストッ!」
「止まるな! 先へ! ゲンテリアス、お前ならきっとなれる!」
 青かった顔をますます蒼白にして、ゲンテリアスが遠ざかるウェストを見つめる。後ろを見すぎてつまづきかけた彼をネイが支えた。ネイはもう後ろを見なかった。ルメリアもしっかりとした足取りで一人で走っていく。

 三人の後姿を見送り、ウェストは足を止めた。カバンの中から聖水を取り出す。右手の痣が熱い。
 影は彼を頭から呑みこむように口を開けた。
 手に持った瓶を彼はかかげ、口角をも上げて。

 影が全てを覆った。