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参・その年、その日、同じ時間。 ぱちりと目を覚ました茶髪の幼い子どもは、青い目で辺りを見回した。 真っ暗な中で、ここどこだろうと首をかしげる。 子どもは立ち上がった。着ている服がなぜかボロボロだけれど、そのことには気づかない。 ただ、家に帰らなきゃと思っていた。 きっと心配しているから──。 走っていく子どもを見ながら、意識が浮上する。 ピスタチオはぼんやりと、ああ、あれは自分だと思った。 目が覚めればいつもの朝でいつもの部屋だった。 「……このごろ見てなかったのにな」 ピスタチオはくはぁとあくびを噛み殺し、大きく伸びをする。 窓を開けるともうだいぶ日は昇っていた。お日様の光がまぶしい。 久しぶりに見た夢の原因を考えながら袖を通し、寝巻きから普段着に着替える。 それからドアを開けた。 物音に気づいたらしいティーディードが包丁片手に台所から姿を見せる。 「おはようございます。ピスタチオ」 「おはよ」 「今食事の準備をしているので、ソファーに座って待っててください」 「ん」 まだ覚醒しきらない頭で台所の横を通過する。 大きなあくびをして、ソファーに腰を下ろした。下がってくるまぶたを押し上げ、辺りを見回す。 「あれ? サンジェとクルは?」 朝でも元気なサンジェニュアルと、ヘビースモーカーのクルレイの姿が見当たらない。 「二人なら教会へ行きましたよ。昼ご飯は向こうでご馳走になるそうです」 「あっちゃー…、寝過ごしたか」 「しょうがありませんよ。昨日も遅かったですし」 ティーディードのなぐさめの言葉が台所からピスタチオにかけられる。続いて両手に料理を持ってティーディードが台所から出てきた。 ピスタチオの前に一皿置き、その正面にもう一皿置く。 そして一度台所に引っ込んだかと思うと、今度は飲み物とフォークを持ってきた。 同じように置いて、ピスタチオの正面に座る。 ティーディードは満足げに笑った。 「今日の昼食はスパゲッティーミートソースです。では、いただきまーす」 「いただきます」 フォークに麺を絡めてそれぞれ食べ始める。 「昨日も遅かったって言っても、クルも同じ時間に帰ってるんだよなー」 食べながらピスタチオはため息を吐いた。 「このごろ怪我の治り遅いし。こないだお前と一緒に行った仕事での怪我、治るのに一日かかるなんてありえねー…」 「そうですか?」 ピスタチオの声にティーディードは食べる手を止めて、この間のピスタチオの怪我を思い出す。 本人もクルレイもサンジェニュアルも軽傷と言ってはいたが、血は出ており肉も見えてえぐれていた。それほど軽傷でもなかったのではないかと思う。 そう思ったところで喉の奥から胃液がせり上がってくる感じがして、ティーディードは頭を振った。怪我の情景を細かく思い出しすぎたらしい。 「年かな。それともあの時調子悪かっただけか。その後の仕事も昨日の仕事も怪我してないからわからないんだよなー」 器用に食べながらピスタチオは話し続けている。 「あ、でも。ぼくと会ったときはすぐ治りましたよね…?」 「あれか。 あの怪我はそんなに酷くなかったぞ。動脈切れてただけで臓器に当たってないし」 動脈切れてたと簡単に言うが、十分普通の人間なら失血死していただろう。 ティーディードは上手く思い出し過ぎないようにしながら、この間の腕の怪我と自分が撃ったときの怪我を比べた。 「でも、この間の怪我よりは酷かったんですよね?」 「おー」 「調子が悪かっただけじゃないですか?」 「…そうかも。前もこんなことあったし。あ、おかわり」 ピスタチオが空になった皿を差し出して、ティーディードが席を立つ。そのまま台所へ引っ込んだ。 「前にもあったんですか?」 「あった。あの時はサンジェがいないころで、休んだほうがいいんじゃないかって話になって……お、ありがとな」 戻ってきたティーディードが料理を差し出し、ピスタチオが受け取る。 すぐにピスタチオは麺を口に運んだ。 「話になって…どうしたんですか?」 もぐもぐと口を動かすピスタチオの正面でティーディードはフォークに麺を絡ませながら聞く。 「ん? あー。休みを取る前にクルが倒れたよ」 「え」 ティーディードは驚いて目をしばたかせた。その間にピスタチオは口に入れていた麺を飲み込む。 「過労だと。で、オレが休むんじゃなくてクルが休んだ。あのころはアイツも無茶してたからな。だから、こないだお前に偉そうに言ってたけど、クルも結構失敗してるぞ」 ニヤとピスタチオが笑った。 この間初めてティーディードがサポートした仕事ではピスタチオが怪我をした。そのことを帰ってきたらクルレイに散々叱られたのだ。警官に追われている場合はもう少し上手く対処しろ、と。対処する道具を持っているのはサポート役のティーディードであったし、それはその通りだとティーディードも思っていたのだが。 「でも、まだ早いって言われたのは本当のことですよ。ぼくがサポートするのはまだ早い。もうちょっと色々勉強しないと……。ピスタチオに怪我させちゃいましたし」 「気にするなって。あの怪我はオレの失敗だしな。また今度ペアで行くぞ」 「……はい」 断言したピスタチオにティーディードは苦笑する。 ピスタチオは最後の麺を口に運んで、飲み込んだ。 「ご馳走様でした! ティーディードも早く食べろよー」 「は、はい……」 言われてもたもたと食べ始める。なんだかんだ会話しながら食事をするのがティーディードは苦手だった。しかもピスタチオの怪我を思い出して食欲も失せている。 ティーディードは麺をフォークでつつくだけで口まで運ぼうとしない。 そうこうしている内にピスタチオが玄関のドアを見た。 「ただいまー」 その一瞬後にサンジェニュアルとクルレイがドアから入ってくる。 笑顔で入ってきたサンジェニュアルは、ティーディードの前にあるスパゲッティを見てあ、と声を上げた。 「二人だけスパゲッティなんてずるいよ! あたしも食べたい!!」 「まだ余ってますから、盛ってきますよ」 催促したサンジェニュアルにこれ幸いとティーディードが立つ。サンジェニュアルの目が輝いた。 「わーい! スパゲッティー!!」 「太るぞ」 容赦なくつぶやかれた言葉にティーディードが足を止め、サンジェニュアルがつぶやいた本人を水色の瞳で睨む。 つぶやいた本人─クルレイは真顔でサンジェニュアルの瞳を受け止めた。二人の間に火花が散る。 「そんなことを乙女に向かって言うなんて失礼よ!」 「ティーディードが来てから丸くなった気がすると言っていたのはお前だろう」 「それはクルのことを言ったんですぅー」 「あいにく俺は太っていないのでな」 険悪な雰囲気にティーディードは足を止めたままだ。スパゲッティを持ってくるべきか持ってこないべきか考える。 おろおろと悩んでいると、ピスタチオが口を開いた。 「おーい。喧嘩は置いといて仕事はどうしたー」 その声にハッと二人が我に返る。 「大きい仕事だ」 クルレイがサンジェニュアルから目を背けつつ、ソファーに座って書類を広げた。 すばやくティーディードがテーブルの上に乗っていた皿を持って台所へ行き、サンジェニュアルは近くの壁に寄りかかる。 「決行は今日。依頼人は二十二歳男性だが、標的はもう一人いて六歳の少女だそうだ。家のいざこざに巻き込まれて双方不自由な暮らしをしているらしい。貴族で家の者が監視しており、自力の逃走は困難。重ねて、少女と男性が別々の場所に監禁されており、ほぼ同時に二人を誘拐しなければもう一方の命の危険にもなりかねないらしい」 「その二人の関係は?」 「兄と妹だそうだ」 「兄弟同時誘拐かぁ…」 ピスタチオが書類に手を伸ばす。 書類には写真が貼られており、兄は確かに目元の部分などが妹と似ている。兄が穏やかな気性の青年だということを現しているのに対して、少女は愛くるしい笑みを浮かべた写真だった。 書類を見比べながら、うーんと悩むピスタチオ。 それをクルレイとサンジェニュアルはじっと見ていた。 その間にティーディードが皿を洗い終わって台所から出てくる。 やがてピスタチオがぽんと手を打った。 「よし、じゃあクルとサンジェ、オレとティドで行くか」 「「「え」」」 瞬時にサンジェニュアルがテーブルに近づき、クルレイが身を乗り出し、ティーディードがピスタチオの隣に立った。 三人が一斉に口を明ける。 「ちょ、ちょっと待て。この難しい依頼にティーディードを連れて行くのか」 「なんであたしとクルなのよ。クルはテディと行けばいいでしょ」 「あの…僕自信ないんですが……」 三人に反論されたピスタチオは口角を上げて、目を細めた。 「難しい依頼だからこそ、二人ずつ組になって行ったほうがいいだろ。同じ逃走路で行ったら一網打尽で捕まるぞ。で、何でこういう風に分けるかって言うと、やっぱりティドが慣れてないから。慣れてないティドと不死身じゃないサンジェで行ってヘマしたらシャレにならないぞ。そしてティドは自信持て。オレと一緒だから大丈夫だって」 反論をさらりと交わされ、三人は言葉に詰まった。 黙ってしまった三人に、ピスタチオは二回手を叩く。 「じゃ、それぞれ準備開始!」 ◇ ◇ ◇ 金髪の端整な顔立ちの青年が椅子に座って書類をめくっている。 しばらく書類をめくったのち、彼はふむとつぶやいた。 「どうやら彼らが出てきそうだよ。この家のゴタゴタには、ね」 書類を右手で持ち上げ、背後の壁に身を預けている女性に声をかける。 女性は肩までかかる艶やかな黒髪を手で払った。 「そう。それは楽しみねぇ。ラディエル」 青年─ラディエルが唇を弧にする。そして椅子をぐるりと回転させて女性と向き直った。 「そうだね。でもそれは君も同じだろう? セミィ。今日ここに配属された君にとって、初仕事になればいいね」 「今日中に行動を起こすという情報があるわぁ。間違いない確実な情報が……。これはわたしの初仕事だわ」 女性─セミィは口元に手を当て、クと笑う。 「久しぶりに彼に会えると思うとゾクゾクするわ。わたしのこと、覚えていてくれるとうれしいのだけれど」 ラディエルが腰を上げた。部屋のドアへと歩き出す。 それにセミィも続き、二人とも外へ出た。 これにより二人の会談は終止符を打つ。 ◇ ◇ ◇ 「気をつけろ。大きな屋敷だけあって、監視がうようよしているだろうからな。それに今回のことは警察に嗅ぎつけられた可能性がある。ラディエルが出てくると思え」 「分かってるって。んじゃ、お互い検討を祈るよ」 下水道の途中。分かれ道でティーディードとピスタチオはクルレイとサンジェニュアルの二人と別れた。 打ち合わせではここから別行動で、ピスタチオが兄を、サンジェニュアルが妹を連れ出す予定だ。 サポート役のティーディード・クルレイの両名は下水道で待機することになっている。 屋敷の近くのマンホールの下でピスタチオとティーディードは足を止めた。 「じゃ、行ってくる。ティーディードはこないだと同じようにここで待ってろ。兄が来たら合流地点までしっかり案内するんだぞ」 「わ、わかりました」 やっぱりまだ慣れないのがガチガチに固まっているティーディードを残してピスタチオはマンホールをあがる。 マンホールの蓋まで来ると、少しだけ押して地上の様子を伺う。人影はない。 ピスタチオはすばやく地上に出た。とうに太陽は西へ沈み、当たりは暗い。 そして目の前には依頼人の屋敷の塀が広がっている。 (でかー…。こんなにでかいのは久しぶりだ。腕がなるぜ) 腕まくりをして、肩に駆けていた綱をはずした。一方が輪になっている、その綱を塀の上へ向けて投げる。上手く塀の上の鉄格子の部分に引っかかった。 抜けないことを引っ張って確認し、するする登っていく。上まで来ると鉄格子を掴んでもう一本縄を縛り、敷地内へと縄をたらした。 そのまま飛び降りて、地面に着地。膝を曲げて足で衝撃を吸収する。 人目を忍んで歩き出し、屋敷に近づく。頭の中で資料として書類の中にあった屋敷の見取り図を展開した。 と、ちょうど見回りの人間が歩いてきて、ピスタチオは草むらに身を隠す。 あまり緊張感もないのか、見回りの人間は大きなあくびをしていた。ピスタチオには気づかないまま通り過ぎていく。 (えーっと、確か依頼人の部屋は西向きの二階の……) 草むらに隠れながら屋敷の周りを回る。 (右から二番目。カーテンが片方だけ閉まっている部屋、と。あった) 目的の部屋のカーテンが確かに閉まっていることを確認し、そこらにあった石をその部屋の窓に投げた。 弱い音がして石は跳ね返る。 すぐにその窓に人影が近づいた。半分閉まっていたカーテンが開けられ、窓も開かれる。 ピスタチオは草むらに頭まで隠れた。 やがて窓から顔を出したのは年配の紳士だった。あごひげがあり、眼鏡をかけている。 「誰かいたような気がしたのですがな」 「気のせいじゃないかな」 紳士は部屋の中へ声を飛ばした。部屋の中から返ってきた声は紳士の声よりだいぶ若い。 一方ピスタチオは書類の文面を思い出していた。 監視役に執事が付けられるかもしれない。そう書類には書かれていた。 (あれが執事か。ちょっと厄介だな) 紳士は注意深くこちらを見渡していたが、バルコニーの石に気づいたらしい。腰を折って石を持ち上げる。 「ふム。石が落ちていました。誰かいたのは確かのようですぞ」 「本当かい? ならいたずらじゃないかな」 「坊ちゃん。こちらには近づかないで勉強を続けてください」 「だって、気になるじゃないか」 どうやら中にいるのはこの屋敷の持ち主の子息─依頼人であることに間違いないらしいとピスタチオは検討を付けた。 依頼人はバルコニーに近づこうとして執事に止められていると思ってよさそうだ。近づいてくれれば写真の人物かどうか確認できるのだが。 「では誰かに見に行かせましょう。だから坊ちゃんは勉強を──」 「この目で見たいんだよ。ちょっと顔を出すだけだから。ね?」 「……ちょとだけですぞ」 「ありがとう」 ようやく承諾を得たらしい依頼人が顔を出す。写真の中で見た顔と同じ顔だった。 依頼人は紳士と同じようにきょろきょろと辺りを見回す。 ピスタチオはそれを見ながら、そっと近くの木に登る。そして彼らの正面の位置にある枝まで登ると、そっと近くの枝を折り取った。 息を呑んでタイミングを見計らう。 「誰も居ないみたいだ」 「そうでしょう。それでは早く机へ戻ってください」 「そんなにあせらなくても、僕がここから飛び降りてまで逃げると思う?」 「思っているからそう言っているのです」 「はいはい。わかったよ」 依頼人が苦笑しながら部屋の中へ戻る。ピスタチオはフードの端を引っ張った。 バルコニーに残された執事がもう一度外を見て、部屋へ戻るべくピスタチオに背を向けた。 (今だ) ピスタチオは折り取っていた枝を投げ、同時に足元の枝を蹴った。投げた枝は執事の横を掠り、何事かと執事が振り向いた瞬間。 飛び上がっていたピスタチオの膝が執事の腹を直撃! 執事が息を詰まらせてその場に崩れる。 部屋の中にいた青年は何が起こったのか分からない様子だったが、ピスタチオが現れたことで表情を変えた。 「あなたは……」 「依頼人か」 ピスタチオが短く確認する。青年はしっかりと首肯した。 「逃走する。バルコニーから飛び降りろ」 「分かりました」 青年がうめく執事を通り過ぎて、バルコニーの柵を越える。音もなく着地した。 続いてピスタチオもバルコニーから飛び降り、着地する。 二人が飛び降りたところで、うめいていた執事がバルコニーの柵を支えに立ち上がった。 「ドラキュラだ! 集まれ! 捕まえろ!」 むせていたためにかすれた声だったが、思いのほか響く。人が集まるのも時間の問題だろう。 ピスタチオが屋敷の庭を疾走し、青年がその後を追った。 途中出会った人をピスタチオが蹴って昏倒させる。すぐにピスタチオが潜入した場所に到着した。 「先上れ。外に出たらすぐマンホールへ」 「は、はい」 息を切らしながら、青年が塀を登っていく。 ピスタチオは鋭く人が来ないか見張り、青年が塀を越えたのを確認すると自分も登って縄を切った。下では青年がマンホールに入り、蓋が閉じられる。 外の見回りをしていた人間がピスタチオに気づいて駆け寄ってくるのを見、ピスタチオも飛び降りた。 地上に降り立って、そのまま塀にそって走り出す。 案の定見回りの人はピスタチオの後を追ってきた。警察ならばマンホールの逃走通路も分かっただろうに。 (クルとサンジェ、大丈夫かな。警察来るまでに合流できればいいけど) 逃げながら、ピスタチオはそんなことを思った。 |