4.知らないのかい?

1
 忘れてはいけない。
 犯した事の重さを。

 自らの思いを貫いて負った罪を、忘れない。

 そして。
 偽りが起こす夢を許しはしない。


+++


 ウェストを先頭に遺跡へ向って歩き出したものの、少し歩いたところでゲンテリアスが膝をついた。顔色はさらに悪くなり、視線は虚ろになっている。
 このまま進むのは危険だということで、再度休むことになった。見張りにネイが立つ。
 ゲンテリアスは他の皆にすまなそうに目をやったが、やがて地面に体を横たえた。よほど辛かったのだろう、そのまま目を閉じる。ウェストはその場で座り、キリルとルメリアが二人で話していた。
 彼女らが話している内容がかすかにネイの耳に入る。
「シース、ラフェナ……姉弟でいなくなるなんてねぇ。こんなことなら、もっと優しくしてあげればよかった」
「わ、私……影に呑まれたほうがいいかもしれない、なんて言うんじゃなかった。私があんなこと言ったから……」
 ルメリアが嗚咽を漏らした。それを見て、暗い顔をしていたキリルが精一杯明るく笑う。
「ルメリアのせいじゃないさ」
 優しく、穏やかにルメリアに声をかけ、彼女の背をさすった。だが、励ましている彼女の表情も強張っている。
 そんな様子を見ていると、ウェストがにやにやしながらネイに歩み寄ってきた。
「どっちが好みか。やっぱりルメリアのほうか?」
 状況を考えない発言にかちんとくる。
「どっちでもいいだろ」
 ネイは冷たく言い捨てて、ウェストから離れた。ウェストはちぇ、とつまらなそうに唇を尖らせ、身を寄せ合っている女性二人のもとへ向う。彼が近づくとすぐ笑いが零れた。察することが出来ない節があるものの、気分を盛り上げるのは得意らしい。
 笑い声を聞きながら、ネイはゲンテリアスの近くまで移動する。体を横たえたままの彼は休む前よりは顔色がよくなっていた。
 ちらりと様子を伺うように見、赤茶の瞳とぶつかって瞠目する。
 ゲンテリアスはゆっくり上体を起こした。
「何の用ですか?」
 少し眠っていたのかいつもよりぼんやりと尋ねられる。
 用があったわけでもなかったネイは少し間誤付きながら言葉を吐いた。
「魔法を使うのって辛いのか?」
「体力を使うようです。でも、大丈夫ですよ」
 咄嗟に出た質問とも知らず、ゲンテリアスは唇に笑みを乗せ答える。
 疲れを残したその笑みにネイは顔をしかめた。

 大人ぶっているのが気に入らない。
 全てそう言って許してしまう彼が嫌い。
 辛くないわけでは無いのに我慢するゲンテリアスに苛立った。

「そうか」
 それでも、結局ただ頷くことしか出来ない。

 さらに少し経ち、ゲンテリアスがもう大丈夫だと言い出したところで歩みを再開した。
 ただ黙々と歩いて荒野を進む。ネイは警戒することを忘れなかったが、影に会うことはなかった。遠くに崖らしきものが見え始め、彼らがその下に着いても。
 崖には割れ目があって、その割れ目を囲うように水晶が二本佇んでいる。
「ここからが遺跡に向う道だぞ。もう見えてるだろうけど、水晶があるだろ? この水晶が神の遺跡への侵入者を防いでる…とかだったかなあ。この先は何が起こるかさすがのおれも知らないから、気を引き締めていけよ」
 皆は一様に頷いた。そして割れ目を見つめる。水晶より向こうは暗黒ばかりが広がっていて、何があるのかわからない。
 ウェストがごくりと唾を飲み込んだ。
「行くぞ」
 それを合図に歩き出す。ネイは手に汗をびっしょりかいていた。一人一人、水晶の向こうに足を踏み入れていく。

 暗黒と、水晶と、前を歩く者のかすかな足音。一寸先も見えぬ闇。それでも歩いていくうちに水晶がだんだん多くなって、見えなくなっていた自分の手が見えるようになる。とうとう水晶に周りを囲まれた。
 だが、こんなに明るいというのに皆の姿を視認できない。
 ネイは辺りを見回す。水晶ばかりが見えた。嫌な汗が頬を伝う。
 はぐれたかもしれない。
 こんなところではぐれるのは命取りだ。はぐれることを予想していなかったために、聖水は全てウェストが持っている。今、影に出会いでもしたら。
 本当にここが神の遺跡ならば影達も入ってこれないのかもしれないが。
 その可能性を信じつつ、今は皆を探す以外に方法はない。
 どこが通れるか、しっかり見ていなければぶつかってしまう水晶の壁に注意を払いつつ進む。右も左もわからない壁の中、精神はどんどん磨り減っていく。
 何とか進んでいくと水晶の向こうに明るい赤を発見した。進む速度が上がり、赤を目指して壁を行ったり来たりする。たとえどれだけ遠くまで歩いて進むことになっても、赤からは目を放さず。
 ようやく赤と同じ場所までたどり着いた。赤い髪を肩にいつも通り流して、キリルはその場に立っている。
「キリル」
 ほっと安堵をすると共に名を呼んだ。これで一人合流できた。きっと他の皆ともすぐに合流できる。
「会えてよかった。みんなはぐれてしまったみたいだな。急いで探すぞ」
 にこやかに声をかけて──違和感。ネイの顔から笑みが消え、真顔になった。

 キリルはネイが現れてから一度もネイを見ていなかった。見ているのは目の前の水晶のみ。瞬きすらせず、声も発さず、キリルは水晶を見つめている。
「キリル?」
 ネイが怪訝な表情を浮かべた。反応なし。
「……ここに立ち止まっててもルメリアやゲンテリアス達に合流できないぞ……?」
「行かないと」
 キリルがうわ言のように囁く。そのまま勝手な方向に歩き出そうとした彼女の腕をネイが慌てて掴んだ。
「行かないとだめなんだよ」
「行くってどこに。出口か?」
 彼女が出口を知っているとは思えない。そう冷静に考えながらも問いかける。

 キリルは答えなかった。ただ、ネイの手を振り払って足を進めて。
「待てよ。とりあえず説明しろ! だいたいお前、何かおかしいぞ」
「急がないと」
「説明できないほど急いでるのか!!」
 乱暴にネイがキリルの肩を掴み引いた。がくん、とキリルが仰け反る。逆さまのままの混沌とした瞳と目が合う。
 次の瞬間、直接精神が揺さぶられた。心臓の音が聞こえ、強烈な意思がネイの中身をかき乱す。

 何を言っているの。わからないんのかいあの子達が呼んでいるのが。ああ、あんたには聞こえないんだね。なんて、なんて、なんてなんてなんてなんてなんて!!!! 愚かな。愚かだ。愚か愚か愚か愚か。声も聞こえない奴なんかに止められてるのかいあたしは。説明する必要がどこにある。急いでるんだ。急げ急げ急げ急げ急げ。あんたなんかに止められてたまるか。止めるのかい。止めるんだね。だったら、だったら、だったらだったらだったらだったらだったら。

 壊れてしまえ。

 純粋な憎悪に身が震えた。こんなのが人であるわけがない。こんなのが人であるわけ。
 だけど、目の前にいるのはキリルで、彼女は人で。
 心が、脳が、精神が、軋む。手が伸びてきて、握りつぶそうと心を掴んだ。
 息が出来なくなる。

 壊される。

 ネイは咄嗟に掴んでいた手を放した。臓腑をかき乱していた意思が漣のように引いていく。詰めていた息を吐き出した。
 仰け反る体勢になっていたキリルが上体を起こす。振り向いて、にごった瞳をネイに向けた。ゆっくりと瞳に炎が宿る。人形のようだった表情が怒りに歪んだ。
「シースが呼んでるのさ。ラフェナも! それなのにあんたはいくなって言うのかい!」
 怒号が飛ぶ。彼女がネイに向けている目は敵に対する目以外の何者でもなかった。
 キリルは駆け出した。散々向おうとしていた方に全速力で駆けていく。
「キリル!!」
 ネイの心はまだ痛みを訴えていた。握りつぶされそうになった恐怖が体から消えない。それでも彼はキリルを追いかける。
 何度も名を叫んだ。彼女が名乗った名を。けれど彼女は立ち止まらない。

「聞こえないのかい。あの子らが呼んでるんだよ!」

 狂喜を宿して、キリルは笑う。

「シースもラフェナも、呼んでなんか居ない! 呼んでるのは俺だ! 戻れキリル!」
 必死の叫びは消えた幼子達の呼びかけより弱いというのか。

 キリルとの間はどんどん空いていく。追いつくことができない。もうネイの叫びも聞こえないだろう。
 後ろ姿を追っているうちに水晶の壁にぶつかってしまった。思わずネイは舌打ちする。キリルは平然と通過して行ったと思っていたのだが、もしかしたら少し前で曲がったのかもしれない。
 辺りを急いで叩いて回る、が抜け道は無いようだった。少し戻ったぐらいでは進めない。
 そうしているうちにキリルの後姿はどんどん遠ざかっていく。

「キリルー!!!!!!!」

 力の限り叫んだ。それでも聞こえないのか、聞いていないのか、止まる気配はない。
 ネイは急いで駆け戻った。戻れば曲がる道があり、そこからならまた追いかけられる。壁に手をついて、速度を落とさずに曲がりきった。さて追いかけようと顔を上げたところで足を止める。

 居ない。キリルの後姿は消えていた。
「キリル…?」
 遠ざかりすぎて見えなくなっただけかもしれない。だが、心がざわめいている。先ほど受けた精神の揺さぶり。

 あれは、影の咆哮が伴う同調に似ていた。

 ネイは激しく首を振り、不吉な考えを消す。後姿は見えないが、きっと進めば追いつけると自分に言い聞かせ、進み始めた。
 ところが、しばらく地道に進んでいくと水晶が開けて外に出てしまった。ごつごつした岩の洞窟が目に入り、続いて座って話し込んでいるゲンテリアスとルメリアを認識する。
 赤の髪の彼女はいない。
 待っている間談笑していたのか、ネイに気づいてルメリアは真っ先に歩み寄ってきた。柔らかく微笑む。
「ゲンテリアスさんが一位で、私が二位なんです。これでネイさんは三位ですね。あとはウェストさんとキリルさんで」
「キリルは来ないかもしれない」
「「え?」」
 楽しげに話す彼女を微笑ましく見ていたゲンテリアスまでもが驚きに声を発した。
 キリルがいないという衝撃で無表情のまま、ネイは続ける。
「シースとラフェナが呼んでいるって言って……水晶の道を走っていった。追いかけたけど行き止まりにぶつかって、目を放した隙に後姿も見失った」
 そこまで淡々と言って、言葉が震えた。視界が歪んで、手で目を覆う。
「……消えたかも知れない」
 こんなこと、言いたくなかった。最後に会ったのに、止められなかったなんて。
「うそ……」
 呆然とルメリアが呟く。彼女はその場に崩れ落ちた。断片的に声を漏らして涙を流す。ゲンテリアスが目を伏せた。が、はっと何かに気づいたように顔を上げる。
「ウェスト、遅くないですか」
 ルメリアが動きを止めた。ネイが青ざめる。
 もしかしたら、ウェストまで──。
「はーい、とうちゃーく」
 お気楽な声と共に話しの主が出口に現れた。三人は驚いてウェストを見る。
 ウェストは三人が何を考えていたのかもお構いなしに情けない笑みを浮かべた。
「やー、迷ったなあ。見事に迷ったぞ。一回入り口まで戻っちゃってさー。出口か! って思ったら元の場所だもんな。最悪。それでも何とか合流できたよ。ばんざーい。……? どした? 皆さん目ぇ見開いたりして」
 両手を挙げてバンザイしたところでようやく三人の様子が違うことに気づいたらしい。笑みを引っ込め首を傾げる。
 ウェストだ。間違いない、正真正銘のウェスト。

 会えた。
 消えてなかった。

「うわぁあああ、ウェストさーんーーーーーー」
「な、何だあ? 何で泣くんだよルメリアー」
 うれし泣きだろう。ルメリアがウェストに突進した。戸惑いながらもウェストはそれを受け止める。
 ネイとゲンテリアスはそっと息を吐いた。