心まで染められていく。襲うのは無力感に、絶望感に、諦め。
「もう、いい……」
本当の意味で“人形”になってしまうことを知りながらも、呟かずには居られなかった。
【操】
朝日の差し込んでくる部屋の中、リューはぼんやりと目線をさまよわせる。前髪は上げられたままで、瞳は見えている……が、その瞳は何処も見ていない。
左手が無意識のうちに右腕をさする。そこには注射のあとがあり、まだ真新しい。
「大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫、そのうち終わる終わる終わる……」
ブツブツと抑揚の無い声で繰り返し、繰り返し呟いた。
リューは普通にベッドの上に座っている。どこに繋がれているというわけでもなく、また部屋の鍵もまた開いていることを知っていた。しかし、部屋から出ようとはしない。
ここに閉じ込められて一週間。最初のうちこそ逃げようとしたものの、逃げようとしたたびに捕まり、苦手な薬を飲まされ、注射されて、だんだんと抵抗することを止めていった。
「だって相手は人間だから大丈夫大丈夫大丈夫──」
いつかは終わる。エルフと人間の寿命の差を考えれば、生きてさえいればいつかは終わる。
けれど。
リューの目の焦点が合う。自分に対しての言い訳。逃げられない自分への励まし。それを思うときに、どうしても思わずには居られない。リューは目を窓の外へと向けた。声には出さず、口だけを「みんな」と動かす。
皆死んでしまう。いつかは終わる。だけど終わったときにもう皆死んでしまっていたら? こけそびれ亭の面々。仲間達。誰も生きていなかったら?
「──……」
自然と一粒の雫が頬を伝っていった。そのことにも、思わず声に出したことにも気付かずに、リューはぼんやりと窓の外を見つめていた。しばらく見つめたのちに、また繰り返し呟く。
「大丈夫、大丈夫──」
そんなことを繰り返していると、不意に扉が開いた。リューは長い耳を一度ピクリと動かしてから、呟くのを止める。
入ってきたのはフローラだった。頬を薔薇色に染め、湯気のあがるスープと小瓶を数本、それにグラスを載せた銀のトレイを手に持っている。
「リュー様。お食事の時間ですわ〜」
本当に嬉しそうに笑いながら、トレイをテーブルに置く。フローラはリューの目の前で一本の小瓶を手に取った。中の緑色の液体をスープに注ぎこむ。
無表情にフローラを見ていたリューは、それを見たとたんに吐き気がこみ上げてきた気がして、口を押さえた。
「まぁ。今日も具合が悪いのですか〜? では先にコッチを飲みましょうか〜」
そんなリューの様子を見て、フローラが口元に手を当てた。心配そうにベッドの上のリューを見上げ、それから透明な液体の入っている小瓶を掲げる。
リューは思わずかぶりを振った。
「いや、それは。その薬は──……」
「ああ。リュー様の声は、素敵ですわ〜」
リューの言葉の内容も聞かず、フローラがうっとりとする。そのまま、小瓶の中身をグラスに移した。それだけで、リューの体は動かなくなる。
「はい。どうぞ〜」
微笑みながら差し出されたグラスを、恐る恐る受け取った。拒否することは出来ない。中身のことを知っていて、拒否したいと思ったとしても。拒否すればどうなるかを、リューは知っている。
グラスを持つ手が震えた。その手を支えるようにフローラが両手を添える。か細く白く力も無い、手。暖かいはずのソレは、今は何よりも冷たい。
「大丈夫ですわ〜。さあ?」
至近距離で、薄紫の瞳が細められるのを見た。ぎこちない動作で頷き……自分の意思で、グラスを口元に運ぶ。そして一息にソレを飲み干した。
いやな刺激が喉を伝っていった。うまく飲めずに咳き込むと、いつの間にか背後に回っていたフローラに背中をさすられる。液体が通り過ぎたあとも喉が熱くて、うまく息が吸えない。口の中はピリピリとして、舌がしびれる。そのうちに、胃や食堂すらも熱くなって、その苦しさに喘いだ。一度に体力が削られていくような感覚。全身が熱くなっていき──やがて、突然に途切れた。
「……さあ。食べましょうか〜」
それを見計らったように、フローラが囁く。差し出されたスプーンとスープの皿を受け取って、リューは機械的に食事を始めた。摂取した薬の味に、体のどこかが拒否反応を起こす。だがどこか遠い。
心と体が繋がっていない。自分の意思が通わない。意思が無いわけではないのに──……まるで舞台を見ているようだ。現実感が伴わない。
“
+++
「明日は、パーティですわ〜。リュー様の芸の準備と、私のドレスの準備を今日のうちにしてしまわないといけませんわ〜〜」
食事のあと、そんなことを言ったフローラに連れられてリューは町へと出ていた。閉じ込められてからはじめての外だ。
髪は整えられ、黒い蝶ネクタイに黒いタキシードをしっかりと着込んでいる。フローラもドレスを着て、馬車で移動中だ。あまり外へ出ないフローラは嬉しそうに馬車の窓から外を見て、色々とリューに話しかけている。「私が話しかけたときはちゃんと言葉を返してくださいな〜」というフローラの命令により、リューもまた、知っている知識を披露していた。
行きつけの花屋で薔薇と、フローラにねだられた花を買う。気付けば彼女は楽しそうに店員と話しており、リューはフローラに何を言われても良いよう、表面上は穏やかに微笑みながらその様子を見つめた。
そうしているうちにも、意識は聞きなれた声を探している。だがそんな簡単に見つかるわけではなく、見つかったとしても口は開いてくれない。折角外に出られたというのに逃げることはできず、仲間に何かのサインを送ることもできない。
昼食はホワイトロッジで食べた。さりげなくフローラが薬の小瓶をリューのグラスに注ぐ。一度目ほどではなかったが、飲むとどこかがピリピリとした。
午後はキラー・キラーズ、女神の衣と寄って、フローラのドレスを見立てて屋敷へと戻る。
──知り合いにであうことは、できなかった。
その夜、ようやく薬が抜けたリューはベッドに倒れこむ。フローラも今日は既に「お休みなさいませ〜」と言って去っていた。
疲れて頭が働かない。明日はパーティがある。芸のことを考えて気を紛らわそうにも、体調が悪い。
回らない頭で、リューは以前、フローラに意見しようとしていた召使が消えていたことを思った。バーナーズ伯爵がリューを気にかけるようなそぶりを見せつつも、助けてはくれないことを思った。
ようやく出られた外で、誰にも会うことができなかったことを、思った。
「もう、いい……」
もう、無理だ。それは諦めを込めた言葉だった。
リューはゆっくりと目を閉じ、夢の中へと意識を落とす。せめて、幸せな夢を、と求めながら。