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1 目を背け、背を向けてはいけない 視線を外せば奴らは大きな口を開ける 背を向けては奴らを見ることが出来ない 呑みこまれる だから けして目を背けてはいけない 逃げてはいけない 真っ向から討て 逃げるな +++ 喪失の末にたどり着いたのは静けさが支配する町だった。無言で町の中に踏み入り、ネイ達は辺りの様子を伺う。 すすり泣く声がネイの背後から聞こえていて、励ますような声も聞こえていた。泣いているのはシースで、励ましているのはキリルとゲンテリアスだろう。ルメリアはただ、それを心配そうに見つめている。 そのようすに苛立ちながらもネイは着かず離れずの距離を保ち、振り返りつつ進んでいた。 「あ」 泣き止まないシースに困って、首をめぐらせたルメリアが小さく声を漏らす。ネイが彼女を見ると彼女の視線もちょうどネイに向けられたところだった。 「……少し、離れてもいいですか?」 おずおずと切り出したルメリアにネイはぶっきらぼうに言い返す。 「別にいいけど……一人で行動しないほうがいい。俺も行くぞ」 「お願いします」 一人で歩くのは心細かったのかルメリアが安堵した。 離れる旨を手短にゲンテリアスに告げ、二人は仲間から離れる。その背後からゲンテリアスの言葉が飛んだ。 「何か気配がするので十分気をつけてくださいね」 彼からの忠告にルメリアは軽く会釈した。 ルメリアの先導で二人は先へ歩む。無防備に歩き続ける彼女の分までネイは警戒して辺りに気をめぐらせていた。ゲンテリアスの言うとおり、確かに何かの気配がする。それはとても僅かなものだったが、背筋を撫でていき、気に障った。 その気配に意識を向けつつ、すいすいと壁の合間を縫っていくルメリアのあとを追う。自力で元の場所まで戻れるよう景色を覚えて進んでいたのだが、すぐにわからなくなった。入り組んだ迷路の中、ネイはただ標となる少女を追いかける。 やがて現れたのは他の建物とは趣の違う建物だった。透明な容器が並べられており、中には色とりどりの、形もさまざまなものが詰められている。ネイの記憶に間違いがなければ駄菓子屋、という店であるはずだ。 ルメリアは駄菓子屋跡に近づくと容器の中から色とりどりな飴を取り出した。嬉しそうに笑いネイの元までかけてきて「ほら」と飴を見せる。 「これが目的だったのか?」 「はい。飴を舐めれば少し元気になるかなって思ったんです」 微笑むルメリアに何か引っかかるものを感じた。 飴が残っているのは何故だ? 前の町には何もなかったのに。それとも、全てが失われた後だったのか? だとしたら何故? 疑問は膨らむが、とりあえず目の前の彼女に尋ねることは一つ。 「なんで駄菓子屋がここにあるってわかったんだ?」 「え……? さっき見かけたから、だと思いますけど?」 自信なさげに答えたルメリアにネイは少し考える。 見かけたはずがない。こんな入り組んだ奥にある駄菓子屋が見えたはずがないのだ。現にネイはここから前の場所まで戻ることが出来ない。だとしたら。 「前も誰かのために買いに来たのか?」 「あ、はい。旦那様に頼まれて、お嬢様のお菓子を買いに──…あれ?」 言っているうちに彼女も気づいたのかルメリアが首を傾げる。 「わたし……ここ来たことあるんでしょうか?」 「あるのかも知れないな。記憶が無いだけで」 失われた記憶が顔を出したのだろう。だがはっきりとしないのかルメリアは表情を曇らせた。 「まぁ、あせることはない。思い出すときは思い出すだろ」 「はい」 明るく微笑んだ彼女に、ネイは心の中だけで付け足す。 思い出さないほうが良いかもしれないけれど、と。 「ここまで来たついでに護身用の武器かなんか探すか」 手ぶらだと何かあったとき対処できないし。 そう呟けばルメリアは手の中の飴を握った。 何もあるわけがない。むしろ何かあるのは歓迎すべきことだというのは少し前までの話だ。何かあった……ラフェナが消えた後では皆何かが起こることを恐れている。 固まってしまった少女をよそにネイは近辺の家に入り込んでいく。 家の中は家具以外はがらんとしているのがほとんどで、それでも何件か回ってようやく短剣を一本手に入れることが出来た。鞘に羽を広げた鳥が掘り込まれている。 鞘から取り出してみると鋭い刃先が姿を表す。軽く机を斬りつければ楽に傷がついた。良いものだ。ネイは静かに短剣を鞘へと戻し、腰の帯に差し込んだ。 ふぅと一息吐いたネイは今まで捜索していた家の中を見回す。短剣以外に役立ちそうなものは一切無かった。こうなってくると短剣だけがあるのが謎だ。一体どういう基準なのか──。 「ネイさん」 床を踏みつける音がして、戸口からルメリアが顔を覗かせた。固まっていたはずの彼女だが服には埃が着いている。彼女はネイが自分のほうを向いたのを確認し、右手を上げた。 「これ」 その手には一冊の本が握られていた。作りのしっかりした本である。 「本か」 「はい。私もいろいろ探したんですが、これ一冊しか見つけられませんでした」 「……妙だな」 「はい」 ルメリアは頷いて、何気なく本をめくった。文字の羅列が目に飛び込んでくる。それを声に出して読もうと口を開き、そのまま動かなくなった。読まれるのを黙って待っていたネイは眉をひそめる。 「どした?」 「……読めません」 「は?」 「読めないんです……。なんて書いてあるのかさっぱり」 「一字一句まったく? 全部まるっと?」 「はい」 ネイは唖然と口を開いたまま、本とルメリアを交互に見た。ルメリアは読めなかったことに恥じらいを感じているのか顔を赤くしてあらぬ方を向く。やれやれとため息を吐いて、ネイはルメリアから本をかっさらった。読めなかったことが大分堪えているのか、行き成り奪われてもルメリアは何も反応を示さない。 本を腕の中へ抱え込んだネイは紙面を目で追い、ぎょっと面食らう。慌てて指を滑らせ頁をめくった。その動作は途切れず、顔をそらしていたルメリアも何事かとネイを見る。 一通り頁をめくったネイは肩を落とし本を閉じた。 「さっぱりわからない。俺にも読めないな」 「……人のこと言えないんじゃないですか」 「なんだって?」 「いえ、何でも」 ぼそりと呟かれた言葉を聞き取って、呟いた張本人を睨むが、彼女はしらばっくれる。ネイが納得いかないといわんばかりにむくれたまま目線を本へと落とすと表題がそこにあった。その文字は滑らかにネイの頭の中へと潜り込む。 「あ、これなら読める」 「え? どれですか?」 「本の題名。『神の奇跡の考察と人間が使うための方法』だと。えー…『注意、神語記述。読める人だけ使用可』」 本を覗き込んだルメリアは眉を寄せた。 「わたし、やっぱり読めないんですが」 「記憶が無いんだろ、やっぱり」 読めないことに衝撃を受け、うつむいてしまったルメリアを無視し、ネイは再び本に手をかける。頁をめくってみるが、神語というものは今ある記憶の中では読んだことがないらしい。まったく検討がつかない。読むのは諦めて本を小脇に抱えた。もしかしたら誰かが読めるかもしれない。……僅かでも記憶が戻れば。 「おい、いつまで落ち込んでんだよ。戻るぞ」 「はい……」 まだ落ち込んでいるらしく彼女の声は暗い。それでも一応返事をしたのでネイは外へ出ようと戸口のほうを向く。 と、一瞬何かと目があった。その何かはすぐに戸口の向こうに引っ込んでしまう。咄嗟にネイは外へと飛び出した。 「ラフェナ!?」 口から出たのは願いだった。そうであってほしいという願い。しかし相手はうわっと低い声で漏らし、建物の影に姿を隠す。低い声。ラフェナではない。 ネイを追って外に出てきたルメリアが顔に影を落とす。 まだ幼い弟を守ろうとして、精一杯やりすぎて、走り去ってしまったあの子はどこにいったの? ここで会えれば、よかったと笑うことができたのに。 やがて隠れていた相手が建物の影から顔を出した。紺色の髪が重力にしたがって地面へと垂れる。灰色の三白眼がネイとルメリアを映した。 「なんだ、人か。驚かさないでくれよなー」 顔を出した男はそうぼやくと完全に姿を表す。顔立ちからして、ゲンテリアスと同じぐらいかそれ以上の歳だろう。髪はぼさぼさで動きやすそうなズボンに半そでのシャツを身に着けていた。肩からカバンを提げている。 やはりラフェナではない。ルメリアは胸に手を当て、ネイは落胆しながらも男のつま先から頭までを値踏みするように見る。 「あんた──」 「って、こうしちゃいられねぇ。お前らもここから離れたほうが良いぞ。奴らが来るッ!」 「奴ら?」 男の焦ったような言葉に二人は顔を見合わせた。 次の瞬間。背筋に冷たい何かが走り、背後を向く。 音も無く二人の背後に黒い影がたたずんでいた。人のような形をしている影、しかしそれは輪郭のみで感じる雰囲気も存在も明らかに異質。二人の背後にたたずんでいた影を筆頭に、多くの影がいつの間にか現れていた。 咄嗟にネイはルメリアの腕を掴み、引きずるように数歩下がる。そして影達を睨んだ。男も二人と同じように距離をとり、腰を落として臨戦態勢を取る。 「奴らだ」 一番近くの影が手を文字通り伸ばした。真っ直ぐルメリアへと向かい来る手をネイはすばやく抜いた短剣で切りつける。二人は男のもとまで後退した。 斬られた影は一度地に崩れ、だがすぐにもとの人型へと戻る。 「無駄だ。何度斬っても再生すんだよ」 「ゾンビみたいなもんか」 「ゾンビ?」 ネイの言った言葉にルメリアが首を傾げた。ネイ自身も言われて初めて気づいたように首を傾ぐ。ゾンビって何だ? 「そこ、ほのぼのしてる場合かよ! 逃げっぞ!」 「ほのぼのなんかしてない!」 男の叫びに叫びで返した。共に首を傾げている姿はほのぼのしているように見えたらしい。冗談じゃない。こっちだって必死だ。 影達は少しずつ三人に近づいてきていた。どろりとした手が三人へ伸びる。 ルメリアは喉の奥で叫びを凍らせ身を引いた。逃げるのには間に合わない。ネイが短剣を振るおうとするが、そんなもので防げる量ではなかった。短剣を避け、手が彼らに迫る。 何かが抜かれる音が耳元で聞こえた。続いて水音がして雫が服にかかる。それを知覚する間もなく咆哮が響いた。 脳を揺さぶるような叫びにルメリアとネイは耳を塞ぐ。 影が揺らいでいた。叫んでいた。苦しんでいた。咆哮を通し苦しみが伝わってくる。 何が起こった? 何が起こった何が起こった!! 影との境目が見えない。同化していく。避けられない。逃げられない。 あつい。熱い。熱い熱い熱い──!! 力強く腕がつかまれ、ネイは目を開けた。いつのまにか目をつぶっていたのだ。掴んだ相手を見ると男はいまだ響いている咆哮に負けぬ大声で言った。 「走れ!!」 その言葉に突き動かされるようにネイとルメリアは走り出す。悲しい咆哮は心を揺さぶるが、やがて聞こえなくなった。それでも三人は走り続ける。 走っていると影に囲まれているゲンテリアス達が視界に入った。 後ろを走っていたはずの男がネイと並走しだす。男は腰に手を回し、硝子の瓶を取り出した。中には透明な液体が入っている。 男はさらに速度を上げ、影へと突っ込んだ。蓋を取った瓶から液体が飛び出し、空を踊る。 影がひるみ、叫んだ。男が逃げろとゲンテリアス達に叫んでいるのがかすかに聞こえる。 それが聞こえたのかどうかはわからないが、ともかくゲンテリアス達も走り出した。最初に出あった影達が発した咆哮よりさらに大きな音から逃げるべく、全速力でそこから離れる。 逃げている最中に男が扉の有る家を指差した。皆の視線がそこへと集まる。男が最初にその家の中へと転がり込んで、皆が続く。最後尾を走っていたネイが慌しく扉を閉めた。ずるずるとその場に座り込む。 皆息が上がっていた。一様に床へへたり込んで息を吐く。 「何なんだよあいつらっ」 最初に息を整えたネイが吐き捨てるように言った。シースが震え出し、ルメリアが彼をそっと抱きしめる。 少なくとも私達と同様の生命体では無いようです、とゲンテリアスが冷静に分析した。 「そんなことわかってる。短剣で斬って平気な奴なんていてたまるか!」 「短剣なんて持っていたんですね」 「拾った。武器はあったほうがいいだろ? まぁ、無駄だったうえにどっかに落としてきたけどな。……そいつのかけた水は効果あったみたいだけど」 ネイが机に手をついて息を整えている男を目線で示す。一斉に視線が男に集まって男は肩をすくめた。先ほどと同じように腰の辺りから瓶を取り出す。 「特別な水だしなぁ。そりゃ利くんじゃねー?」 軽く瓶を振ると中の水が揺れた。 「あんた、あいつらの仲間じゃないだろうね?」 キリルがぶっきらぼうに言い放つ。警戒心丸出しの瞳で男を睨んでいる。 行き成り現れた男を信用しろというほうが無理な話だ。こっちは既に一人失っていて、ここでは何が起こるかわからないのだから。 男は気を悪くする様子も無く、困ったように頬をかいた。手に持っていた瓶を机に置く。 「仲間じゃないって証明できるかどうかわかんねぇけど……」 言葉尻を濁しながら、右腕の袖をめくってみせる。そこには浅黒い痣があった。──手の形をした。 「気づいたらこの町で一人ぼっちでさ。家ん中にいたわけ。眠くもならねぇし、腹も減らねぇ。家に──たぶんおれんちに残ってた本に目ぇ通して、そのうちつまんなくなって外に出た。けどなんもねぇし。……誰もいねぇし。旅にでも出ようか、なぁんてこと考えながら歩いてたら、奴らに会ったんだ」 男は無意識なのか話しながら痣を撫でる。 「一瞬、光が当たってなくて黒いのかと思ったなぁ。人に会えたんだって嬉しかった。けど近づいてきた奴らは全然違うモノで。呆然と見てたら手ぇ伸ばされて掴まれた。あん時はぞっとしたなぁ。呑まれるような感じでさ、さぁーっと血の気が引くしな。なんとか振りほどいて? 逃げて。でも追いつかれて囲まれて。じりじりと迫ってくっし、死ぬかと思ったね。おれは思わず後ろ見ずに下がったわけ。そしたら棚にぶつかっちゃって派手に倒した。棚に入ってた瓶が落ちて割れて、中身が零れたんだ。おれはズボンを濡らしてさ。するとどうだろ。影が一気に割れた。それどころかおれから離れようとしてやがる。おれは逆に近づいてやった。一目散に逃げてったね。ありゃあすごかった。おれはさっそく瓶の中身がなんなのか調べたよ。その水以外なんにも店ん中に無くて、苦労したなぁ。けどどうにか突き止めた」 机の上に置いていた瓶を男は掲げた。 「これは聖水ってぇ呼ばれる清い水だ。影はこいつが苦手らしい。そうと気づいたらおれは町中からこれを集めた。このとおり、カバンの中にぎっしりだ」 男が肩にかけていたカバンを開けてみせる。確かにカバンの中には瓶が所狭しと並んでいた。 「これでおれが奴らの仲間じゃないって信用してくんねぇ?」 男は片目を瞑り、両手を合わせてキリルに伺う。キリルはしぶしぶ頷いた。男の顔が明るくなる。 「おれ、ウェスト! 名前以外覚えてないけどよろしくな! あ。あと何でか影は家の中に入ってこないっぽいから安心して。聖水忘れて追いかけられたときに家の中に逃げたら助かったんだよなー」 「この町は影にやられたんでしょうか」 「だろーな」 「じゃあ、あの町も?」 ゲンテリアスが男─ウェスト以外に顔を向けた。皆ははっとして、ウェストにこの町に来る前に寄った町のことを話す。ラフェナがいなくなったことも。 皆が説明しているのを聞きながら、ネイは前の町を去ったときのことを思い出していた。 見えなくなった町。最後に振り返った一瞬、見たあの町は瞬きしたうちに黒く靄になり消えた。見えなくなっただけかと思っていたが、そうではなかったのか。 町は消えていたのかもしれない。 「だからさっきラフェナって叫んだのか」 納得したようにウェストが頷く 「その子も影に捕まったのかもなー。捕まったらどうなるかは知んねぇけど、掴まれただけで痣が残るぐらいだ。無事じゃいられないんじゃねぇか?」 ウェストが口にした推論に、シースが顔が引きつらせた。 「シース!?」 ルメリアが慌ててシースに呼びかける。反応が無く、目の焦点が合っていない。ただがたがたと震え、シースの目じりから雫が零れた。駆け寄ったキリルがルメリアの隣に膝をおり、シースを抱きしめる。そしてウェストを睨んだ。 「無用心に口にするもんじゃないよ」 「……わりぃ」 ウェストは気まずそうに目をそらした。 ルメリアがどこからか飴を取り出して、シースに差し出す。シースの瞳が飴を捉え、手が伸ばされ飴を掴んだ。そのことにルメリアは胸をなでおろし、それからキリルにも飴を差し出した。短く礼を言ってキリルが受け取る。 他の人にも順々に回って飴を渡した。最後にネイへ渡そうとして、ネイが手の平でそれを止める。 「ウェストにもやって、俺にもやったらお前の分がなくなるだろ」 「……いいんです。また、取りに行けばいいし」 周りに聞こえないよう小声でやり取りした。再度渡そうとするのを遮って、ネイはそれをルメリアの手に握らせる。 「甘いものは苦手だ。俺は要らないからお前食べろ」 結局ルメリアはそれを受け取った。 その後、これからどうするかという話になった。 ウェスト曰く、この町にもウェスト以外に人はいないとのことだ。隅から隅まで見たわけではないけれど。 結局、ずっと歩き通しだったから一度休もうというキリルの提案で小休止することになった。 |