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2 建物は目の前に立っている。……かろうじて。 町が見えてきたとき、六人は一様に表情を明るくした。 これで何かがわかるかもしれない。事態はこれ以上悪くならない。なぜなら自分達はまったくの無知で、町に行けばキリルの言ったとおりそれがなんだとしてもわかるはずだったからだ。少なくとも知れる時点で、悪くならない。 そのはずだった。 目の前に立っている建物は建物であって建物でない。ほとんどの家の窓にはめられていた硝子は割れ、壁が崩れている家さえあった。家具も壊れているものがほとんどだ。何より中に住む人々が居ない。 町は町ではなかった。 これは、目の前にあるものは。 「こんなの……ただの廃墟じゃないか」 ぼつりとキリルが呟き、それをきっかけとしてシースが地面に座り込む。 「う、うわああああああああああああああああああん」 異常さを感じ取ったのか、何もわかっていなかったはずの幼子が泣き叫んだ。いつもならすぐにかけよるだろうラフェナも、廃墟を凝視したまま動かない。 「ちっ。うるさい。黙れ! 泣くな!!!」 舌打ちしたネイがシースを怒鳴る。そういう彼も衝撃を隠せないようだった。 怒られても泣き止まないシースに、ネイは再び舌打ちし歩き出す。 「どこへ行くつもりですか」 ゲンテリアスから静止の意味を含んだ声がかけられる。それが気に入らなくて、ネイは足を速めた。 「人を探しに行く」 「一人では危険です。皆で一緒に──」 「指図するな!!」 声を張り上げ振り返る。ゲンテリアスを睨んだ。 何もかも、気に入らない。この町がただの廃墟とかしたことも。年上面している男も。それに苛立っている自分も。 「お前の指図は受けない」 ネイは歩き出した。静止の声はかけられなかった。 廃墟の町を巡る。辺りを見回し、人の気配を探す。 人がいないなんて嘘だ! 探しながら、ネイは声も無く叫んでいた。 叫ばずにはいられない。廃墟になってしまったなんて、信じたくない。 あいつらが、消えてしまっているかもしれないなんて。 そんな可能性、信じない。 町を巡るうちに、浮かぶ情景があった。楽しそうに笑っている人々。賑わっている商店街。あそこはアイツと行った場所だ。一緒に食事をした。もやがかかっている不安定な情景だけれど、確かに覚えている。 しかし鮮やかだったはずの色はあせ、情景は欠片も残っていない。 ここにあったはずものがない。 散々歩き回っても人がいない。いた形跡すらない。消えてしまった。それか、太古の昔にこの町は捨てられた。そうとしか考えられないぐらい、人がいたという印がない。 そんなわけあるか。 自分はここにきたことがある。そう遠くない昔に。だったら大昔に捨てられたとか、そんなはずはない。……ないはずなんだ。 焦りだけが心に積み重なっていく。 ネイは知らぬうちに駆け出していた。建物の間を縫い、走る。道ではない建物の間、大通り、同じ場所を何度でも走った。 おかしい、と思ったのはどれぐらい走った後だろう。大きな町だ。走って移動するにしても息が切れるような、大きな町。なのに、自分は息も切らさず疲れることも無く走り回っている。 ネイは足を止めた。廃墟の中でたった一人たたずむ。 同じ場所を巡り、町を隅々まで見て人を探した。けれど、人どころか生き物すら見つけることはできなかった。 顔を上げれば白い空が待ち受けている。今日─いや今日かどうかも定かでは無いが─何度も見上げた空だ。澄んだ白い、空。時間はたっているはずなのに変化は訪れない。"夜"というものがあったはず。そして空はさまざまに色を変えたはず。 自信無く記憶をさらって、訪れない夜を思う。 そういえば、眠くもならないんだ。 眠くないこと、疲れないこと。それはおかしいはずだけれど、おかしいときっぱり言える確証はもてない。記憶に空いた穴は大きすぎる。 「ネイ」 名を呼ばれて見れば、ゲンテリアスが立っていた。心配そうな顔をして笑む。 「戻りましょう」 ネイは虚ろな目にゲンテリアスを映した。優しい若草色。生命の宿る色。失われてしまった色。 二人とも、そのまま動かなかった。ネイは虚ろな青に緑を映し続け、ゲンテリアスは微笑み続ける。 やがてネイが目を外し、僅かに頷いた。 ゲンテリアスが安堵し頬を緩ませ、ネイに歩み寄る。そしてネイの手を掴もうとして──その手は振り払われた。一瞬ネイは鋭い視線をゲンテリアスに向けたネイは一人で歩き出す。 勝手にさっさと歩き出したネイの背をゲンテリアスはしばし見送り。 数秒遅れて後を追った。ゆったりとした笑みを浮かべながら。 帰ってきた二人を迎えたのは頬を膨らませたシースとそれをなだめているラフェナだった。 「おそいよ! まちくたびれたー!」 「シース。そんなこと言うんじゃないの」 「だってー」 「まあ確かに少しばかり遅すぎたんじゃないかい? お二人さん」 「キリルおねえちゃんもそうおもうよねー」 「思う思う」 文句を言ったシースにキリルが同調する。ぎろり、とネイはキリルを睨みつけた。二人の間に火花が散る。なおも文句をいい募ろうとしたシースをラフェナが止め、ルメリアがおろおろとネイとキリルを交互に見た。ゲンテリアスが穏やかな苦笑を浮かべる。 「悪かったな」 火花が不意に途切れた。ネイがキリルから視線を外し、皆とは距離をとって廃墟の残骸に腰を下ろす。突然の謝罪に目を丸くしたキリルはやれやれと肩を降ろした。 ネイは居心地悪そうにそっぽを向いた。背後で話している声をちゃっかりしっかり耳に捕らえながら。 「食べ物はありませんでしたよ」 「えー」 食べ物の話をしている。そういえば、食べ物のことなど考えもしなかったことに気づき、ネイは愕然とした。結局反発しておきながら、自分では周りのために動くことが出来ないのだ。なんて自分勝手なんだろう。 ん? だが。 ネイは思わず腹に手を当てた。空腹感─記憶にあるこれが正しいのであればこの名称のはず─はない。同時にゲンテリアスが「必要なさそうですが」と苦笑を含んだ言葉を吐いたのが聞こえた。 「目覚めてかなりの時間がたっているというのに、私達は空腹を感じていません。疲れていても少し休めば治ってしまっています」 疲れていても、のくだりはルメリアに向けられたものだろう。息を荒くして歩いていたはずの彼女は既にけろりとしていた。言われてようやく気づいたのか息を呑む音が聞こえる。 「おそらく今の私達に食べ物と休息は必要ありません。……それは本来人間ではありえないはずのことですが」 ゲンテリアスが言葉を濁す。沈黙が辺りを支配し、ネイは目を瞑った。 あれだけ走り回ったのに、疲れない、息が切れない、腹が減らない、喉も渇かない。記憶を探って出てくる人間の常識と明らかに反している。 それを皆も感じているのだろう。誰一人言葉を発さなかった。 「とりあえず、休みましょう。体が疲れていなかったとしても心は疲れているはずです。いろいろことを考えましたから」 穏やかに口火を切ったゲンテリアスだけが全てを受け入れているようだった。少なくとも、ネイの耳にはそう聞こえた。 「俺が見張ってる」 その後、固まって眠ろうとしていた五人にネイはそう声をかけた。眠くないのに眠ることは出来ないと。 きっぱり言い切って、ネイはゲンテリアスに目をやる。皆不安に思っているはずで、見張りを立てることに反対するものはいないだろう。ただしそれをネイに任せるかどうか、反対するとしたらゲンテリアスだと思ったからだ。自分がしようとこの男なら言いかねない。 だが、ゲンテリアスから出ていたのはまったく違った反応だった。 「じゃあお願いします」 彼はただ笑っただけ。私がしようと言うのではないかと思っていたネイは拍子抜けして目を瞬いた。 幼いシース、ラフェナの姉弟から寝つき、ゲンテリアスは最後に瓦礫へ寄りかかって座る。他の四人とは違い、横たわって眠るつもりはないらしい。 彼はそのようすを見ていたネイを見て、お休み、と優しく言って瞼を伏せた。今は彼も眠っている。 寝息以外何も聞こえない中で、ネイは一人じっと座り込んでいた。眠気は不思議なほどに襲ってこない。眠る気がしないからなのだろうか。 あまり離れては見張りとして成り立たず、かといって何もすることがなく手持ち無沙汰。自然とネイの目は眠っている五人に向けられることになる。 皆、町を見たときに少なからず衝撃を受けていた。この町に人間が居ないことにも。だが、一番心の中で取り乱していたのは自分では無いだろうか。幼いシース、ラフェナの姉弟でさえ、自分のように町を走り回ったりはしなかった。 思考は深みにはまり、抜け出せなくなる。一番取り乱していた自分を腹立たしく思い、情けなくも思う。シースのように泣き叫ぶことも出来ず、ただ嘘だろうと認めようとしない。 今だって、認めることができたわけじゃない。人が居ないなんて嘘だと心の奥底で叫んでいる。見張りの役目を投げ捨てて、人を探しに行きたいぐらいには。 湧き上がる衝動を押さえ込み、ネイは目を伏せた。思考に集中する。だがある仮定をはじき出したことで目を見開き、はっと五人を見た。 五人は衝撃を受けたわけじゃない。 シースは泣き叫んだ。でもそれは恐怖からだ。異常に感じられる空気が怖かっただけ。 他の四人も落胆していただけだ。信じてきたものに裏切られて、途方に暮れただけ。 だって記憶が無い。 何も覚えていない。 だから衝撃を受けたのは俺だけなのだと、ネイは気づいた。 町を見て回り、その情景をありありと思い出すことが出来た俺だけなのだと。 「ネイ」 己を呼ぶ声に我に帰った。いつの間にかゲンテリアスが赤茶色の双眸を開いている。彼は瓦礫に手を突いて立ち上がった。顔に表情らしい表情を浮かべないまま歩いてくる。 そしてネイと目線を合わせるようにしゃがんだ。 「衝撃を受けていたのは貴方だけでした。大丈夫ですか?」 事実を述べてから、彼はネイを案じるように眉をひそめる。図星をつかれてネイは硬直した。 ごくり、とつばを飲み込む。 「お前は」 口を開いて出た声は震えていた。 「この町がかつてどんなだったか、思い浮かばないのか?」 「浮かびません。人がいたはずだとは思いますが、それは常識の範疇でしょう。この町には元から人が居なかったかもしれない」 体の震えが止まらないネイに対し、ゲンテリアスは冷静に返す。冷静すぎるほどに。ネイは激しく頭を振った。 「違う。この町には人がいた。いたはずだ」 ギリリ、と歯を噛んで言葉をつなぐ。有名な町だったんだ、と。 覚えている。思い出せる。この町に来たときのことを。賑わっていたことを。 ゲンテリアスは目を丸くした。 「有名な町だったんですか」 「どうして覚えてないんだ」 「……何か事件が起こったのは確かです。性格も年齢も何もかもバラバラな私たちが、無条件で信頼しあい、共に行動しています。そんなこと、きっと普通ではありえない。最も、普通がどうだったか、覚えていませんが」 重く語っていた彼は最後には苦笑を浮かべる。 「記憶が無いんだ」 初めて気づいたかのようにネイが呟く。ゲンテリアスは首を傾ぐ。 「わかっていなかったのですか? さっき確認しましたよ」 「わかってたつもりだった」 全てが無い、だと有るという状況も理解していなかっただけで。おそらく、ネイ以外の全員は今もわかっていないのだろう。記憶が無い、ということを。 そしていつ、それを知るかわからないことであり、同時にネイの気持ちが理解されるのもいつのことだかわからない。 この絶望を、喪失を、誰もわかってくれない! ネイはうつむき、目をきつくつぶった。 「……中途半端に、ある感じがするんだよ。ここにアイツがいたはずだって」 でも誰も居ない。 どうして? 何故? 何で消えた!! 心の叫びは理解されない。 「別のところには人がいるかもしれません。一度寝て、目を覚ましてから人を探しましょう」 だからゲンテリアスも理解は出来ず、優しくそうネイに提案するだけだ。うつむいたままのネイの肩に手を添える。 「見張りを交代します。少しでも眠ったほうがいい」 ネイは歯を食いしばった。そうでもしなければ泣き叫びそうだった。何もわかってないくせにわかったような口を利くな。……怒鳴りたかった。だけど、子供のように泣き叫ぶのを許すわけにはいかない。子ども扱いされるのはごめんだ。 なぜなら──。 ネイはゲンテリアスを睨みつける。 「指図は受けない。見張りをしたいなら勝手にしろ。俺はそこらを見てくる」 今度は言葉に震えを乗せることなく言い切った。返事も待たずに立ち上がり、歩き出す。しばらく歩いて立ち止まり、振り返った。 追ってくる気配はない。 ネイは一人きりで無人の街を見つめた。自分だけが持つ記憶を振り返りながら。 |