夢が現か、現が夢か


 リリリリリリーン。

 リリリリリリーン。

 いまどき珍しい黒電話の甲高い音が廊下に響いている。規則ただ言い音は廊下を駆け抜け、誰かを呼んでいるかのようだ。…ま、呼ばれてるのは俺だけど。
「はいはーい。今出ますよー」
 聞こえるはずも無いのに相手へ呼びかけつつ、俺は廊下をパタパタ歩いていく。音はまた響いていた。
 慣れないものを着てるせいで、走れないんだよなー。
 長い廊下を歩いて、黒い受話器を手に取る。
「はい。どちらさまですか?」
『……その声、裕樹か?』
 問いかけたのに問いかけて返してきやがった……。怪訝に尋ねてきた低く落ち着いた声に俺はぶっきらぼうに返してやる。
「だれでしょう? 名乗りもせず馴れ馴れしく話しかけてくる人は俺の知り合いにいませんが」
 冷たく言ってやれば、相手も無礼に気づいたのかうっと一瞬言葉をつまらせたのちに名乗った。
『相馬だ。相馬博人……お前の父だ』
「なんだ親父か。それならそうと最初に言えよな。詐欺かと思った」
 しゃあしゃあと言ってやれば親父は苦笑を漏らす。俺が本気で言ってるわけじゃないこともわかってるだろう。だからこそ笑っているのだ。すまない、と短く返してくる。
 相馬博人は俺の親父だ。わけがあって俺は西月ってぇ美形と暮らしてるけど、親父と不仲だからとかじゃない。むしろ俺ぐらいの年代にしては仲いいほうだとおもってる。……まぁ、複雑な事情があったりするけどさ。
『西月は出かけているのか?』
「いんや。寝てるだけだ」
『……乱暴な力の使い方をしたのか』
 親父も西月は知ってる。だから、“寝てる”といえばその理由もしっかりわかったようだ。心配そうに声を出す。
 西月は文字通り寝ている。それは俺と西月がやってる仕事が関係していて──その仕事で使うある“力”が原因だ。コントロールが難しいっていうか、まぁそんな感じの力なのに、西月が力の制御装置である“符”無しに力を使ったもんだからまぁ大変。西月は寝込んでしまいましたってわけ。
 寝込んだっていっても寝てるだけだけどさー。
「ま、心配ないって。で? わざわざ親父から電話してくるなんて珍しいじゃん。何の用だよ」
『依頼を回そうと思ったんだが──』
「無理だからな」
『だろうな。ではこの依頼は別のチームに回しておく』
「頼むわ」
 依頼、っていうのは俺らの仕事の依頼だ。いつも西月と俺と二人で受けてる。西月がダウンしている以上、無理だろうと思っていたのか親父はあっさり引き下がった。
『じゃあもう切るが……しっかり留守番してるんだぞ。西月によろしくな』
「はいはーい。じゃあな、親父」
 俺にしっかり釘を刺してから、親父は電話を切った。そんなに信用無いかねぇとため息つきつつ、俺は受話器を置く。
 確かに、店番するのは初めてだ。西月がダウンすることは珍しくないけど、てか俺が仕事始める前にもあったけど、店を開くって言い出したのは初めて。おかげで俺は店番するべくこの休日に店先にいなきゃいけない。
 店番するのは別にいいけど、この格好がなー…。
 俺が着てるのは和服という代物だ。右前にすると死人になってしまうあれ。着物。この間必要なときに困らないようにって買ってもらった。あの時いつ必要なんだこんなもの? と思ったコレが早くも活用されて悲しいやら嬉しいやら。
 考え事をしながらちまちま歩いていると、店と住居を仕切っている暖簾が目に入った。軽く手で暖簾を押して、店に出る。
 店は木の柱と薄黄色の土壁で出来ていて、和! って感じだ。置かれているのは和風の小物を中心としたいろいろ。ある棚には銀細工なんかもあって、似合わない。
 銀細工よりも似合わないのがこの俺。高校入学と同時に金髪に染めた髪と日本人の顔、和服はかなりアンバランスだと自分でも思う。
 もちろん高校生の俺がこの店の主じゃないぞ。この店の主は西月っていう、俺の相棒だ。緑がかった黒髪を肩に流して、右目にモノクルをつけている美青年。コイツが着物の似合うやつで、日常的に着物を着てるもんだから、金髪の俺とは違って和風なこの店にあっている。
 店の名も“萌黄(もえぎ)の夢”だしなぁ。
 俺は椅子に腰掛けた。少し店を空けていたが、特に変化はない。人影一つなく、静かなもんだ。
 てか、暇。まぁ副職みたいなもんだし、客はいつも少ないんだけどさ。

 俺がまったりしてる間に午前は過ぎ去った。手持ち無沙汰に勉強なんかしつつ、昼食はおにぎりを食う。西月の様子をちらりと見たけれど、よく眠っていた。
 暇だなー……。
 勉強も終わらせてしまって、ぼんやりと天井を見上げる。窓から差し込むぽかぽかとした陽気にまぶたが重くなってきた。だけど、ここで寝るわけにもいかない。俺はぐーっと伸びをする。

 カランコロン。

 店の扉に付けられた鐘が来客を告げた。伸びるのをやめて扉を見る。
「あ、いらっしゃい」
 客が来るなんて珍しい。西月が店番してるときですら、ほとんど客は来ないのに。
 お客は女だった。どこか焦燥した雰囲気を出している。なんだ? 首筋で切られた短い茶髪が動くたびにさらさら揺れた。雰囲気は抜きにしても、美人だなー。顔立ちも整ってるし。
 客はゆっくりと辺りを見回した。うちの店はいろいろあるから、近づいて見たほうがわかりやすいと思うけど……。
 やがて客は俺のほうを向く。わ、正面から見ても美人。いや、好みの問題か…?
「夢売りますって表に書いてあったんですが」
 あー、そんなことも書いてあったっけ。事実だとしても胡散臭いんだよな。コレでなんか変なもの手渡されて、これはエジプトで見つかったミイラの骨です。ね? 夢があるでしょう。なんて言われたら絶対信用できなくなるね。
 ……ま、ホントのことだから俺は説明するしか無いんだけど。
 俺は立ち上がって、客を案内した。店の一角、扉から普通に入ってきただけじゃ見えない四角の部分にそれらはある。無造作に並べられた何の変哲も無い小物達。俺はお客様サービスするべく、西月の笑みには及ばないにしろ明るく笑いかけた。
「おまじないみたいなもの。好きな夢を見るためのおまじない。俺が言うのも難ですけど、よく効くって評判。これホント」
 客は一つ小瓶を取る。商品の一つ一つには簡単な説明が書かれていて、それ以上のことを知りたかったら店員に聞けという仕組みだ。
「“甘味処”…?」
「それは甘い夢。お菓子が出てくる夢が見られますよ。ダイエットに効果的……または逆効果」
 名称は西月作だ。これまた微妙な名称だよなぁ。
 客は小瓶を置いて、小物を一つ一つ眺めた。どれに手をつけるか悩んでる感じ。俺は一つの硝子玉を手にとった。
「どんな夢がご入用で? これは自分のなりたいものの夢が、そっちの小さなクッションは日常の夢が、あっちの動物の木彫りはその動物の夢が、あの飛行機は空飛ぶ夢が見れますよ」
 適当に代表的な小物の説明をしてみせる。一つ一つ目で追っていた客人はやがてしっかりと俺を見た。その瞳が決意に満ちていて、ドキッとする。
「好きな人に会える小物はありませんか?」
「……あるよ。これ。“想い人カプセル”。一粒飲んで寝ると、夢の中に想い人が出てきます」
 ドキッとしたとたんに失恋! ……まぁ恋とも呼べない感情だったけどさぁ。
「ください」
「ばら売りできるけど、いくついります?」
「じゃあ、一つ」
「百円です」
 俺が一つカプセルを手渡すと、客は大切そうにそれを受け取って店を出て行った。入ってきたときよりも頬を赤く染めて。
 そして俺の手の中には百円玉が残される。
 あわーい恋はすぐ潰えちゃったけどさ。うん。売れたしさ。ね。
 すぐに嬉しさがこみ上げてきて、俺はなりふり構わず西月のところまで走った。西月の部屋まで来ると、ふすまを勢いよく開けて部屋の中に踏み込む。
「西月! 今、俺……」
 穏やかな寝顔にぶつかって、喜び勇んで叫んだ声を俺は掻き消した。静かに寝息を立てて、寝返りすらせずに西月は眠っている。
 せっかく売れたのに、なんだよ。その寝顔に腹が立って、俺は西月の額に触れてみた。けど、力が染みこまない。よく寝ているのか、それとも西月には効かないのか……。
 俺はそっと手を放した。ふぅ、と息を吐く。いつも右目を覆っているモノクルは、今は外されて西月の傍らにおいてあった。来ているのは和服。俺なんかよりずっと似合っている。きっとこの姿を見たらさっきの女性もため息を着かずにいられなかっただろう。想い人を変えたかもしれないとさえ思う。
 もうちょっと、放っておくかな。
 静かに部屋を出て、ふすまを閉じた。

 結局あれから客は来なくて、次の日。今日も休日だったので、俺は店を開けることにした。
 一度店の外に出て、準備中の札を開店中に変える。
「あの……」
 控えめに声をかけられて見ると、昨日の客だった。昨日より顔色のよい彼女は淡い化粧もして、僅かに微笑む。好きな人がいると知っているのに、やっぱりドキッとした。タイプなんだよなー…。
 そんな心の中の同様を一蹴して、営業スマイルを浮かべる。
「あ、こんにちは」
「一人でやってるんですか?」
「いや、俺は代理。店長がちょっと買出し行ってていないので。こんな金髪で和服は着ないって。まだ高校生だし」
 中へどうぞ、とさり気なく店の中へ誘った。ええ、と微笑まれてまたドキッ。ううーん。
「高校生なんだ。私は大学生よ。藤原純奈っていうの」
「あ、俺は相馬裕樹」
「相馬君ね、よろしく」
 年下だとわかったからなのか、一気に打ち解けてくれる。微笑みとは違う無邪気の笑みなんかも見せてくれちゃったりして。それに昨日よりかなり明るい感じ。暗いオーラ纏ってたのに。
「何か、昨日より元気みたいだけど」
「うん。ちょっといろいろあってへこんでたんだけど、昨日買ったカプセルのおかげでなおちゃった。それで、もうちょっと買っておこうかなって思って」
 ごそごそと藤原さんは可愛らしいお財布を取り出す。紺の地に桜の模様があって可愛いし似合ってるなぁ。……いろいろ、が想い人にまつわるいろいろだってこと考えると落ち込むけど。
「毎度ありがとーございまーす」
 ニコリと笑ってわざとらしく言ってみせると、くすくす笑ってくれた。
 急いでおまじないの小物が置いてある棚まで走っていって、ビンごと持ってくる。
「どのくらいいります?」
「一ビン」
「…え?」
「一ビンくださいな」
 可愛い顔して大人買い!? いや、まぁ可愛い顔と大人買いは関係ないけど。でもまさか一ビンなんていうと思っていなかったから、俺は耳を疑った。さらりと言われすぎたのもあるかな。
 俺は目を丸くして、瓶の表示を見る。一ビン三百カプセル入って、良心価格二万九千円! だけど……。
「結構高いけど……?」
 値段の表示を藤原さんに見せてみる。すると藤原さんは少しも臆することなく頷いた。
「いいの。ください」
 お財布から二万九千円渡される。こうなると断ることも出来なくて、俺は持っていた瓶を彼女に渡した。彼女は軽く会釈して、店を出て行く。
 思わずぽかんと見送って、我に帰って慌てて走った。店のドアから顔を出し、まだ見える彼女の後姿に叫ぶ。
「一気に飲むなよ! 何が起こっても知らないからなーーーー!!!」
 藤原さんが振り返って頷くのが見えた。それを確認し、ほっと息をつく。それから辺りを見回して店の中に入った。
 この店があるのは人通りも少ない場所で、休日ともなればますます人は歩いていないが、静かだからこそ叫べば注目を集めてしまう。現に何この子という目で見られていたから、俺は店に戻ったんだ。
 ふぅ、と息をついて、手に握り締めていた二万九千円を集金袋に入れる。
 おまじない、は効くだろう。藤原さんは昨日想い人にあったはずで、今日も会うだろうな。何せあれはおまじないじゃない。俺らの同業者が夢を込めたモノなのだから。思いが強ければ強いほど、夢が見れるという……。
「想い人、かぁ」
 俺が今飲んだら藤原さんが出てくるのかな。それとも、一年前恋したアイツ? もっと前の? いやいっそ初恋の人?
 思わず視線はおまじないのある棚に続く道を見てしまう。いや、勝手に使わないよ? お店のものだし。ばれたら怒られるのは俺だし。だけど一個だけならばれないかなーとか思ったりなんかしちゃったりして……。
「裕樹?」
 柔らかく名前を呼ばれて、びくり、と固まった。振り返ると西月がのれんを押し上げて店の奥から顔を覗かせている。
「お、起きたのか、西月。大丈夫か?」
 何をしていたわけでもないのに、罪悪感からついびくびくしてしまって、慌てて西月に駆け寄った。
「はい。もうばっちり。私はどのくらい寝ていましたか?」
「二日ぐらい。今日日曜だし」
「そうですか。じゃあ、二日間も店番を?」
 俺はこくこくと頷く。俺が何をしようとしていたかはばれてないみたいだ。よかったー。
「ありがとうございます。お客さんは来ましたか?」
「一人来た。昨日、想い人カプセルを一つ買っていって、今日はもっと欲しいってことでさっき一ビンあげたところだ」
 そう説明すると、西月がぎゅっと眉を寄せた。え? 何で?
「一ビン売ったんですか? 丸ごと?」
 かなり低い声で問われる。詰め寄られる。俺は西月の迫力に押されて後ずさった。怒気がびんびん伝わってくる。
「何でそんなに怒るんだよ」
「危険物なんです」
「説明はしたって」
 忘れそうになったけど。それで俺は慌てて店を飛び出したんだし。
 説明はしたといっても、西月の眉間のしわは消えない。それどころかより深く刻まれた。
「想い人に会えるということがどういうことなのか、貴方はわかっていません。飲めば会える。その想いはカプセルを乱用させます。幾ら説明しても、私達は買い手が飲む量を調節することは出来ない。だから、これは一週間分ずつしか売ってはいけないんですよ!!!!」
 珍しく西月が声を荒げる。叫ばれて、俺はようやく事態の大変さに気がついて血の気が引いた。
 そんな。まさか。藤原さんに限って。昨日今日で何がわかるとどこか冷静な俺がツッコミを入れる。俺は立ってられなくなって、その場に座り込んだ。
「探さなければ。放っておけば二度と目覚めない」
 さっき読んだビンの注意書きが脳裏に浮かぶ。大量の服用は危険。夢と現の区別がつかなくなり、起きられなくなる可能性が大。一日三度の服用が限度。
 俺のせいで藤原さんが、人が目覚めなくなる……?
「裕樹!」
 呆然としていると、西月に胸倉を掴まれた。俺より小さいのにどこからこんな力が出るんだろ。ぼんやりとそんなことを考える。
「そのお客さんを助けたければ、貴方ががんばるしかないんですよ!! 私も探してみますが、夢の探査能力にかけては貴方のほうが上でしょう!? しっかりしなさい。お客さんの気配をたどってください。手遅れにならないうちに!!」
 西月の叫びが耳を通って脳に達した。ゆっくりと理解する。内容が完全に頭に入って、俺は西月の瞳をしっかり見つめた。決意を秘めた目をした俺が映りこんでいる。
 俺の決意を感じ取ったのか、西月が手を放した。俺の傍らで固唾を飲んで見守る。俺は静かに目を閉じた。
 藤原さんのイメージ。可愛くて明るくて笑顔が良くて、綺麗で…ってこれは俺から見た藤原さんのイメージだって。純化させなきゃ。純粋に、藤原さん自身のイメージを追わないと──。
 ゆっくりと思考は俺の脳裏の奥、そのさらに奥まで降りる。彼女のイメージは……闇を持つ光、それか闇に囲まれた光だ。輝きを隠すことは出来なくても、どこか暗さが付きまとう。
 そっか。だから最初に来たとき藤原さんは……。
 張り巡らせた探査の網に引っかかるものがある。これだ!
「いた藤原さんだ!」
 くわっと目を見開き、俺は立ち上がった。帯を無理に解いて和服を脱ぎ捨てる。西月の驚く気配を感じたけれど、そこは大丈夫! 着物の下にジーパンのTシャツ着てたから!
 何で着てるんですかという生暖かい目を感じながら俺は走り出した。感覚のままに道路を駆け抜ける。あ、そんなに遠くないかも……。
 やがてたどり着いたのはこじゃれたアパートだった。おおっ、と一瞬見上げてしまってそうじゃないと自己ツッコミする。部屋もわかっているからと階段を駆け上り二階へ。一室のドアノブを掴んで──ガチャリ。鍵かかってんじゃーんっ!
 がくり、と部屋の前で膝を着いていると、階段を上ってくる足音が……現れたのは年配のお姉さま?(サービス業の目っ!)てかギロリと睨まれるし。
「あんた誰? 藤原さんになんのようかね?」
「え、いや、そのあのえーと……」
 冷や汗がすごい勢いで流れていくのがわかる。てか疑われてるし。俺も疑いはらす返答できないし。うわー警察呼ばれるかも。
「あぁ、すみません大家さん。彼は私の友人です。一緒に藤原さんのお見舞いに来たんですが、心配しすぎて早とちりしたようです」
 お。この声はっ! 大家さんの向こうから現れたのは西月。ちゃっかり着物着用したままで……そのまま俺の全力疾走についてきたのかと思うと信じられない。少し額に汗がにじんでるから、走ってきたんだとは思うけど。
 西月がにっこり微笑むと大家さんは納得したように何度か頷き、西月を藤原さんの家まで案内すると去っていった。その目が恋する乙女の目だったのは俺の見間違いではあるまいて!! ……美形って特ね。
「何も考えずに突進しないでください。鍵が開いてるわけないでしょう? 合鍵もらってきました。これで中に入れますよ」
「なんで、藤原さんの名前……」
「さっき裕樹が叫んでましたよ」
 要領いい奴って特ね!

 俺がいじけている間に、西月は大家さんに借りた合鍵で藤原さんの部屋の鍵を開けた。新しい不法侵入だなーとか思いつつ、二人で中に入る。
 玄関で靴を脱いで、進んでいくと机に突っ伏している藤原さんが見えた。周りの部屋の景色も見ないまま俺は藤原さんに駆け寄る。なんか藤原さんらしい部屋だなぁとか思ってたけど見て無いぞ!!
 近づくとただ寝息を立てているだけなのがわかった。だけど、机の上においてあったビンを見て、俺は息を呑む。手に取ったビンの中身は空っぽだった。
「西月、これ……」
 西月にビンを手渡す。
「やっぱり全部飲んだようですね」
「……どうすんだよ」
 手遅れだったのか? 俺の心を読んだかのように西月が首を横に振った。
「これは睡眠薬と違います。夢に捕らわれる前に、起こせば大丈夫です。夢の中に入りましょう」
「わかった」
 俺はそっと指を彼女の首筋に当てる。……地肌に触れなきゃいけないからしょうがないけど、いやだなーこれ。
 変なことを思っていても、いつも通り夢の中に入った。
 夢の中に入るのが俺達の仕事だ。依頼を受けて、荷物を届け先の夢の中まで届ける。こんな風に、アクシデントで夢の中に入るのは初めてだった。
 一瞬の闇の後、コンクリートの感触。部屋の中に入ったそのままだから、靴下を通して伝わってくる。辺りを見回すと、何の変哲も無い町だった。それがこの前の依頼とダブって、眉をひそめる。
 この前の依頼もこんな日常的な町が夢の中に出てきた。作り出された夢だったけれど。
「西月、これ……」
「この間のものとは違いますよ。この間のものは視界が一定でワンシーンでしたが、これは夢でしかないとわかります。ほら、あそこに」
 西月が指差す方向を見ると、藤原さんがいた。俺よりも背が高い人のよさそうな男の人と連れ添って歩いている。本当に幸せそうに微笑んでいた。
 その二人を見て気がついた。二人だけが特に鮮明なのだ。外から来た俺らと、その二人。四人を除いて他の建物や人々は像がぼやけている。それどころか、藤原さん達とは反対のほうを見ると、人っ子一人いなかった。
 藤原さん達は路上に止まっているアイスクリーム屋からアイスをもらっている。その相手すらも手しか見えない。
 これは……。
「彼女が願ったのは想い人の夢です。かといって、事実を認めた状態で想い人が現れても意味がありません。だから、彼女は想い人と日常を過ごすことを望んだ。所詮は夢の中の日常。都合の良いことばかりでしょうが……」
「聞いたんだな、大家さんに」
「……裕樹も知っていたんですか」
 西月の問いに、俺は頷く。それから言った。
「最初に来たとき、彼女は喪服だったんだ」
 しん、と静まる。もともと夢の中、音は藤原さんにしか聞こえていない。会話をしなくなれば静かになる。
 やがてかすかな笑い声が聞こえて、藤原さんが彼氏と一緒に歩いてきた。西月と俺の前を通り過ぎていく。幸せそうだった。でもそれは永遠にありえない光景。
 これが藤原さんの願った光景なんて、悲しすぎる。
「藤原さっ」
「裕樹」
 声をかけようとした。けれど西月に遮られてそれは適わない。何で邪魔するんだ。むっとして西月を見ると、頭を振られた。
「今止めても無駄です。相手がいる限り……」
 西月の言うとおり、俺らが話していても藤原さんは気にする様子も無い。ただ、彼氏のほうが少し振り向いたようだった。……気のせいかな。夢の住人は俺らのこと気にしないはずだし。
 藤原さん、幸せそうだ。楽しそうに話して、彼氏は物静かに相槌うってて。いいなぁ、あの雰囲気。
 うらやましい、と息を吐けば西月に生暖かい目で見つめられた。今日何回目だっけ?
「追いますよ」
「おう」
 二人の後を追う。堂々と追っても、危ぶむ様子はない。うーん、現実の尾行じゃこうもいかないだろうなぁ。
「二人が別れたときがチャンスです。彼女に言葉が届くでしょう。でも、少しの間を入れてしまうとまたデートの最初から始まってしまいます。それが彼女の願った夢ですから」
 西月にそう言われて、俺は目を皿のようにして二人を見た。
 そのうち、俺らが今来ている彼女のアパートの前までくる。二人が立ち止まったから、俺らも足を止めた。でもなかなか別れない。あれ? と思っていると藤原さんの叫ぶ声が聞こえてきた。
「どうして何も話してくれないの!?」
 あれ? 雲行きが怪しい???
 思わず西月と顔を見合わせる。叫んでいる藤原さんに対して、彼氏は曖昧に笑っているだけだった。
「ねぇ、何で? 私、何かした? 一昨日のデートまでは普通に話してたじゃない。それで、今日デートしようって約束して、分かれて。どうしちゃったの? 私のこと、嫌いになった?」
 彼氏は無言のまま首を振る。すると藤原さんはますます不安げに眉を下げた。涙さえ浮かべている。
「どうなってるんだ?」
「……普通は、彼女の望む相手が出てくるはずですよ。彼氏がもともと無口でなかったのなら、あれは彼女の望んだ彼氏ではなかったことになります。まさか、夢魔……?」
 小声で西月に尋ねれば、西月は首を傾いだ。口に出された可能性に、俺ははっと藤原さんの彼氏を見る。
 ちょうど藤原さんが彼氏の胸で泣き出したところだった。明らかなラブシーンに、げっと顔をゆがめる。すると彼氏とはっきり目が合った。
 ……え?
 ヤバイ、と思う前に疑問が噴出してくる。夢の住人と目は──。
 彼氏は藤原さんの肩を叩いた。顔を上げた藤原さんに、俺達を指差して示す。振り向いた藤原さんは俺を見て、目を丸くして。
「なんで、裕樹君が……?」
「藤原、さん」
 夢の住人と目は合わない。でも夢魔なら俺らの存在を藤原さんに教えない。なら、この人は。藤原さんの彼氏は。
 俺はゆっくり、藤原さんに近づいた。
「藤原さん……」
「ごめんなさい。裕樹君の忠告、守れなかった。だって、私一緒にいたかったの。もう一生会えないなんて、耐えられない……」
 藤原さんのまっすぐな気持ちを感じる。だけど、俺は藤原さんをつれて帰らなきゃいけない。ここにいたら目覚めなくなってしまう。だから……。
 目の前で藤原さんの瞳から涙が零れた。俺はその光景に見入って動けなくなる。
「私、彼がいないと生きていけない。ごめんなさい。私、私……」
 帰れない。
 精神感応。ああ、俺はまだ未熟で。藤原さんの心を跳ね除けることが出来なくて。無理だ。連れて帰るなんて、無理だ。俺には……っ。
「ここに、いるべきではないよ、純奈」
 声が聞こえた。深く穏やかな声。西月とはまた違った、全てを包み込む優しい声だ。
 はっと俺と藤原さんは同時にそちらを見た。藤原さんの彼氏が声を発したようだ。彼は僅かに口の端をあげて、微笑んだようだった。
 ざ、と足音を立てて西月が俺の横に並ぶ。西月の手には符があって、光を発していた。彼を話せるようにしたのは西月だ。
 藤原さんは声も発せず、彼氏のことを見ていた。
「おれは君を連れて行きたくない。だから、君は君の人生を生きて」
 ゆっくりと藤原さんの彼氏は薄くなっていく。我に帰った藤原さんは彼氏の名を呼んだようだったけれど、俺には聞こえなかった。二人だけに、聞こえればいいことだから。
 藤原さんが伸ばした手は彼氏の体をすり抜け、夢が壊れた。暗黒と共に、引き剥がされる感覚。ぐい、と夢から追い出される。
 夢も見ない、ノンレム睡眠に入ったのかな。そんなことを思いながら、俺は現実の地面に足を着いた。横に西月も。
 藤原さんは夢に入ったときと同じように、机に突っ伏して眠っていた。彼女を抱き上げて、ベッドに移動する。先回りしていた西月が彼女に布団をかけた。

 夢の住人と目は合わない。夢魔なら俺らの存在を藤原さんに教えない。なら、あの夢の中の藤原さんの彼氏は──。

 俺は藤原さんの部屋を出た。合鍵を返すのも、後のフォローも全部西月に任せて、勝手に家に帰って自分の部屋に行って。
 あの人には適わないと、少しだけ、泣いた。



 いつもの店だった。裕樹も今は学校に出かけている。今朝降りてきたときに目が赤かったようだけど、まぁ気にしないで置いた。
 カランカラン、と音がしてお客さんが入ってくる。いらっしゃいませ、と声をかければ昨日夢の中に入った“藤原さん”で。彼女も泣きはらしたのか、目が赤い。
 彼女はからのビンを私の前に置き、尋ねた。
 夢の中で彼氏と会ったという。けれど、それは望む彼ではなくて、しかも現実に帰れと言われた。どういうことだと思いますか?
 彼女の質問はこうだった。
 私は答えた。

 彼が夢枕に立ったのかもしれませんよ──。


裕樹17歳。「夢の幻」直後。淡い恋をするの巻。