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西月と犬 片手に持ったスーパーの袋を持ち直す。かさかさと音を鳴らす袋の中には、ここ数日分の食料が入っている。 道の向こうから歩いてきた年配の婦人が私の姿を見て目を丸くした。じっと私の姿を見てくるその横を通り過ぎる。スーパーへ買い物に行くと良くあることだった。 何故そんなに驚くのだろうと呟けば、その時たまたま一緒に買い物をしていた裕樹──私の仕事の相棒であり、同居人──が着物とスーパーの袋の組み合わせが珍しいのだと言っていた。そんなに珍しいんだろうか。未だによくわからないが、とにかくよく見られる。 かんから、という下駄の音がうっすら赤くなってきた空に響く。 出かける時には裕樹は帰っていなかったが、もう帰っているだろうか。そんなことを考えながら、足を薦めた。いつものを角を曲がる。 何気なく紛ったところで、黒く丸い瞳と目が合った。私がそれを理解すると同時に、それは「ワン!」と鳴き声を上げる。 犬だ。私は犬に詳しくは無いが、おそらく小型犬だろう。ふわふわと毛が長い、薄茶の犬が道路の真ん中に立っていた。 歩道も何も無い小さな道だ。別に道路の真ん中に立っていることはおかしいことではない。だが見知らぬ相手に出会ったにもかかわらず、ワンと鳴いて尻尾を千切れんばかりに振っているのはどうだろう。明らかに警戒心が欠如している気がする。 そんなことをつらつら考えているうちに、犬は私の足元にじゃれ付いてきた。 「懐かれても、困るんですが」 あまりにも人懐っこい様子に、思わず笑みが浮かぶ。後で手を洗わなければ、などと考えつつも犬の頭を撫でてやった。どこと無く犬も嬉しそうだ。 人懐っこい野良犬だろうか。捨てられたのだろうか。首輪は無い。野良犬といえば保健所が連想できて、この犬もいずれ連れて行かれるんだろうか、と思った。だからといって私の家で飼うわけにも行かない。動物を飼うに適さない職業をしている。 「捕まらないように、気をつけてくださいねー」 捕まらなければ良い。そんなことをかすかに思いつつ、私は犬の横をすり抜けた。そのまま歩いていく。 かんから、かんから。下駄が鳴る。その音にまぎれて気づき辛い、音が一つ。 かんから、かんから。かんから、かんから。かんから、かん。 私は足を止め、振り向いた。同時に「ワン!!」と威勢よく鳴かれる。嬉しそうに舌を出したまま犬は尻尾を振った。着いてこられても困る。 犬に近寄って、ひざを折った。目線を合わせて口を開く。 「お願いですから、着いて来ないで下さい」 言い聞かせるように言った。意味が通じたのかわからないが、犬は体重を片側に偏らせる。 わかったのだと解釈してまた歩き出した。どんどん歩いて、小路を出、歩道に上がる。今までより交通量の多い通りに沿って進む。車の音が近い。 横断歩道の前で立ち止まった。向こう側に家がある。信号が青になるのを待つ。 ──と、私の隣に犬が並んだ。同じく信号待ちをする。 青になる。私は進む。犬も進む。私はどんどん進む。 信号を渡りきって、私は振り向いた。犬は走ろうとしていない。とてものんきに横断歩道を渡っている。もうすぐ点滅するのではないだろうか。赤になるのではないだろうか。見ているほうは気が気ではない。 「仕方ありませんね」 ため息を吐いて、かんからと引き返した。歩いている犬を抱き上げ、横断歩道を渡る。抱き上げた拍子に何かに触れた気がした。これは……。 私は犬を抱き上げたまま、近くの公園へと移動した。小さな公園だ。遊具もそれほど無い。何人かの子供が砂場で遊んでいる。ベンチに買った物を置いて、その横に座った。犬をひざに下ろす。 犬は大人しかった。私が首元を調べている間も、大人しくしていた。 少し長めの毛を掻き分けて──あった。毛に埋もれていて気づかなかったが、犬は茶色い首輪をつけていた。比較的真新しく見える、綺麗な首輪。 捨て犬でも野良犬でもなく、飼い犬(そして迷犬)らしい。道理で人懐っこいわけだ。 私はさらに首輪を良く見たが、名前も飼い主の手がかりも首輪には無い。そのくせ、どこかの飼い犬とだけ主張している。 やれやれ。 「貴方のお家はどこですか?」 "犬のおまわりさん"は一応聞いたことがある。つい歌いだしたくなるのはこんな時だろうか。 犬は私の気持ちも知らずに、くぅーんと鳴いて擦り寄ってくる。が、顔には近寄らない。 交番に預けても、最終的に保健所へ行くことになるだろう。だとしたら、探さなければいけない。だが、普通に探そうとすればつれて帰ることになる。つれて帰れば裕樹が喜び、情が沸くだろう。色々と、困ることになる。さて、どうするか。 ぴょん、と膝に行儀よく乗っていた犬が地面に下りた。嬉しそうに広場を駆け回る。駆け回るが、こちらから離れようとはしない。それがなんだか微笑ましかった。 公園にある時計に目をやる。裕樹もそろそろ帰ってくる時間帯だろう。 駆け回っていた犬が落ちていた木の枝を持って戻ってきた。渡されればおのずと何を望んでいるのかもわかって、少し遠くを目指して投げてやる。案の定、犬はそれをめがけて走っていった。 日は大分沈み、空は赤い。犬が枝を持って戻ってくる。 ふぅと息を吐いた。つれて帰れない。放ってはおけない。なら、仕方が無い。 「あまり、得意では無いんですが」 苦笑に近い笑みを浮かべ、懐から札を取り出した。枝をくわえて戻ってきた犬の前にしゃがんで、枝を受け取る。今度はそれを投げることはせず、取り出した枝を犬の額に当てた。静かに目を閉じる。 出来るだけ細い糸をイメージして、力を解放する。夢の中ではない上に苦手な部類の使い方で、かなり精神力を使った。あまり力を入れすぎれば犬に良くないので、慎重に読み取る。そして今度は中には入らないようにしつつ、範囲を薄く薄く広げていった。これまた厚くすれば良くないことになる。薄いまま、広く。出来るだけ広い範囲に力を伸ばしていく。 ──ぴくん、と二つの点が共鳴した。 十分だ。そう判断して慎重に、だが出来るだけ素早く力を戻す。目を開ければ犬が不思議そうに私を見上げていた。変わった様子は無い。周りを見回しても、子供達は元気に遊んでいる。そろそろ帰る時刻なのか、準備をしてはいるものの。 「……はぁ」 息を吐く。慣れないことを慣れない場所でしたためか、疲労が濃い。私はこのままじっとしていたい衝動を振り切って犬を抱き上げた。 「行きましょうか」 スーパーの袋を持って歩き出す。目指すのは、共鳴した場所。 そこは普通の住宅街だった。かんからと近づいていけば、犬が盛んに辺りを見回し始める。かと思えばするりと私の腕の中から抜け出して、駆け出した。緩やかに後を追う。 犬は少し大きな庭のある家の前で止まった。犬には大きい柵が犬の進行を妨げている。中を見れば主の居ない犬小屋がぽつんとあった。 「ここが貴方の家ですか?」 ワン! 私の言葉にタイミングよく、犬がほえる。私はそっと犬を柵の向こう側へと下ろしてやった。犬は一目散に小屋の中へとかけていく。一度小屋の中に入って、ひょっこりと顔だけを出した。 「よかったですね。見つかって」 ワン!!!! 嬉しそうに一鳴きして、犬はその場に寝そべった。すっかりリラックスしている。 そんな犬を背に、私はようやく帰路についた。 夕日が赤い。裕樹はもう帰っているだろうか。心地よい満足感と疲労感の中、スーパーの袋を片手に歩き出す。 かんから。かんから……。 その夜。 「西月ー疲れてっけど、なんかあった?」 「……いえ、何も」 「そ。んならいいけど」 目ざとく私の体調に気がついて尋ねてきた裕樹に、私は思わずにっこりとごまかしたのだった。 現在。日常の一コマ……というほど迷犬に出会っていても困る(笑) |