戦場へと


 折れそうなほどにほっそりとした手を、優しく取った。そうして、その手の甲にくちづけを落とす。
 顔を上げて微笑みかければ、相手は頬を薄い桃色に染めていた。だがその青い瞳には依然不安の影がよぎっている。
 まだ年端もいかないこの少女は姫だった。真珠がそこかしこにちりばめられた白い礼装に身を包み、頭には小さな冠が載っている。
 王が不在の今、彼が守るのは彼女だけだった。
「貴方に、忠誠を。私が貴方を守ります」
 ええ、と彼女は不安げにうなずき、視線を窓へと向ける。その向こうに見ているものを感じ、彼はさらに優しく微笑んだ。
「王は勝ちます。大丈夫ですよ。私の優秀な仲間も大勢居ますから」
「そうですね」
 少し冗談のようにいってみせれば、ようやく姫も微笑む。
 彼は簡易の鎧をつけている。腰に剣を佩き、ゆったりとした外套を羽織ってはいるが戦いのために着るものとしてはとても簡素なものだ。彼は姫を守るためにこういったものを身に着け、素早く動けるようにしている。だが、彼の仲間は違う。
 完全な装備をして、獅子の紋章がついた甲冑を身に着けて、彼らは戦場へと向かっているはずだ。
 こんなところに居る彼とは違い、彼らは死の匂いが立ち込める場所へとむかっているのだから。
「……どうか、無事に」
 悲しく微笑みながら、姫がつぶやく。
 姫が勝つか負けるかよりも、死者が出るだろう事に心を痛めていることを、彼も気づいていた。だが何もいえない。だからせめて、どうか無事に、と彼も心の中で繰り返す。

  + + +

 始まりは唐突だった。王都に程近い小さな村が国王軍に壊滅させられたのである。理由は幻を見せる草を栽培していたための、報復。引渡し命令に応じなかったためとのことだった。
 国王軍は強制的に草の没収を行おうとし、それに対し村人達は反発。彼らは問題の草を燃やし、国王軍を混乱に陥れる。しかしその結果、国王軍は歯止めが利かなくなり、無差別攻撃が行われ、村は壊滅したのである、と伝えられた。
 時をほぼ同じくして、ある町の自衛団隊長が声を上げる。彼は王城での不正を調べていた友の無残な死と、調査結果を発表した。そして彼は言う。幻の草が原因で殲滅されたあの村も、国王の横暴の証である、と。
 国王は否定するも次々に不正の証拠は出され、国王を倒そうとする動きが強まっていく。
 有志の兵士が自衛団隊長の下へと集まり、反乱軍が結成された。それを解散させようと国王軍が動き、衝突。内乱が始まる。
 これが三年前のことだった。
 この戦いは近くの町を巻き込み、多くの死傷者を出すことになる──。

  + + +

 波打つような美しい黒髪を一房つまみ、口元まで近寄せる。男はうっとりとその髪に唇をつけた。手を放し、髪を元へと戻す。
 黒髪の主の女性は力なく寝台に横たわっていた。豪華なつくりのその寝台で手を組み、まぶたを落としたまま、小さく呼吸を繰り返している。健やかな顔だ。うなされてもいない。
 そのことにほっとして、男は目元を緩めた。彼の片目をつぶすように、大きな傷が走っている。
 彼は眠る彼女の背にも同じような傷跡が残っていることを知っていた。その傷が原因で動くこともままならなくなっていることも。
「許すものか」
 憎しみを込めて、男は言葉を吐き出した。
 この傷をつけた相手を。彼女を歩けなくさせた相手を。
 絶対に、許すものかと。
「反乱軍隊長ジィルバード……」
 鷲の紋章の外套を羽織っていた、青髪の男。
 名は何度も聞いていた。姿は何度も見ていた。何度も、殺す様子を思い起こした。
 しかし、戦場で剣が届いたことはない。
 男は決意と憎しみに心を燃やしながら、壁に立てかけていた盾を手に取った。獅子を載せたそれを、しっかりと持つ。
 三年前、防げなかったあの攻撃を今度は防いでみせる。もう二度と、彼女を悲しませたりしない。あの時のように、ふがいない自分のために、怪我を負わせたりしない。
 アイツを、殺してやる。

  + + +

 三年前の一度目の戦いの後も、何度も両軍は剣を交えた。しかし、決着はつかないまま、死傷者だけがいたずらに増えていく。
 反乱のきっかけを作った自衛軍隊長こと、反乱軍隊長ジィルバードはこれ以上死傷者が出ることを望まず、半年前、彼は国王に手紙による和平交渉を申し出た。国王はそれを受け入れたのだが。

  + + +

 少し下にある額に、唇を落とした。娘は父の唐突な行動に頬を膨らませる。
「もう子供じゃないのよ、お父様。きやすくくちづけないでくださる?」
「すまんすまん」
 そう言っているうちはまだまだ子供だ、と思いながら父は豪快に笑った。だが一方でひらひらとした美しい衣服に身を包み、綺麗に化粧をして見送りに来た娘に親離れの気配を感じる。それを少しさびしく思った。
 娘の隣でにこにこと微笑みながら見ていた妻が一歩前に出る。
「あなた、いってらっしゃい」
「ああ、いってくるよ」
 妻から頬にくちづけを受ける。娘が仄かに顔を赤くした。
「娘の前で何やってるのかしら。まったく」
「あら、いいじゃないの。私達仲がいいんだから。ねぇ」
「そうだぞ」
 もう、と呆れたように娘が笑う。
 父は外していた兜をかぶり、表に待たせていた馬にまたがった。
「お父様、しっかり国王様をお守りしてくださいませ」
「ああ。わかってるとも」
 釘をさすように言ってきた娘にうなずく。と、妻が真剣なまなざしで口を開いた。
「気をつけて。無事、戻ってきてください」
「──ああ」
 帰ってきたいと思った。この暖かい家に、帰ってきたいと。娘の成長を最後まで見届けたいと。妻と共に最期まで生きたいと。
 無理かもしれない、と思いながら。
 馬の腹を蹴る。一人の父から、夫から、騎士へと変わっていく。帰るべき家は遠ざかって、もう見えない。

  + + +

 国王軍、反乱軍間の交渉は決裂した。国王は頑として不正を否定し、反乱軍はあくまで証拠を挙げる。だがそれがでっち上げだと言われれば、もうどうすることも出来ない。
 国王軍への恨みを持ち、反乱軍を正しいと思うものは反乱軍へと集まり、反乱軍への恨みを持ち、国王軍を正しいと思うものは国王軍へと集まる。
 全面戦争へと、確実に近づいていく。

  + + +

「ねえ!」
 集合場所へと先輩と共に急ぐ中、頭上から声が聞こえた。馬を止めて見上げれば紫色の髪を肩へと流した女性が、薄着姿で窓から顔を出している。その女性は唇に指先を当てると口付けを彼らへと投げた。
「がんばって!!」
「おう!」
 慣れているのか、先輩が満面の笑みで片手を挙げる。後輩はただただ顔を赤くするばかりだ。そんな後輩の様子を見て、先輩はひじで彼を小突く。
「おい、何赤くなってんだ?」
「だ、だって……」
「応援してくれてんだぞ? ちゃんと答えろって」
 にやにやと明らかにからかっている。後輩はますます顔を赤くした。
 続けざまに降ってくる、声援の嵐。進んでも進んでも途切れることは無い。
 結局後輩はうつむいたままろくに顔を上げられなかった。
「恥ずかしがることねぇよ」
 それを見かねた先輩が、今度は苦笑する。
「しっかり受けとけ。俺らは皆の期待を背負ってんだ」
「で、でも」
「てめぇも鷲を背負ってんだろ? しっかりしろよ」
 先輩の言葉に、後輩ははっとする。彼の背中の外套にも鷲の紋章がくっきりと描かれていた。反乱軍に属するものの証の紋章が。
「俺らは、戦えるやつは国王軍より少ねぇよ。けどな、応援してくれてる奴が沢山居るんだ」
 反乱軍は国王軍より兵士が少ない。その分、機動性を重視して最低限の装備をしている……といえば聞こえはいいが、実際には防具も足りておらず、甲冑を身に着けられないものが多い。
 しかし、じかに声援を送ってくれる人々が居る。一緒に戦えないが、志を共にする仲間達がいる。
「胸を張れよ。んでもってしっかり戦ってこようぜ」
 後輩は顔を上げた。町の人々が声を限りに窓から叫んでいる。応援してくれている。
 心に暖かいものを感じて、力がわきあがってくるような気がした。
「ありがとう!!」
 がんばるから、という心を込めて、叫ぶ。

  + + +

 国王軍と反乱軍は大きな平野を挟んで集結した。それぞれ、自分達を支援してくれる町に滞在している。
 国王軍の兵力五万に対して、反乱軍の兵力は二万。倍以上の敵と戦うにも関わらず、反乱軍は誇りを持って国王軍へと向かい合っていた。
 彼らはあきらめない。たとえ、勝てない戦いだとしても。このままではいけないと思うから。

  + + +

 全ての用意を整えて、一人の騎士は去り際に恋人とくぢつけを交わす。これが最後だろうとお互いに思いつつ。
 彼は国王軍の第四騎士団の団長だった。先の戦いで前団長が死に、副団長だった彼は若くしてその任についていた。
 まだ外は暗い。朝日が昇るころには戦闘が始まっているだろう。前線まで着いてきてくれた恋人はこれから後退し、救護部隊で活動する。
 もう会えないかも知れない。否、もう会えないのだ。
 彼らは唇を離し、向かい合った。いつも気丈に笑っていた彼女の表情は曇っている。
「本当に、さよならなんだね。何か、そんな気がしないや」
「ごめんなさい」
「いいよ。君らしいし」
 彼より数歳年上の彼女は精一杯の笑みを浮かべて見せた。その表情に心がますます痛くなる。
「ごめん」
「いいってば。君の決めたことだもんね」
 はい、と彼女は外套を彼に手渡した。鷲の紋章のついた外套を。
「見逃すのは今回だけだよ。今度会ったときには言いつけるから」
「ごめん」
「謝るくらいなら、やらないで」
「……ごめん」
 顔を背けた彼女を抱きしめる。どこまでも年上で、どこまでもかなわなくて。守りたくて、でも守られていた。結局、彼は彼女を守れていない。守れないまま、去ろうとしている。
 前団長は国王の間違いに気づいていた。不正といえるのかはわからないけれど、正さなければいけないことに気づいていた。それを正そうとして、他の団長に殺されてしまった。彼も、第四騎士団の団員達も、それを知っている。
 彼は獅子の紋章のついた鎧を身にまといながら、鷲の紋章のついた外套を手に入れた。第四騎士団の全員が秘密裏に外套に入れさせた紋様の意味を、わかっている。
 彼女を放して、彼は微笑んだ。笑って送り出そうとしてくれた彼女のために。
「いままでありがとう」
 彼は彼女に何も話さなかった。ただ別れと、鷲の紋章を見せただけだった。彼女を巻き込みたくなくて。
 彼は両方の紋章を持ったまま、部屋を出る。第四騎士団の面々と合流し、戦場へと向かった。
 自分達が、この戦局を変えられればと願いながら。別れてきた大切な人々のことを思いながら。

  + + +

 朝日が昇る。
 国王軍が第一騎士団から第六騎士団まで勢ぞろいした。それぞれの団長が国王に謁見する。
 反乱軍は隊長から各分隊長、それに軍師が集まって最終的な戦略を打ち合わせをしていた。
 そして全ての騎士が、兵士が、戦いに向けて気を張り詰めさせている。戦いの前に、故郷に残してきた大切な人々のことを思う。

  + + +

 仲間達がぴりぴりとしている中、一人の兵士は懐から取り出した小さな装飾品に唇を寄せた。小ぶりだが緑色の宝石が埋め込まれているそれはひやりと冷たい。
 片手でそれを掴みながら、もう一方の手は腰に提げている剣に触れる。
 彼は静かに目を閉じた。
 最後にあった恋人の顔がまぶたの裏に浮かぶ。婚約までしていたのに、黙って出てきてしまった。きっと心配しているだろう。別れ際に友人には挨拶してきたから、怒っているかもしれない。何故自分には言ってくれなかったかと。
 今でも思い出すと、彼女らはとても愛おしい。大切な恋人と、大切な友人だった。
「向こうの兵力、聞いたか?」
「ああ、聞いたとも。こっちの二倍だとさ」
「奇跡でも起こらない限り、勝てないかもしれないよなぁ」
 周りの兵士が怯えるようにひそひそと話している。
「奇跡は起こす。そうだろ?」
 わって入るようにして、もう一つの声がそう言った。声の震えも無く言い切ったその言葉に、ビクビクと話していた、あるいは聞いていた兵士達が一斉に沸く。
「そうだよなぁ!」
「勝てないって決まったわけじゃねぇ!」
「よしやるぞ!!」
 活気が戻っていく。
「おい、何してるんだ?」
 活気を取り戻した声がこちらに向けられた。まぶたを上げれば人懐っこい笑顔をした巨躯の男が前に立っている。同時期に反乱軍に入った仲間だった。
「祈っている」
「お前もよくやるよ。毎日祈ってるだろ」
「ああ」
「信心深いな」
 男が笑う。その笑顔に彼はかぶりを振った。手の中にある装飾品と、剣の柄を握る。
「そうじゃない」
「ん?」
「俺は臆病なだけだ」
 臆病だから、彼らに勇気を分けてもらえないものかと祈っているだけ。ここには居ない。遠くで彼の帰りを待っている恋人と友人に、力を与えてもらおうと。
「生きて帰る」
「ああ、そうだな」
 異常なほどの活気と戦いの前の興奮で生死すら麻痺しそうな中、彼と男は冷静にうなずきあう。生きて、帰ると。
「整列ー!!!」
 分隊長の声が響く。ざわついていた兵士達が口をつぐみ、列を成していく。
 朝日が昇りきった。

  + + +

 それぞれが号令をかけ、それぞれが動き出した。平野の中央へ向けて。
 取り囲もうと動き出す国王軍。すばしっこく動き、罠を張ろうとし始める反乱軍。
 それぞれの祈りと思惑が交差する。生きて帰りたいと誰もが願いながら、死へと突き進んでいく。

 戦いが、始まる。