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 ──短剣を握りなおした。心臓の鼓動がやけに耳につく。

◇ ◆ ◇

 山のてっぺんのほうにあるだけあって、そこは雪で覆われていた。足を踏みしめれば雪の感覚が伝わってくる。白い息を吐き出して、男は先を見据える。その視線の先には村があるはずだった。
「……ったく、騒がしいったらありゃしねぇ」
 見るからに暖かそうな動物の毛皮で作られたコートを身にまとった男は小さい声でぼやきながら、村への道を進んでいく。
 目深にかぶった帽子の隙間から黄金の瞳がどこか遠くを見るように細められた。
「あー、うるせぇうるせぇ」
 男はやはりぼやきながら歩みを進める。その場には雪を踏みしめる音だけが響いており、かえって静か過ぎるほどだ。それにもかかわらず、男はうんざりしたような、それでいて仕方ないと言わんばかりの口調で言葉を吐いているのである。
 それは常には聞こえないような、言葉を聞いているためだ。

◇ ◆ ◇

 ──ぎり、と締め付けが強くなったのか、幼子の顔が歪む。もう泣く気力もなく、彼女はただ顔を赤くして蔓に捕らわれていた。涙の跡が頬に残っている。
 捕らえている魔物──ウツボカヅラにも似た植物──は対峙している冒険者を警戒するように蔓をうならせた。数瞬早く冒険者がその場から飛びのき、いままでいた場所に鋭い蔓の鞭が走る。
 冒険者の男はおびえそうになる己を叱咤して、魔物との間を詰めた。鋭く切りかかり、一太刀を浴びせる。だが幼子を放す様子はない。
 遠巻きに、村人達が様子を伺っていた。蔓の攻撃を受けて怪我をしているものや、不用意に近づこうとしている女性を押しとどめているもの、とさまざまである。だが加勢することはできず、彼らはただ遠巻きに見ていた。

◇ ◆ ◇

 響いてくる声は、男にとってあまり良いものではない。
 恐怖、不安、怯え──十数人の小さな声が集まって、男の耳には届いていた。小さな声でも集まれば無視できないものになる。男はそれを知っていて、また無視することは出来ずに、村へと足を伸ばしていた。
 森の木々がある程度切り開かれた場所に出る。村と森との境目──……。
 いつもは雪の中であっても賑わいのある村は、直接耳に聞こえる音については、痛いほどに静かだった。家の中、建物の影、さまざまな場所から怯えるような「声」は聞こえていたものの。
 男は当たりを見回した。現実の音を耳が捉える。これは、戦う音だろうか。黄金の瞳を細めて、男は少し先を見た。
 無意識に、探りを拡げる。もう一歩踏み込んで音を捉える。
 魔物の出没、幼子が捕らえられる、冒険者の対峙、犠牲への怯え──……そして。

◇ ◆ ◇

 ──ボキン、と音が鳴った。何度目か、冒険者が幼子を捕らえている蔓にめがけて短剣を振るおうとしたとき。短剣が蔓を切るより少し早く、鈍く低い音がした。幼く小さい体がわずかに痙攣して、動きを止める。
 蔓を切られた魔物は声とも取れぬ悲鳴を上げて、すばやく逃げだした。冷たい雪の上に獲物を放り出して。
 魔物が去ると同時に、女性が幼子へと駆け寄ってくる。だがもう幼子は動くことはない。女性は、首があらぬ方向へと曲がっている我が子の亡骸を抱きしめた。
「もうちょっと、早く……もうちょっと早く、貴方が……!!」
 涙を流したまま、叫ばれた言葉を、冒険者はぼうぜんとした様子でその身に受けている。

◇ ◆ ◇

 ひときわ大きな嘆きだった。探りを拡げたところでもあったためか、自分の感情か相手の感情かもわからなくなり、男は顔をしかめる。胸が苦しくなり、息がうまくすえなくなりかけて、咄嗟に頭を振った。
「くそ……」
 それでもうるさいほどに「声」は響いている。男は殴られたかのように痛む頭に手を当てて、声が響くほうへと走り出した。
 別の悲しみがゆっくりと広がってくる。哀れみも、また。特有のものに何があったかを感じながら、男は人だかりの中にまぎれている知人の肩をたたいた。
「どーしたんだ、これ」
「っと、ああ、ソーロですか」
 村に唯一ある酒場兼宿屋を経営している店主(マスター)が気弱そうな笑みを浮かべる。だが彼からも悲しみは伝わってきて、男──ソーロは真顔のまま、あたりを見回した。
 あまり探りは強くないにもかかわらず、「声」がじかに聞こえてくる。ぐったりとしている幼子に、母親の嘆き、人々の哀れみと、かすかに広がる安堵──……それらの感情よりも響く悔やみと嘆きの深さに、ソーロは目を留めた。
 その嘆きを発している人物は、ある程度防寒はなされている服装を身にまとってはいるが、ここいらの人ではなかった。黒い髪に同色の瞳──あまり印象に残らないであろう面立ちだったが、ソーロならば百人の群衆にまぎれても見分けられるだろう。──嘆きの深さゆえに。服装からして、彼は冒険者だろうか。
 母親がまっすぐに冒険者を見る。
「もうちょっと、早く……もうちょっと早く、貴方が……!!」
 吐かれた言葉に含まれた鋭い剣が突き刺さる。その音までもが、はっきりと感じ取れてしまって、ソーロは眉を寄せる。
「これは……と、いうことがあったんですよ」
 マスターの説明を聞いて、ソーロは頷いた。その間にも「声」と音は近くから聞こえているようで──……。
 ふと、目線を向けると彼は既にいなかった。だがうるさいほどに響き続けるものを、無視することはできずに。
「……ったく。うるせーんだっつーの」
 口の中だけでぼやいて、ソーロは声のほうへと足を向ける。

 人にはあまり関わらないようにしている。自分にできることはあまりないことも分かっていた。
 だが、かといって放置しておくには「声」を受け取りすぎている。
 だから、ソーロは最終的に手を貸すのだ。そうして、自分に出来る手助けを精一杯やるのである。
 それは、いつものことで。

 人々の響く「声」を聞いて、頭痛を感じながら。ソーロは冬空を見上げた。
 澄んでいる空は、それでいてどこか不可視の重い空気が漂っている。人々から立ち上る悲しみがにじみ出ているようだった。

「笑っててくれよ、頼むから」

 懇願するように呟いて、ソーロは足を踏み出した。雪を踏みしめる音が、辺りに響いていく。

聞こえぬ声を


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