痛い。
……痛い。
痛みに思考がかき乱される。彼はただこらえるように体を縮ませた。
「ぅ……ぁあ」
わずかに声を吐く。それは既に本人の意思で掠れさせられている。体全体で叫びそうになる痛みを、ただひたすらに耐えていた。叫んでは周りが何かと思う。夢から引き戻してしまう。それを知っていて、彼は思考が定まらない中、ただ声だけは抑えようとする。
痛みの波は引いたかと思えば、すぐに押し寄せてきた。いつものこと。いつも繰り返すこと。
ただ、封が完全であったころには、痛みも大分抑えられていたけれど。
全身が引き裂かれるような。皮を開いて筋肉を一つ一つ引き剥がされるような。内臓をぐちぐちとかき回されるような。説明のしがたい痛みを、何度でも繰り返す。
『今、死なせてあげます』
どこか遠い現実の変わりに浮かぶのは、過去の記憶だ。
『死んだほうが楽になれますから──』
親切にもそういってくれたのは誰だっただろうか。ラングウッドは痛みの中でそんなことを思う。きっぱりとそう言って、本当に殺そうとしてくれた彼女──。
それを断って。ラングウッドは今もここにいる。
『オレが死ぬまでに…もしもお前が──』
同じようなことを申し出てくれた仲間を思い出す。そうもきっぱりいえてしまう人々に驚いて……とほうもない強さを知る。
だけどラングウッドはその親切に乗るわけにはいかない。死んだほうがマシということは絶対にない。
生きることを諦めない。生きることを少しないがしろにすることはあったとしても。
ラングウッドが死ぬとしたら、愚かにも彼の手に直接かかるか、間に合わずに彼の呪いで死ぬか、呪いを越えたあとに死ぬか。三つのどれかでしかない。呪いの前に自ら死に屈するわけにはいかないのだ。
それでは、彼の最期の意味がなくなってしまうから──。
自分が制御できない。
声も、動作も。抑えなければ、という思いとそれを振り切ろうとする痛みが衝突する。
その痛みを覆って、自らの意志を強めていく。暴れていては色々と迷惑がかかってしまう。断片的に続く痛みを乗り越えて、繰り返し繰り返し散り散りになった意志をかき集めて。そうして自分を制御しなおそうと……。
しかしそれを開始する前に、ラングウッドは強い力で抑え込まれた。きっちりと抑えられてから、口をふさがれる。口付けと共に薬が入ってきて、痛みを抑えていった。途切れ途切れの意識が繋がって、ラングウッドはぐったりとベッドに沈み込む。
「は……」
そのまま、ゆっくりと目を伏せる。遠い場所に痛みはまだある。完全に消えはしない。
それはとても体力を消耗させる。背中をさすってくれている相手への感謝の言葉をささやきつつ、ラングウッドはつかの間の眠りに落ちた。
夢の中で待ち受けているのは、いつもの問答だ。
彼の呪いのもう一部分。彼の末尾の想いは、現実では痛みとなって現れ、夢の中でははっきりと問いかけとして現れる。
呪いを受けた直後から、ずっとそうだ。
現実でも夢の中でも、彼は執拗にラングウッドを追い詰めようとする。もう眠って良いというのに──…。
ぽつん、とラングウッドは広くて黒い空間にいた。そんな彼を守るように白く発行する球体が数個、浮かんでいる。ラングウッドはその内の一つに手を差し伸べた。触れると、かけていたものが補われるような、安らかさを覚える。
球体に込められているのは彼の魔力であり、球体自身は封であった。封はラングウッドの持つ魔力のほとんど、それに、生命力を少し込めて、成されている。昔は使えた魔法が力の関係で使えなくもなった。しかしそれよりも、封が成されているということがラングウッドを救っている。
──ひびが。
その球体の一つに、ヒビが入っていた。刺青に色がつき始めていることから察してはいたが、やはり封は弱くなっているらしい。
──やっぱ、接触したのは不味かったか。
『サウルはお前の名前じゃない!!!! それは僕の名だッ!!!!!』
彼の叫びが蘇る。直後放たれた魔法をかわすことは出来ず、稲妻はラングウッドの体と共に封にも直撃した。
『……黙れ』
続けて、向けられた手。あのサウルに呪いの記憶があったかどうかは知らない。だが、明確に向けられた手と憎しみは、ダメージを受けていた封で耐え切れるものではなかった。
──自業自得。接触すればそうなるってのは分かってたのに。
それでも信じたかった自分。仲間と今を踏みつけにして、過去へと手を伸ばした自分。ラングウッドは口の端を上げた。
──なんて、愚かで。馬鹿な。
想いに共鳴するかのごとく、触れていた球体が震える。否、これはラングウッドに反応しているのではない。反応しているのは、ラングウッドの身に潜む悪意だ。
全ての球体が震え、光が強まる。
──っ。
夢の中での、痛み。内腑を引きずり出される感覚。それと共に闇の中に輪郭が浮かんだ。光りには囲まれていられないのか、ラングウッドとはかなり距離を置く。
闇の中に浮かんだのは、漆黒の髪に青白い肌の青年だ。切れ長の目、すっと整った鼻梁。整った顔立ちだが、頬はこけ、体はやせ衰えて、見るからにか細い。
「どうして」
青年が口を開く。ぽつり、と吐かれる言葉は百年以上、変わっていない。
「どうしてお前だったんだ!! 僕が、……僕、だったら。絶対にッ……! どうして!!!」
「どうして、なんてない。理由なんて求めるだけ無駄だ、サウル」
感情的に向けられる言葉に、ラングウッドは静かに答えを返す。
「呪ってやる!!!! 呪ってやる。お前だけは絶対に許さない。お前だけは僕が殺してやる!!!」
「もう君はぼくを呪っているじゃないか。許さないもなにも、君はもうぼくを許せる場所にはいないじゃないか。だけど、ぼくはまだ殺されてはいない」
「お前が死ねば良かったんだ!! 何でお前が助かって、僕が、彼女が死ななければならないんだ!!!」
「そんなことぼくが知るわけないでしょ。だけど助かった以上、死ねばよかったなんてぼくは思わない。君と彼女が死んだのは悲しかったけど、死は死。死ななきゃいけなかった、なんてことも無ければ、ぼくが死ねば君たちが助かったってこともない」
「何でお前は助かって……同じ病気で僕と彼女は死ぬ!? お前がうつしたのに、なんでお前だけ助かる!?」
「そんなのはめぐり合わせだ。ぼくのせいにしないでほしいな」
「守るっていったくせに。助けられなかったくせに!!」
「ぼくだって助けたかった。仕方ない、なんてことは言わない。助けられなかったのは事実だ。ぼくは君も彼女も助けたかった」
「嘘だ。嘘だ!!! お前は助ける気がなかったんだ。僕たちが死んでしまえばよかったと──」
「本当にそんなことをぼくが思うと思ってるのかい? 愛した彼女の死を願うと? 親友である君の死を願うと?」
「お前は願った。だからそれが実現した! 彼女は僕が好きで、それに君は嫉妬した。僕が親友か? 君は僕の死を最初から願っていた。僕が死ねば君が『サウル』になれる。彼女も君のものだ!!!」
「『サウル』なんて要らなかったよ、ぼくは。彼女はぼくのことが好きだった。君に嫉妬する理由はない。それに、もし彼女が君を好きなら、それはそれで祝福したさ。ぼくはね、何よりもあの場所が好きだったんだ。あの場所が永遠に続くように願っていたんだ」
「何故、僕ばかり! 何故何故お前はっ!!! お前だけは、絶対にっ……!!」
「去れ、『サウル』。ぼくの会いたいサウルは君じゃないよ。ぼくは君たちの死が、自分の責任とは思わない。この問答は無駄さ。ぼくの心は砕けない」
「殺してやる!!! 殺してやる!!!!!!」
サウルの輪郭が闇へと溶けて、呪いが眼前へと迫る。だがそれは球体の発した光に焼かれて、苦痛の声を上げた。ラングウッドは冷ややかな目でそれを見つめていた。
声を上げていた呪いは、やがてゆっくりと消えていった。そのことに、ラングウッドは息をつく。
「お前は……また、僕を見捨てるのか」
ふと、耳朶に滑り込んできた声。それはサウル。呪いの中の、一欠けらの本物の彼。悲しそうに、寂しそうに、突き刺すように吐かれた、言葉の刃。
パリン、とひび割れていた球体が砕け散った。心の奥から感情が溢れてくる。既に出された結論から疑問へと逆流が始まる。
「……っ」
叫びそうになった言葉を、必死に喉で止めた。今叫べば呪いは進む。他の球体も砕ける。不完全になった封はとても脆い。
──事実だ。これは、ただの事実。
サウルを見捨てた。これはサウルではない。呪いであり『サウル』だと、サウルの最期の言葉を切り捨てた。
自分は生きているのだ。過去に囚われるわけにはいかない。現在のサウル……現在に残ってしまったサウルの想いに殺されるならまだしも、呪いに負けるわけにはいかない。
だから、懸命に言葉を押し殺し、心を平穏に保つ。
──だったら、どうすれば良かったというんだ!!! これ以外に方法があるなら言ってみろ!!!
救えるのならば、救いたい。呪いであり『サウル』である彼の中にも、サウルはいるのだから。だが呪いが強すぎる。想いが強すぎる。殺す、という想いが。憎しみが──。
ラングウッドは歯を食いしばり、目を閉じた。
『──!』
彼女がラングウッドの名を呼んでいる。もうほとんど失われてしまった名を──……。
呪いとの問答のあとは、いつもそうだ。まだ二人がいたころの夢を見る。顔を上げれば、彼女が森の入り口にたたずんでいた。目が合うと嬉しそうに微笑み、隣にいるサウルに話しかける。
『ほら、……が来たよ?』
サウルはちらりとラングウッドを見て、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
『あー、もう。遅いから心配してたのに、素直じゃないんだから』
『コイツの心配なんてしてない!!!』
微笑ましそうにした彼女に、サウルがラングウッドを指差しつつ、力いっぱい否定する。だが顔は赤く、その力の入り具合からして心配していたのは確かだろう。
つぃ、とサウルは冷たい目をラングウッドへ向ける。
『また遅刻か。もう少し時間を守るということを覚えたらどうだ…?』
『遅刻されるたびに何かあったんじゃないか、って気が気じゃないんだよね、サウルは』
『そんなわけあるか!!!』
また力一杯否定するサウルに彼女もラングウッドも笑ってしまって、サウルが怒り出す。あのころは当たり前だった光景。
呪い──『サウル』は知らない。何百万の責める言葉よりも、呪いを打ち消したあとに見るあのころの夢が、ラングウッドにとってはとてつもなく悲しいことを。
『ぽつん、と過ぎた日々に〜』
『約束は交わされ〜』
『その約束を覚えて〜』
『私たちは 生きる〜』
『また 会おうという〜』
『約束を 覚えてるかな〜』
『今度は わかれずに〜』
『ずっと 一緒に 居ようよ〜』
『私は ここにいるから〜』
『あなたは どこで迷っているのか〜』
『私は ここにいるから〜』
『私を 見つけて〜』
彼女の歌う声が響く。古い歌。遠い記憶。彼女にせがまれたサウルが、照れくさそうに歌っている。あのころの自分が、嬉々として歌っている。
『一度道は 別れても〜』
『永遠に あわなくても〜』
『それでも 私たちは〜』
『約束を 忘れない〜』
『私は ここにいるから〜』
『あなたも ここに来るかな〜』
『私は ここにいるから〜』
『だけど 待たずに〜』
『あなたを 探すよ〜』
違えた道。あのころは道が違っても、きっと本当の意味で離れはしないと思っていた。交わされた約束と、与えられた祝福。背負うものは違っても、この絆が壊れることはないと思っていた。
けれど、今は知っている。この暖かい場所が壊れてしまったのだと。永遠に失われてしまったのだと。
彼女はもういない。
彼ももういない。
残されたのは、自分だけ。
最初の呪いとの問答を乗り越えて、生きてきた自分だけ。
あのときに死んでしまえば楽だったのだろう。だけどあの時、自分は生を望んだ。見捨てても、切り捨てても、生を。
死者は蘇らない。笑わない。喜んではくれない。変わらない。──変えられない。
ここで自分が死ねば、大切だったあのころの日々は踏みにじられる。無かったことにされてしまう。失われたものだとしても、壊されたものだとしても、無かったわけではない。違う。
生きて、違うと否定するためにラングウッドは。
『ほら また 会えた〜』
『また 共に笑おう〜』
『共に行こう〜』
体の痛みが戻ってくる。薬が切れるのだろう。夢が途切れて、歌が遠ざかる。
目が覚める。
現実が戻ってくる。疲れは取れない。眠れても、夢の中での問答が待っている。そのあとに、懐かしくも悲しい夢を見るから。
そうして繰り返し、呪いの強さが収まるまで、現実の痛みと夢を痛みを繰り返すのだ。
けれど、ラングウッドは生きることを止めない。
痛みを乗り越えて、生きていく。