境界消滅
水と、おぼろげな姿が、重なった。
星の色をした指輪の影響もあったのかもしれない。だが、それに思い当たる余裕は、その時の若謳にはなかった。
その一瞬で、幼い日の光景が鮮やかに思い浮かび、
耳元で、聞き取れていなかったはずの──聞き取れていなかったと思い込んでいただけの、言葉が蘇る。
海は荒れ狂い、
雨は激しく降り注いで、
小船は転覆し、互いに向こう側を覗き込んで、
そんな、ときに吐かれた言葉にしては、
その言葉は、あまりにも、
いや、ある意味においては、
どこまでも暖かく、強く、懐かしく、愛しい、
母の、言葉だった。
在りし日の悲しみと空虚が蘇る。死を覗き込み、境界を見失った幼き日々に、心が引き戻される。
彩りを失い、過去ばかりが目の前に浮かんでは消えていく。
ああ、
娘を失い嘆いたのは、
恋人との別れを惜しんだのは、
たった一人で眠りについたのは、
外に焦がれたのは、
──誰だった?
若謳自身ではない。そうではないのだ、と意識しなければ、呑まれてしまう。
残滓を呼べと頼まれたときには、既に過去ばかりが鮮やかで。
苦しい。
辛い。
──それを感じているのは、本当に自分だろうか?
『若様!!』
未空の声で、意識が外へと向った。自然と浮かんでいた汗で髪が張り付いている。内へと向っていたのもそこまで長い時間ではなかったのかもしれない。
しっかりと現実の目で見れば、普段あまり表情の変えない未空が、眉根を寄せて若謳を見ていた。焦っていた顔だ。
それを理解した瞬間にも、不意に浮かんだ嘆きに圧倒される。誰かの嘆きか、それとも、昔の自分の嘆きか。
だが再び飲み込まれる前に、よく知る気配がそれを遮った。守るように包み込まれる。
「み、くう?」
己の魂を包み込む式の名を呼んだ。未だに安定しない心は、今は馴染み深い心に触れるだけで、先ほどまでの苦しさはない。
心配している気持ちが伝わってきて、少し暖かさを覚える。
周りの世界が、遠い。
薄い壁が作られたからだろう。
暗い、海の記憶が浮かんで、消える。
苦しい。
苦しくても、何もできはしないのに。
既に、終わってしまったこと。
終わったはずだったこと。
落ち着くはずだ。安定するはずだ。
そのうち、きっと。
何より、終わったままでいなければいけないだろう?
口元に自嘲の笑みが、浮かんでいた。